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9.深い森のシエラ

 エレオリアを治療に専念させる為に、皇妃として表舞台に出てはくれないか。


 ロードロスから、シエラへ。そんな申し出があったのは、エレオリアが眠りについてしまう少し前のことだ。

 エレオリアのことを知っている侍女のうち、金髪青眼はシエラだけだった。加えて背格好もよく似たシエラだったから、そんな話がきたのだと分かっていた。

 レオンセルクの、皇妃。

 その言葉の甘い響きに息をのみ、胸をおさえるシエラに気付かないまま、皇帝の片腕、優秀な宰相ロードロスは、シエラに重ねて頼んできた。

 後宮の奥で健やかに育ちつつあるエヴァンシーク。いずれ辺境の地に姿を隠すことが決まっているエヴァンシーク。そして、時がくればたった一人の皇太子として立つべきエヴァンシーク。その母親を、公の場で演じてもらえないか、と。

 エヴァンシークの存在を、疑わせない為の母親役を、と。


 そんな申し出を受けたすぐあとに、エレオリアとルティーカが、シエラのよく知らない神話の話をしているのを聞いた。

「これが全てだ。どうか、もしもの時、レオンのことをよろしく頼みたい。どうか、彼が、一人になることのないように」

 その言葉に、強くうなずくルティーカを見た。


 神話の話をしていたように聞こえたのに。

 春の女神や、冬の神、人間の娘。知らない話ではあったけれど、何がどうしてそんな言葉に繋がるのかは、分からなかった。


 ただ思ったのは、なぜだろう、その時酷い焦燥とともにシエラが抱いたのは、『レオンセルクの皇妃』という座を奪われるかもしれない、という危惧だった。

 ルティーカはシエラとは違う。裕福な商家の出で、伯爵家の旦那様がいて、明るくて、賢くて。


 エレオリアの存在を秘する為、エレオリアの侍女のほとんど全員が他国の戦災孤児や、国内でも最も厳しい北方で、不幸にも口減らしにあうなどした、行き場のない娘たちだった。

 シエラにだって、帰る場所はない。

 幼い頃、深い深い森に囲まれた、厳しい掟のある村から追放され、帰る方法は愚か、村の存在さえも、もう分からない。


 方々から集めた二十人。その全てはエレオリアの為で、レオンセルクと関係を持った少女は皆無だったけれど、事情を知らない者たちからすれば、皇帝が気まぐれに手折った花の数だった。

 それがたとえ花嫁の為であったとしても、自分たちをすくいあげてくれた主にそんな噂を立ててしまった事を、誰もが心苦しく思っていたのに。

 そんな噂を笑い飛ばして否定してまわっていたのは、ルティーカだ。婚約者のいる身であるのにと陰口を叩かれながら、それでも彼女はエレオリアの為に働きながら、十日に一度の帰宅を欠かさなかった。帰宅すればその数だけ身に覚えの無い疑いの目を向けられてしまうというのに。

 黙っていられず、聞いたことがある。

『帰りたくないと思うことは無いの』

『愛しの旦那様に会えるのに、そんな事は思わないわ。それに、いつも帰っていたのに、帰らないのはやましいことがあるからじゃないのかって、言われてしまうのは悔しいじゃない』

 なんて事無いというように、彼女は笑っていた。


 シエラはルティーカを羨んでいた。憧れていた。

 だから、彼女がエレオリアからレオンセルクを任されたというなら、ロードロスに言われた「皇帝の妃」も彼女にゆずるべきだと思った。

 そう思ったけれど。

 それはできないとも、強く思ってしまった。


 気がつけば、ロードロスから皇妃の座を与えられたのだとルティーカに詰め寄った。間もなくして眠りに落ちたエレオリアが纏う、不思議な力も味方に付けて、エレオリアの世話も、皇妃の侍女も必要ないからと、彼女を城から追い出した。


 そうして、他の侍女も全て城から追い出して。


 シエラはレオンセルクの隣を手に入れた。


 空虚なもの、まやかしだと分かっていても、それはシエラが手に入れた唯一のものだと思うと、手放すことができなかった。

 そうして、眠っているだけだと思っていた筈のエレオリアが、目覚めないことを知ったのだ。


「ごめんなさい。姫様。もうしわけ、もうしわけありませんでし、た」


 エレオリアの顔を見ることもできないまま、シエラは顔を覆って許しを請う。姫君はそんなシエラの頭を撫でながら、小さく息を吐いた。

「そうして、あたしが許せば、お前は解放されるというのか」

 息をのむ。言葉の冷たさとは裏腹に、その声は優しかったから。長椅子の脇、冷たい床に膝をついたまま、シエラは俯いて、息をひそめるようにして続くエレオリアの言葉を待つ。

「あたしが眠って、何年経った」

 色の変わった問いかけは、騎士に向けたものだった。

「……今は、1539年の、夏、です」

 わずかに深海の瞳が虚空をのぞき、そっと伏せた。「そうか」とエレオリアは小さくそれだけを返す。

「1524年の終わりに、姫様は眠りにつかれ……」

「十五年間か……」

 無為に失った時間だろうか。これは。いや、違う。

 囁くようなエレオリアの呟きに、その場の誰もが耳を澄ませる。

「本当なら、あたしは、17まで生きていたかも分からないんだ」

 だから。とエレオリアは手を伸ばす。伏せていた筈のシエラの視界へ、病的に細い腕が現れたかと思えば、それはおとがいに添えられ、驚くほどの力を持ってして顔を上げさせられた。

