6.こうしてわたしたちは出会ったの。
愛していると、あの人は言った。
深い深い森に囲まれたこの村には掟があった。森に入ってはならぬ。村の外に出てはならぬという、古い掟が。
けれどそれ以上に重んじられる、生まれに関わる掟が存在した。
ある子どもを捨てるのだ。迫害し、村から追い出す。それは古い因習。忌まれるべき、おぞましい所行。
村で一生を過ごしてきて、もう七人目になる。
老婆はつないだ手の小ささとあたたかさに、そっと眉を寄せた。背後の村からは、子どもの母親が崩れるようにして泣いている。連れて行かないで、と、聞こえもしない声が聞こえる気がした。
「……」
母が泣いている。その姿に、老婆の傍らに佇むばかりの子どもは、痛い顔をしていた。母が泣いている。ただそれだけが、どうしようもなく苦しいというように。
半年前に八つを迎えたばかりの子どもだった。村のみんなで育ててきた、愛しい子ども。
美しく、賢い子どもだった。だからだろうか、普通は十になるのを待つのに、この子は急かされるようにして村を追い出される。
村を追い出される子ども達に、名前は無い。
だから、村人は忘れていく。村から追い出し、その後子ども達がどうなったかなど、気にとめない。
紫の瞳。
ただそれだけを恐れ、疎み、迫害する。それは力の証だ。村に古くから流れる、最初の血。顕現した始祖の、人ならざる力の証。
疎まれるべき、人外の力。
村に残してはいけない。だから、その瞳を持って生まれた子どもは迫害される。
もう、二十五年も前になるだろうか。呪われた瞳をもって生まれ、十を迎えて村からいなくなった少女がいた。まだ若かった老婆によく懐いていて、頭を撫でてやると嬉しそうに笑う、その顔を今でも鮮明に思い出せる。少女の瞳は深い青に見えたのに、光の加減によって、紫と断じられてしまった。
神々との縁を繋ぐ村。
その血を薄める為に、村人は古い血が濃く出た子どもを、村の外へだしていた。
十五年前に村を出た子どもは、神そのもののような存在だった。あの幼い身体に、常に神を降ろしているような。本来であれば、神殿で保護され巫女として修行を積み、制御すべき程の。
しかし、森の中で外界と断絶しひっそりと暮らしているだけの村に、その子どもにしてやれることは何ひとつ無かった。今の時代、神殿にも無かっただろう。夢うつつのまま、いにしえの記憶と常に行き来していて、情緒不安定なまま、子どもは時折、一目もはばからず泣き崩れた。
果たしてその子どもに自我は芽生えていたのか、そんなことも分からないまま、十になるとその子も村の外へ追い出されていった。
老婆はそっと傍らの子どもを見やる。母親の泣き声はまだ響いていたが、子どもはもう振り返ってはいなかった。じっと、老婆を見上げている。
行きましょう、と声をかける。子どもは小さくうなずいて、老婆と子ども、二人は足を動かし始めた。
村を出て、最初は真っすぐな道が続くが、やがて分かれ道が現れる。北か、南か。ここで、子どもの生死が決まる。
どちらを選ぶかは、子どもが決めることになっていた。
「どちらでも、好きなほうへ」
ただし、村に戻ってはいけませんよ、と言い含め、子どもの行方を見守る。
普通は、迷う。怯えた目をして老婆を見上げ、どちらが良いのかきいてくる。
けれど、この子どもは、迷わず北を示した。
わかっているのだろうか。
北は、大国ヴェニエール。数百年もの間冬に閉ざされた、死の国だ。
美しい顔の子どもは、驚愕を隠さない老婆に微笑んだ。
「遺すべきでは、無いのでしょ」
ただその一言。
選んだのだ、この、幼い子どもは。自身に宿る力に、村に流れる血に、そして、それを疎む村の性質に、この子どもは、その上で北を示した。
死ににゆくのだと、子どもの胸の内を知った。
「おばあ様こそ、南へ行かずとも良いの」
静かな問いかけだった。今度こそ信じられない思いで、息をのむ。幼い子どもを凝視する。
