2.こうして少女は名を厭う。
大陸歴 1524年 最後の月、エレオリアが、19の誕生日を迎え、そして、寝台に横たわったまま返事をしなくなったあの日。あれから14年。
大陸歴 1538年。春。
レオンセルクはその間の日々の記憶を曖昧にしか覚えていない。時折噂を耳にして、忘れて、ひたすら後宮の奥の奥に引きこもり、機械的に雑務をこなす毎日。表には宰相を立たせ、色に狂った皇帝と好きに噂させ、一歩間違えれば宰相の傀儡になったかに見えるようにして。どうせ、先帝の暴力により腑抜けぞろいとなってしまった形だけの議会だ。
いずれ、息子のエヴァンシークが跡を継ぐのだとわかっていても、本当に継ぐのだろうかと笑ったりして。苦労する息子がぼんやり浮かぶのに、腐敗していく帝国中枢を放置し続けた。あぁ、時折きまぐれに国をひとつふたつ潰したかもしれない。
ロードロスはすごいなぁ、と笑みがこぼれる。はりぼてのようなこの大国を、なんとか支えているのだから。私欲に身を落とすことも無く、いつかの為に、国を保っていてくれている。
かつて、先帝によって制限された手数のなか、議会を支え続けただけはある。
エレオリアの為に集めた侍女は、気がつけば一人また一人と姿を消して。城を出た後の勤め先などは宰相が世話をしてやったのだろうか。最後に残ったのはたった一人。宰相がまた何を考えているのか。
その最後に残った侍女は、不可解な立場に立っていたけれど。しかし、異議は唱えなかった。ロードロスが必要ならと、レオンセルクは彼女を放置した。
この国は、彼がいれば心配ないのだ。
だから、レオンセルクはエレオリアの寝台の傍ら、ただ、彼女を想っていられた。
それでも、今回彼が彼女と出会った片田舎に足を運んでいたのは。
『エヴァンにも時々会いにいこう』
いつだったか、レオンセルクが最愛に向かって言ったからである。彼女と出会った春の初めに、時折片田舎へと足を運んだ。
たった一人ででも。
最愛ゆずりの美しい金髪で、金の睫毛を瞬かせて。いつの代の皇帝譲りか、瞳は菫色だったけれど。
片田舎、かつてレオンセルクが研究に従事していた国内指折りのアカデミー、そのすぐ側にある小さな街で、エヴァンシークは健やかに育っていった。
そうして、街の外れ、アカデミーの向こうのお屋敷の、少女の噂を聞いたのだ。
ひどいことを言った自覚があるだけに、腕の中の少女が「またきてくれる?」と問いかけてきたときは驚いた。
恥ずかしそうにはにかむ少女は、レオンセルクを見つめながら、だって、と囁く。
「お兄さん、似ているのだもの」
誰に、と瞬くレオンセルクへ、あのねあのねと少女は耳に口を寄せて囁いてくる。
つまりは、彼女はその人へ恋をしているのだと。
レオンセルクは小さく笑うしかなかった。十歳になるかどうかの少女から、そんなことを言われてしまって、どう反応すれば良いのか。少女は息子よりも年下だというのに。彼女が恋する相手といえば、いったいいくつになる少年だろうか。
そういう自分は今いくつだと頭の中で指を折り始める。
「その人も、エレオリアと同じなの」
レオンセルクの腕の中、少女は彼の胸に顔を埋め、か細い声で囁いた。
「もう、どこにもいないの……」
結ばれなかった二人は、今頃天国で再会しているのかしら。
でも、エレオリアは幸せになどなれないのだわ。
だってあの人は、プリマ様を愛しているから。きっと、天国でも、プリマ様を愛すのだわ。
少女の囁きに、思考回路が停止する。誰の話をしているのか。少女の好きな相手の話ではなかったのか。エレオリアと同じで。どこにもいなくて。
(結ばれなかった、ふたり)
まるで、その少年はエレオリアが結ばれるはずであった存在であるかのように。
レオンセルクにだって分かっている。
そんな存在は、たった一人しかいないことを。
「死んだ……?」
少年などではなかった。幼い少女が、大人の男に憧れを抱くのは、珍しい話ではない。