「あいつもきっと、まだ、待っていられる……。そうだろう、シエラ」

 上げさせられた顔、合わせられた瞳に、シエラは何も考えられない。何を、仰っているのですか。と、視線で問うことしか、できない。

 けれど、エレオリアはただ見つめてくるばかりで、それならシエラはかけられた言葉を反芻するしかない。

 レオンセルクが、待っていられるか。と、今、そう言ったのだろうか。

 ゆるゆると遅れてやってきた理解に、シエラは添えられたエレオリアの手を振り払って後ずさった。

「どういう、事ですか」

 シエラの胸に、不安が押し寄せる。せっかく目覚めたというのに、エレオリアはいったい何を言いだすというのだろう。

「春が来なければ、あたしは目覚められない」

「春がきたから、姫様は目覚めました」

 だから、なにを。

「あたしの病は、眠ったままでは治せない」

「姫様の病は、姫が目覚めた今、治せます」

 シエラがそう言ったとき、エレオリアが口元に薄く笑みを浮かべた。

「けれど、きっと四日もあたしは起きていられない」

「死んでしまうということですか」

「あたしは死なない。あたしの神様が、そんなこと許しはしない」

 エレオリアの、神様。


 その言葉に、シエラは全て納得した気分だった。

 この人の元には、神様がいるのだ。

 レオンセルクに愛され、愛す、この、儚くも美しい女性に。この国を創り給うた神様が。

 魅入らされた様子のシエラに、エレオリアは変わらぬ笑みを見せた。

「冗談だよ、シエラ。神様は、あたしのことなど、考えてもいない」

 きっと、なにか、偶然が重なっただけなのだ。あたしが持っているもので、差し出せるもので、利害が一致しただけの。


 その偶然を、どれほどの者が求め、与えられぬ現実を嘆くか、きっとエレオリアは分かっていない。




 ゼンマイが切れたかのように眠り込んでしまった姫君の姿に、泣きたくなって、シエラは首を巡らす。ただ黙ってシエラとエレオリア、二人に会話をさせてくれた騎士と青年の姿に、途方に暮れた表情を向けてしまった。

 すぐに打ち消して、エレオリアと同じように笑みを作る。

「眠ってしまったので、姫様を、寝台に運びたいのです」

 手伝って、くださいますか、と。

 そして、重ねて願い出る。

「姫様が目覚めている間、ここに詰めていただけませんか」

 むりな願いだと分かっていた。けれど、もう、ここに侍女はいない。シエラしか、いないのだ。しかし病人をシエラ一人で診ることは困難だった。見せかけだけでも、与えられた仕事もあった。

「……」

 戸惑いが感じられる沈黙に、シエラは否を唱えさせまいと言葉を続けた。

「あなた方二人に咎が行かぬようにします。陛下も不在。騒がしい政務棟に、頼れる宰相に取り次ぐこともできない。心細くなった皇妃が、連れ込んだことにでもすれば良いのです」

「そのようなこと」

「陛下も、姫様も、気にしません」

 騎士の言葉を遮った。外聞以上に、真実を重んじる方々なのは真実だ。戸惑う騎士の傍ら、眉を寄せ考え込む赤い髪の青年の姿を、シエラは注意深く観察した。そう言えば、この青年はいったいどうしてここにいるのだろう。

 ふと、彼が顔を上げる。若くも整った顔で笑みを作り、

「また来るよ」

「え、あっ」

 おもむろに踵を返して、青年は出て行ってしまった。呼び止める間もなかった。


 思わず騎士を見やる。

「……わかった」

 おそらくは春という言葉からエレオリアを連想し、出来心で後宮にきたのだろうが、ここまで関わったからには最後までいてほしい。そうでなくては、シエラだって困る。







 深い深い森の奥。厳しい掟に守られた村で、シエラは生まれ、十まで育った。

 その村から追放されたのは、およそ二十五年前。


 シエラの瞳は、普通にしていれば青にしか見えなかったのに。



 側に、神様がいるのだ。

 見えなくとも。

 エレオリアを、連れて行こうとする神様が。



 夢うつつ、眠りに落ちながら繰り返すエレオリアの言葉を聞いていた。そうして目が合ったのだ。

 エレオリアの語る神様を、シエラは見えてしまったのだ。



のんびり更新しております。


読んでいただきありがとうございました!

誤字脱字などございましたらご一報いただけると幸いです。


雑記。

6話で触れた少女が彼女でした、という話。

なんだかんだ、割と狭い世界だなぁと思います。今後触れる予定も(多分)ないので、白状しますと、6話のおばあさんが実はエリオローウェンのお母さん。最後に出てきたフードの辺境伯爵領に向かった男性がエリオローウェン。でした。

読み返したら分かりにくさに吹き出しましたので、以上、仕込みばらしでした。


次は神様のターンです。このお話ほんとどこに需要があるんだろうなぁ!

ひっそりと今年中の完結を目指したいと思います。今後もよろしくお願いします。

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