10.この姫様が、誰のものだと思っているの。
人間が、愛しかった。
及ばぬ力を、他と支え合い、生き抜こうとする彼らの傍は、ひどく暖かだったから。
エレオリアの眠る寝台の傍ら。枕元。エレオリアの顔をじっと眺めるだけの人影に、シエラは近づくことも逃げ出すこともできずにいた。
佇んでいるのは、窓から入る光によって寝台の影が落ちている暗がりだった。その『誰か』は、男性に見えた。少し時代遅れの、古い衣裳は全てが黒で、どこか芝居役者じみているのに、その佇まいは堂々としているからか、様になっている。
時折、人物の表面を横線がちらつく錯覚に目をこすりながら、シエラは尋ねた。
「あなたは誰」
かすれる声。消え入りそうな声量にもかかわらず、『誰か』は視線だけ向けていたのを、身体ごとシエラの方へ向ける。
「……エレオリア様の、神様、なの」
どうして、エレオリアなの。
なぜ、エレオリアの元に神様は降り立ったの。
彼女の何が、神様を望んだ全ての者たちと違っていたの。
どうして、
見えるのか。小さなつぶやきを、聞き返す間もなく言葉が降った。
「私は、私の姫を捜していただけだ」
思いのほか、消沈した声音だった。
シエラは目を瞬かせる。なんだか、とても、神様が、
この国に、春がいない。その原因について、私は何も知らない、と神様は言った。
本来世界中に等しくあるべき物が、この国だけ遮られていると考えるのが正しいとは思う。しかし、何をどうすればこの国に春が戻るのか、私は知らない。
と。
世界に春をもたらしていた女神は、森に融けた。徐々に天に帰り始めた私たちが、今いる場所にくることも無く。私の姫は、この世界の森で眠りについて、森に融け、世界に融け、大気となり光となり水となり命となって、巡っている。今も。
「この娘は、私の姫に似ている」
「春の、女神に……? エレオリア様が」
影の中で、神様はうなずいた。
女神は森で融けたから、一度天に帰った神様も、やがて降りてきてまず森にいたのだという。そしてあるとき、懐かしい気配を辿ると、不幸な少女がいたのだ。
天に帰った神々は、ごく稀に、滅多にないことだが、下界を訪れることがある。
けれど、触れることはできない。声もとどかない。神だからといっても、手をかざすだけで少女の病を治すなどといった都合のいい奇跡も起こせない。稀に神々の存在を知覚できる人間がいて、その者達によって神々の恩恵と言った奇跡が信じられているだけだった。
見つけた娘に、神を見、言葉を交わす力はなかった。
よって、慰めもせず、同情もしない代わりに、少女が死んだ時はこの手で連れて行こうと思ったのだ。
天でならば、慰めることができる。
笑顔を与えることも。
触れ合うことだって。
かつて失った少女のように、不幸なまま死ぬくらいなら、救いを与えるべきだと思った。
そうして、神様がエレオリアを見つけて間もなく。彼女は、一人の男に出会った。神様はその瞬間を知ったのだ。
男が少女に恋した時を。少女が男に恋した時を。
ただ不幸だった少女が、恋をして、美しくなって、幸福を手にするのを。
「しかし私は、冬の神だ。死を、眠りを、いずれ来る春を求め、得ることができる命を見つめてきた」
だから、神様には分かったのだ。エレオリアが、今のままでは身体がもたないことを。ただ、落ちていく砂を眺めるしかない命であることを。
男がエレオリアを救おうとしていることは知っていた。間に合わないことも分かっていた。
冬の神は死を司る。それなら、春の女神は生を司る。
春が来ないこの国には、死が満ちている。それに引きずられやすいのは、エレオリア自身が持つ元々の性質だった。どのみち、彼女は人が本来持っているべき死へ抗う力が足りないのだ。
「では、なぜ姫様は眠るのです。何年も何年も、目覚めることのない人生を送るのです」
「私が、眠らせている」
手をかざして治すことはできないから。彼女自身のありとあらゆる全ての状態を眠らせた。まとわりつく死の力を、できる限り遮断して。
落ちていく砂を、せき止めることしかできなかった。
「春が戻りさえすれば、生きる力が満たされる。止まっていた分の時間も進む」
と、思う。
「なんですか、それ」
思わずシエラは呟いてしまっていた。慌てて口元を手で覆う。わずかに神様がこちらを見たような気がしたが、シエラは気付かないふりで視線を足下へ落とした。
先ほども抱いた違和感に、内心戸惑う。
神様は、神という存在が、なんだか、あまりにも想像と違っていた。
「なら、春が戻った今、何も心配することは」