神聖王国の王太子。
行方不明になったと聞いていた。
賢王のひとり息子でありながら、民から絶大な人気を誇る、何もかも約束されたかのような王太子。
あちこち国を巡るのを趣味にしていたが、ある時、書き置きを残して城から姿を消した。その際、血筋にまつわる、継承権など全ての関わりを放棄する手続きをして、と。
そういう噂を、耳にしたことがあった。
今の今まで忘れていたけれど。
『君は、彼女を幸せにしてくれたのかな』
暗がりで、そう呟いた青年を思い出す。
「エリオ……」
エリオローウェン。
レオンセルクのつぶやきに、少女がしまった、と顔をしかめた。
「君は、彼に会ったことがあるの」
彼が行方不明になったというのは今から十年以上前で、少女はまだ生まれていないはずだ。
「……違うわ」
そっぽを向いて何も喋らないと主張する少女に、どうしようかと息を吐く。まわした腕に力を込めて、よいしょ、と抱き上げた。悲鳴を上げる彼女に、いつかを思い出してくつりと笑う。
公爵家の人間が知っていて、王族が知らないわけはない。
では、エリオローウェンは許されたのだろうか。最愛を見つけ、その女性と結ばれることを。
エレオリアと結ばれなかった彼は、最愛を見つけることができたのか。
「会って、話をしたかったな……」
誰からも愛された、エリオローウェン。
あぁそれでは、先ほど少女が言ったレオンセルクに似ている人、というのはエリオローウェンか。
気がついて、そっかそっか、なかなか面白いことを言うねこの子は、と年の割に軽い少女の頭を撫でる。
賢王のもと、民に愛され、王位を放棄したエリオローウェン。
暗君のもと、誰にも愛されず、皇帝として君臨しているレオンセルク。
お互い父親に対する反動でそうなったというのは、まず間違いない。
(似ていないことの方が、多いと思うけれどなぁ)
レオンセルクの首に手を回し、恐る恐る足下を覗き込む少女は、抱き上げられることに慣れていないのだろう。
あっさりと寝台の上におろしてやり、毛布をきちんと胸まで被るように促す。
「次の約束は、できないよ」
そう、と呟く少女の頭を撫でる。
「名前を聞いても?」
「……私は、エレオリアじゃ、ないの」
名前の響きで、重ねられるのは、いや。だから、教えたくないのだと、少女はぽつりぽつりと続けた。
「似てない所をとって、愛称にするのではだめかな?」
「……」
まさかまったく同じ名前とは思いたくないが、似てない所がないといわれたら打つ手がなかったが、少女は少し考えて、呟いた。
「ユリィ」
どんな名前からとったらそうなるのか、まったく推測できない呼び名に、レオンセルクは瞬く。それはほんの少しの間で、少女ユリィに気付かせることなく、笑みへと変えた。
「それじゃぁ、ユリィ。またね。なにか、困ったことがあったら私を頼りなさい。この辺りの常識を考えない医師達とは仲良しだから、案外簡単に連絡ができるかもしれない」
そういえば、とまた、遅まきながら気がついた。
公爵家の少女。
エレオリアの、妹の、娘。
(君は、エヴァンシークの従妹になるんだ)
外縁とはいえ、良い歴史も悪い歴史も紡いできた微妙な関係の王国中枢と、帝室が血縁を持ってしまった。
しかも、ユリィは将来神聖王家に嫁ぐことが決まっているという。
つまりは、未来の国母たる可能性を秘めている。
すべてはエレオリアを愛したレオンセルクが原因だった。
実際はエレオリアとエヴァンシークの関係を説明できるものなど何も残っていないため、永遠に明かされない繋がりになるのだけれど。
(もともと一つの国だったのが、別れて久しい現代に、こうして、一つに集約されていくようだね……)
王家の血、縁とは。
しかし未来は、そんな予測可能の単純なものではないのだと、まだ、誰も知らない。
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