4.信じていない君に、救えるものなど何も無い。
金髪の娘は、まぶたを閉じたまま。眠るようにして、寝台に横たわっていた。
開け放たれた窓から入り込む冷気に気付いて、青年は踵を返してそっと窓を閉める。
そうして、何事も無かったかのようにレオンセルクへと向き直り、優雅に礼儀正しく、貴族の一礼をした。
「やぁ、初めまして。私はエリオ」
にっこりとした笑顔とともに、青年エリオはレオンセルクに手を差し出した。友好の握手とでも言うのだろうか。
目的が分からず、レオンセルクはその手を無視する。
彼の深海の瞳は、まぎれも無くそこで眠っているエレオリアと同じものだった。
考えるまでもない。きらめく銀の髪、深海の瞳、その整った顔立ち、美しい動作に、滑らかな大陸公用語。
『エリオ』
神聖ニルヴァニア王国王太子、エリオローウェン。
(どうして、エリオローウェンがこんな所に)
仮にもヴェニエール帝国の後宮、その奥の奥、もっとも警備が厳重で、入り組んだ城内の一角のはずだった。なのに、何食わぬ顔でエリオローウェンはそこに立っている。
放浪癖があるという噂は知っていた。好奇心旺盛で、耳にはいった信じがたい出来事は自分の足で赴き、自分の目で確認しなければ気が済まない性格だとも。以前、エレオリアから聞いていた。
しかし、
(そんなことよりも)
エレオリアを、見られてしまった。よりにもよって、元婚約者だと言う、ニルヴァニア王国の王子に。彼女の死の知らせが、偽りだとばれてしまった。
ここでようやく、レオンセルクは護衛兵を呼ぶべきか逡巡する。わずかな兵しかおいていないが、それでも声を張り上げれば駆けつけるだろう。
しかし、捕らえた所でどうするか。神聖王国を敵に回すのは、どう考えても割に合わない。
警戒するレオンセルクに、エリオローウェンは笑みを浮かべたままエレオリアへと視線を投げ掛けた。
柔らかな口調で、問いかける。
「私の知っている子に、よく似ている」
瞬間、嘘はつけないとレオンセルクは思った。
「この子の名は」
「……エレ、オリア」
問いかけに、ただ答える。目の前に佇んでいるだけのエリオローウェン。その存在、身に纏う清廉さに、偽りを口にすることができなかった。
真実しかその耳に入れることを許さない、有無を言わせぬ強制力。
この人が、王になるのだと思えた。
この人こそが、大陸で最も伝統ある王国の王に相応しいと、それを体現しているのがこの青年なのだと。
暴君であった父が後継に求め、そして、レオンセルクにわずか見出したものが、これなのだと。
「エレオリア」
その形の良い唇が、レオンセルクの最愛の名を口にする。本来彼が彼女に愛をささやくはずだった。どんな運命を持ってか、エレオリアは今、ここにこうして、レオンセルクの側にいるけれど。
「生まれたときから私の伴侶と定められていた女の子も、そんな名前だった」
咄嗟に思ったのは、奪われる、そのただひとつ。
諦観と執着が、同時にレオンセルクの胸に押し寄せた。二つのせめぎ合いの結果、何も口にすることもできずその場に立ちすくむ。二人の男の目が合った。「奪ったりなどしない」エリオローウェンの深海の瞳は言う。
レオンセルクのくすんだ瞳が、ひとつ、ふたつと瞬きに隠れ、やがて目を閉じたまま、息を細く長く吐き出した。
エリオローウェンは横たわるエレオリアを見下ろして、身を乗り出し、その手で頬を撫でる。
「この子から、もう何一つ、奪いたくない」
扉の前に佇んだままだったレオンセルクは、ふらふらと部屋の中程にある長椅子に腰掛ける。
では、エリオローウェンはそのエレオリアをどうするつもりなのだろう。口にもしていないのに、レオンセルクの思考をなぞったかのように、エリオローウェンはエレオリアを見つめたまま、その思考に答えを与えた。
「私の知るエレオリアは、とっくの昔に死んでいる。どんなに似ていても、この子は別のエレオリア。君が愛し、恐らく、君のことを愛した、私の知らないエレオリアだ」