南。
ニルヴァニア王国。
かつて老婆は、その地で銀の髪の赤子を抱いた。
「おとうさんたちが、話してた。おばあ様は、帰りたいのではないかしらと」
子どもに何を吹き込むのか、と老婆は笑った。困った顔を浮かべるしか無く、もう、昔の話、忘れたことだと首を振る。
愛していると、あの人は確かに言った。だから、それだけで。
「あたくしは、生きていけるのですよ」
八つの子どもに言うには、難しいことかもしれない。しかし、誤魔化すことはしなかった。
賢い子だ。
きっと、この子は忘れない。
いつか、思い出して、分かる日がくるのだろう。
紫の瞳。無垢で、生真面目で、優しい瞳を見つめる。その眼差しに、情熱を抱いた昔を思い出す。
銀の髪。深い、青の瞳。
優しすぎる人。
「行った所で、気軽に会えるような人ではないのですよ」
賢い子どもに、偽ること無く答える。
「村を一度出たのでしょ。どうして戻ってきたの」
知りたがりな子どもを前に、やはり老婆は、困ったように笑う。
森に迷い込み、怪我をしたのを見つけたのが始まりだ。介抱をしているうちに、想いが芽生えた。けれど、老婆は村から出ることなど考えたことも無かった。
村を、森を、一歩出た所で、空気が合わずに弱っていくことも、想像がついた。
そしてそれは真実だった。
一度さらうようにして連れ出され、その熱心さにほだされ、少しの間側にいたけれど。
結局、老婆は今も村にいる。
神々の血を引く村人の中には、森の恩恵が無ければ生きていけない者がたまにいる。
平気な者たちは森を出て、慎重に連れ合いを探し、戻ってくるが、老婆には叶わぬことだった。
一度赤子を手放した身で、別の誰かと寄り添うなど。
そっと息を吐く。
おゆき、と子どもの背を押した。諦めている子ども。受け入れてしまった子どもの背を、老婆は手ずから促した。北に向かう子どもを見ながら、そっと息を吐く。
途中で、道はなくなるだろう。
けれど、それでも真っすぐ北へ抜けられたとして、子どもの足で、二日。
三日目に、あの子はヴェニエールの雪を踏むことになる。
確信があった。迷うこと無く、あの子はヴェニエールへ辿り着く。
あぁ、とその場で祈るしか無かった。北へ去ってゆく小さな背中。どうか、どうか、と。
村の掟に諾々と従っていながら、口に出すことはできなかったけれど。
——大丈夫ですよ! 私はこちらを目指します! 帝国にも、神聖王国にも、用はないので!
かつてこの場所で、軽やかな声を聞いたことを思い出した。
みすぼらしい身なりにもかかわらず、洗練された立ち居振る舞い。顔はかぶり物で隠していたけれど。活力に溢れた青年の、明るい声。
あの青年は、北でも南でもなく、今老婆が立っている道を真っすぐ進んで行ってしまった。南から来て、老婆と少しの会話をして、西へと。
森の拒まれた様子も無く、あっけらかんと笑っていた。
西には、何があっただろうか。あぁ、あの青年の声が、かつて愛してくれたあの人の声と混ざり合う。分からなくなる。
老婆は小さく息を吐き、北を見る。道は一本でも直線ではなく、子どもの姿はもう見えなかった。
そっと踵を返し、村へと戻る。
その背後。かつて出会った青年が去って行った、森の西端。
そこが、神聖王国辺境伯爵領と呼ばれている場所であることを、老婆は知らない。
老婆が子どもを送り出した三日後。
ヴェニエールに春が戻った、という知らせが届いた。
読んでいただきありがとうございます!
前回同様どきどきしながら。今回のお話が、非常に分かりにくくなっています。なんでこう、進んでややこしくするんでしょうね。誰がこうで誰がああなのかってっていうのは、読めば分かるようにしてあるはずなんですけど。分からなくても大して読み進める上で障害にはならないので、流してしまっても構いません。
よろしくお願いします。