ふと、顔を上げる。神様は、また、エレオリアの方をじっと見ていた。いつそちらを向いたのかは知らない。ただ、シエラの言葉に同意する風ではなかった。
そうして、決定的な問いかけをする。
「……この春が、続くと思うのか。永遠に」
冷たい声だった。冷たく、悲しく、辛そうな、声だった。
神様、なのに。
まるで無力な、人間のように。
「続いたとして、この娘には一刻も早い治療が必要だと言うのに」
あの男は、何をしている。
神様の言葉を聞いて、シエラは窓の外を見る。この国で生まれ育った者たち全てにとって、始めての春。温かな日差し。待ち望んでいたかのように綻び始めた花々は、けれど長い冬を無事越していたとは思えないから、きっとこれも何かの奇跡なのだろう。
「春とは、過ぎゆく物です」
けれど、シエラは知っている。
春が来て、夏がきて、冬がきて、秋がきて。季節とは巡るものだ。とどまることはない。永遠の冬に閉ざされていた国に、春がきたからと言って、常春の国になるわけではないだろう。
ただでさえ、ここは北の国。かつてシエラが住んでいた場所より、ずっと冬が長い。
「その冬が、今のままでは姫様を殺すと言うのなら、私は」
救うのが、シエラの役目だ。救えなくとも、救える人間がくるまで、もたせることが。
レオンセルクと、エレオリアが、二人で言葉を交わすために。
けれど、何ができる。
(陛下は知らせを受けてすぐに帰るだろうか。今どこにいるのだろう。ロードロスが当然知らせを送っているだろうし)
今すぐ陛下の元へ行きたい。けれどシエラがここを離れれば、エレオリアはどうする。エレオリアは、春の間、寝起きを繰り返すだろう。その間、彼女は何がしたいのだろう。
分からない。考えがまとまらない。悔しくてシエラは唇をかんだ。神様に何も言えないまま、身を翻し、寝室から出て行く。その際ほんの少しだけ振り返ると、神様が寝台の前で膝をついているのが見えた。まるで祈るように、エレオリアを見つめている。
神様なのに。
まるで、エレオリアを見初めたかのように。もしもエレオリアが不幸なまま死んだなら、連れて行くと言っていた。連れて行きたい。天でならば、慰められるから、と。
(奪われる)
覚えがある感情だった。
(私の、)
陛下に愛され、陛下を愛し、そして儚く、美しい、エレオリア様。
そういえば、シエラは彼女がどこの誰か知らない。侍女の誰も、ルティーカでさえ、きっと知らない。
でも、エレオリア様は、姫様なのだ。陛下のもの。たった一人の、この国の后。皇太子になると分かっている、エヴァンシークの母親。国母となるべき女性。
シエラが仕える、大切な、大切な、
(私の)
焦燥が、胸を妬く。
勝手だと嗤う自分がどこかにいる。何の力も、学も無いのに。浅ましく、人に縋り、追いかけることしかできないくせに。
廊下に出て、なんとなく中庭を目指した。日差しを浴びて考える。神様のこと、女神のこと、そして、遮られていると言う、春のこと。
(季節が、どんな仕組みで巡っているかなんて、知らないけど)
けれど、本来平等に与えられている筈の物だと、神様が言ったのだ。ならば、原因と言うのがどこかに絶対ある。
「ねえってば!」
突然大声とともに背後から固い手に腕を掴まれ、思わず身をよじるようにして振り返った。振りほどこうとしたのに振りほどけず、手は捕まえられたままだ。
「はなしてっ」
手の感触に、瞬時に男の人だと分かり、シエラは悲鳴を上げかけた。しかし、視界の端に入った赤髪に、振り払おうとした手を止める。
「……何……」
先ほどエレオリアの寝室にやってきた青年だ。シエラは眉をひそめて、その手を離して、と呟く。
春の日差しが、赤髪を輝かせる。
真っすぐな眼差し、理知的な面差し。
シエラはじっと彼を見つめて、瞬いた。
「私、あなたを知っている気がする」
お待たせしました。
読んでいただきありがとうございます。誤字脱字などございましたらご一報いただければ幸いです。
雑記
お待たせしました。うわー難産でしたすみませんすみません! だって! 神様が! 突然出てきたから!! あの人まさかのしゃしゃり出てきた! 私もびっくりした!
以上、自分の書いてる小説の登場人物の手綱を握れてない作者の言い訳でした……。シエラに見つかってすぐ消えていなくなるかと思えば結構本気でエレオリアの側にいました。簡単に言うと、惚れっぽい神様みたいです。(身も蓋もない言い方をしてしまった)
予想外と言えば、シエラの執着具合もそうでした。元々の自分の物が少なかったせいで、一度自分のものになったら抱きしめてはなさないんですね。
予想外が重なったおかげで更新が大変遅くなってしまってすみませんでした。