こんな、とエリオローウェンは喜びを滲ませて、泣きそうな顔で続ける。
「こんな、幸せそうに眠るリアを、私は知らない。私が幸せにできず殺してしまった女の子は、もうこの世界に存在しないんだよ。レオンセルク」
銀髪の青年は、そうして覗き込んでいた身体を起こし、エレオリアからそっと離れる。長椅子に腰掛け顔を覆っているレオンセルクの側により、その隣に腰掛けた。
「君が、彼女を幸せにしてくれるんだ」
問いかけが、断定へと変わっていた。
あぁ、とレオンセルクは思う。この青年は、決定的に間違えていると。ただ彼女が眠っているだけだと思っている。
そんな、都合のいい話であれば良かったのに。
彼女は目覚めない。一年もの間、一度だって。
だと言うのに、幸せにするのだとこの青年は口にする。
(できたと、思うのかい)
「思うよ」
心中での吐露であったはずなのに、エリオローウェンは的確に言葉を発してきた。
王者たる風格がなせることなのか。何も知らない上での断定を、いつもならば拒みたくなるにもかかわらず。その抱く希望がどこか物悲しく、ただ辛かった。
レオンセルクは顔を覆ったまま動かない。けれど、彼女と同じ深海の瞳をきらめかせて、美しい青年は泣きそうな顔で微笑んだ。
「だって、君とあの子を繋いでいるものがある」
(何)
両手から、わずかに顔が浮く。今、エリオローウェンは何を言った。
何を、言い出すつもりだ。
「エレオリアは、生きている。生かされている」
知っている。栄養剤もなにも施していない彼女の身体は、だと言うのに心音を途絶えさせること無く眠り続けている。
それが、何によってかなど、考えた所で分かるはずも無かったというのに。それをこの青年は知っているかのような口ぶりだった。
「目覚めた時に、また会えるだろうか。謝罪の言葉も償いも受け止めてはくれないだろうから、せめて、友人として、幸福を祈っても許される場所に立てるだろうか」
その日がくるのを心待ちにしている。本気で。
「いつ、目覚める。どうすれば、エレオリアは戻ってくる」
思わずレオンセルクは口にしていた。希望を抱きかけた。
それに対して、エリオローウェンは涼やかな声でこたえる。
「春を」
思わず、レオンセルクは両の手から顔を上げた。隣に座るエリオローウェンの顔を凝視する。青年は凛と厳しい表情でレオンセルクを見ていた。
「はる……?」
この、冬に呪われたこの国に、呼べというのか。春を。数百年もの間、雪に閉ざされてきた、この国に。
「信じられないって顔をしている」
困ったように笑う。それでも美しいというのだから、世界に望まれた王子というのはいやになる。レオンセルクの顔が、弱々しく歪んだ。その表情を受けて、エリオローウェンが眉を下げ、微笑み、そっとまぶたを閉じる。
「信じていないね」
何を。
神をだ。
言葉を交わさず意思が伝わるのをなんとする。君はこれが、なんだと思うのかと、エリオローウェンは問いかけた。
けれど、レオンセルクはその問いに答えることは無かった。ただ、信じられないものを見る目で、エリオローウェンを見つめ返す。
「……ここで、さきほどあなたはエリオと名乗った。……あなたは、いったい誰だというのか。いったい、何者だと?」
エリオローウェンから、こころなしか表情が消える。
「知っているか、レオンセルク。人は、人から思われると、そうなるしかなくなる。物心つく前から他人より「そうであれ」と言われ続ければ、それに抗うよりもずっと、その通りであろうとするほうが、易しいのだと」
レオンセルクのくすんだ瞳から目をそらさずに、エリオローウェンは右手で拳を作り、自身の胸に押し当てた。
「それから逃れる為に、私はエリオと名乗ったのだよ」
読んでいただきありがとうございます!
この人達、この時点でそろって26くらいなんだよなぁ……。




