7.彼女を知るものたち
日差しのあたたかさを頬に受け、そうして目覚めること。
その喜びや驚きを、なんて言葉にしよう。
この世にあるどの言葉でも、表現することなどできなかった。
国のいたるところで驚きと戸惑いの声が上がっていた。よく気がつく人々は、一昨日の夕方からその兆候はあったのだと語る。その頃から雪が止み、雲が薄くなりつつあったのだと。
春。
「春を、呼べば……」
「はい?」
「いや……」
その会話は、城の訓練棟。朝の自主訓練中だった。春だ、早朝の外回りから帰ってきた騎士が、帰ってくるなりそう走り込んできたのだ。
自主訓練というだけあって、全員が参加しているわけではなかったが、それにしても今日の自主訓練風景は閑散としていた。雪がやみ、日が出ているという言葉に納得する。
この国で朝日を拝める日など、あり得たのか、と。
ふと手を止めたのは、訓練棟内で剣を振っていたひとりの騎士だった。
城で勤めるようになってもう長く、しかし出世も望めない。新しく入ってくる新人騎士の育成に努めているばかりの騎士だった。
「春を呼べば……、か」
「さっきからどうしたんです。手、止まってますよ。珍しい」
成人したばかりの若い騎士、正確には違うのだが、自主訓練時間を利用して手ほどきをしてやっていた青年を無視して、騎士は記憶の糸を辿った。
春、春、春。
春がくれば目覚める誰か。そんな話を、ずいぶん昔にした気がする。
「眠り姫を目覚めさせるには……、だったか?」
なんですかそれ、と青年は瞬き、騎士は苦笑する。いや、なんでもない、と返そうとした所で、あれ、と青年が首を傾げる。
「……後宮に眠り姫がいるってはなしですか?」
「は」
「目覚めさせるには、春を呼ばないといけないって言う」
後宮。
眠り姫。
春。
騎士の記憶が過去へ飛ぶ。
まだ城勤めになりたての頃。今でこそ城下見回りなど組織し動かす立場に立っているが、あの頃は城内警備が主だった。
十年以上も前のことだ。
側室も正妃も何もいないはずの、皇帝の後宮の警備。それが、若い頃の騎士の仕事だった。
しかし、この青年はどこからそんな話を耳にした。
この青年は、騎士ではない。城勤めでも何でもない。ただ、縁あって剣の指導を受けにたまたまきているだけだ。
そんな青年が、騎士の知らない噂を耳にしているとは思わない。
「探してるんですよね、俺」
ぽつりと呟いて、青年が頭上を見上げる。雲が徐々に薄まりつつあり、所々水色が伸びている、今まで見たことのない空。
歯切れの悪い口調の青年に、騎士は促すようにして問う。
「誰を」
「《エレオリア》」
騎士の身体が強ばった。忘れていた記憶のふたが、わずかにずらされたような、そんな衝撃だった。
「そういう名前の、姫君を……。って、あれ、ちょっと!」
気付けば騎士は身を翻していた。訓練後の後始末も何もかも放り出して、訓練棟を後にする。青年は慌ててその後を追う。しかし構わなかった。ついてこようが、立ち尽くしていようが。
騎士には、どうでも良いことであった。
「エレオリア様」
届かない呼びかけに、足を速める。
騎士はその名を知っていた。
かつて任されていたのは後宮の警備。とはいっても、男子禁制の後宮だ。警備とは、後宮へと続く扉の守りと、後宮の姫君や侍女の言葉を皇帝へ届ける連絡係としての役目があった。
騎士は十数年前の二年ほどの間、ほぼ毎日扉を守っていた。
姫君の名を知ったのは偶然で、一度だけ連絡事を携えた侍女の会話の中に出てきたことがあった。その一度耳にした名を、よくも覚えていたものだと苦笑する。若かったこともあり、扉を守ることでその奥に暮らす姫君を守っているという誇りがあった。
かつて、名前だけで、その姫君の姿を夢想した。
「ここって後宮じゃ、ちょっと、俺困ります、こんな」
「なら、ついてこなければ良い」
執務棟によったが、宰相であるロードロスはやってくる報告に手一杯のようだった。日差しで溶けた雪により川が増水し、事故が頻発しているらしい。それだけでなく、皇帝が不在だった。周辺諸国への訪問へ出たばかりだと。戻るのは、四日後の夜だと。
取り次ぎを頼むこと無く、騎士と青年はその場を離れ、後宮へと近づいた。
「これから会えるんですかね。《エレオリア》って、どんな人なんですか」
後宮の扉を騎士が閉めると、青年がそう問いかけてきた。無邪気な問いかけに、騎士は苦笑する。
青年は赤い髪が印象的な、女性受けの良い見た目をしていた。伯爵家の出であり、立ち居振る舞い、言葉選び、人当たり、何もかもを備えそしてなお足りないものを補おうと努力している青年。
(彼は、なぜエレオリア様を知っているのだろう)
答えない騎士に、青年は小さく笑って肩をすくめた。答えないことも予想していたのだろう。
エレオリアが眠りについたと聞いたのは、宰相と皇帝陛下の会話だった。後宮の扉付近で、声を抑えて交わされる言葉に、何があったのかを知った。
扉の警備は、たとえ何を見聞きしても知らぬ存ぜぬを通さねばならない。誰にも言えず、疑問を投げかけることもできない言葉の多くは、記憶に埋もれていった。
それから間もなくして、役目を外されたのだけれど。
部屋の場所は、推測だ。しかし確信に近い。後宮の奥の奥であるに関わらず、庭師が出入りしているのを知っていたからだ。
回廊に囲まれた小さな庭のある、広い一室。
いくつかはずれをひいて、ようやくその部屋を見つけた。
よくある部屋の構造に、臆すること無く足を進めた。寝室の扉へと、視線をやる。
「……」
騎士が息をのんだ。背後の青年も、はっとしたように足を止める。
金髪の女性が、こちらに背を向け立っていた。
読んでいただきありがとうございました!
取り急ぎ。誤字修正などは気付き次第やります。お知らせいただけると助かります。
前回と言い今回と言い、慣れ親しんだ人たちの姿が無くて申し訳ないです。つ、次こそ。




