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1.私は何も悪くないのに。

お待たせいたしました。

 春を


 どうか、春をよんでほしい


 エレオリア




 この手に、どうか、春を





 雪やまぬ国の片田舎。

 そこには、神聖王国のとある貴族が、避暑地として建てた屋敷があった。


 その屋敷の一室で、少女が白い息を吐き出す。


「寒い」


 言葉とともに、眉が寄った。


「いくら医療が進んでいるからと言って、こんなにも寒い所で治療なんてできるの」


 悪化するのでは、と平坦な調子で呟きながら、一人きりの室内で首を振る。

 波打つ長い髪を揺らし、少女は憂鬱に窓の外を見上げ、ため息を吐いた。扉を叩く小さな音に、客人を医師だと見当つけ、少女はその顔に笑みを浮かべた。治療をしてくれる恩人を、できるだけにこやかに迎え入れる。




 広い屋敷を、レオンセルクは歩いていた。戸惑いの声を上げて後を追ってくるのはこの屋敷をまかされている老人で、レオンセルクの身分も何も知っているはずだったが、思いのほか正直な物言いをするため気に入っている。

 白衣を身に纏うレオンセルクは、どう見てもこの屋敷に出入りする医師たちの中の一人にしか見えなかったが、そうでないことは老人も医師たちも、レオンセルク自身も知っていた。


 療養中の少女を尋ねる気になったのは、ただ気が向いたからだった。たまたま近くにきて、たまたま、若い娘が屋敷で一人治療を受けているという話を耳にして、何となく見にきただけだった。

  午後の診療が終わったのだろう、研究室に戻る所の顔見知りの医師と入れ違いに部屋へ入る。


 そこにいたのは、金髪の少女だった。


 静かに寝台の中で上体を起こし少女の右手側の窓の方を、レオンセルクが立っている扉に背を向ける形で、じっと見つめていた。何となく声をかけにくい気がして、レオンセルクはただその場に立ち尽くす。

 ふ、と少女の吐息が響いた。


「外に、行きたいわ……」


 どきりとする。レオンセルクの足が思わず一歩前へ出た。

 こつりと響いた足音に、少女がさっと振り返る。金の髪がひるがえるほど素早さで。その瞳が、レオンセルクをひたと見据える。


(あぁ)


 その眼差しを受けて、レオンセルクはたじろいだ。どうしようもなく、たまらなくなって、自然両手が顔を覆う。その直前、少女の小さな問いかけが、耳に触れた。



「……悲しいの」



 それは少女の感情なのか、それとも、無様に狼狽うろたえ崩れ落ちそうになるレオンセルクへの問いかけなのか。

 少女の眼差しを、レオンセルクは受け止められなかった。


 金の髪、その、整った目鼻立ち。


 しかし少女の翠の目は、これがユメマボロシではないことを、告げていた。




 顔を覆って立ち尽くす男に、少女はそっと寝台から抜け出した。

 この人は誰だろう、そうぼんやりと思いながら、すぐそばに立つ。見上げるほど高いのは、彼が大人で、自分が子どもだからに他ならない。


「知っているの?」


 少女は、知っていた。こんな風に、少女を見て狼狽える大人を。

 祖父が、祖母が、王室関係者が。母でさえそうなのだ。少女を見て、彼らは嘆く。少女が愛したあの人も、少女を通して別の誰かを見ていた。


「《エレオリア》」


 囁けば、男の肩が跳ねた。それを見て、あぁ、この人もなのだ、と理解する。


「綺麗な名前。私、大好きよ」



 あぁ、エレオリア、エレオリア、エレオリア。誰からも愛された、今はもういないあの人。

 エレオリア。

 彼女が亡くなってから十六年。その美しい響きの名は、それほどの月日を経た今もなお、人々の心をむしばむ魔女の名前だった。


 少女は、まさにその身替わりとして育てられているのだから。



「王子様との婚約を解消したあと、このお屋敷で、エレオリアは死んだのですって」


「……君は誰だい」


 似すぎだ、と男が呻く。翠の目以外、生き写しのようだ、と言われるのだろう。言われてきた。少女は淡く微笑む。


「エレオリアは、母の姉にあたるの。私はね、病気でこの別荘にきているの。エレオリアと同じ病気。でも、治療法が見つかって、国外にその知識が出回るようになってからずいぶん立つのに、それでも、私はここにくることになったのよ」








 どういうことか分かる、と少女はレオンセルクの服を掴んだ。

 齢十になるかならないかの少女が、年に見合わぬ表情でレオンセルクに訴えかけてくる。


「エレオリアを知っているのでしょう」


 愛するあの人と同じ病だと少女は言わなかったか。レオンセルクはハッとして、それ以上興奮するんじゃない、と少女の肩に手を添える。


「あの人と同じ病気なの、治療の為にこの別荘にきたの。病気が治って、王国に帰ったら、王国の王子様と結婚するの。名前でさえも、エレオリアの音をとって名付けられたの」


 語られた言葉に、レオンセルクが息をのむ。

 まるでそれは、エレオリアの人生の上書きのような。


「誰のせいでもないのに、悲しくなるのはどうしてなの」


 そうであれ、と育ってきたのだろう。

 容姿が似ていることも、同じ病をもって産まれてしまったことも、この少女のせいではない。

 この屋敷はそもそもエレオリアの実家である伯爵家の持ち物ではないと聞かなかったか。その、妹が嫁いだ先。公爵家の、ものだと。

 公爵家。

 ならば、王家に嫁ぐのも必定だろう。この少女がエレオリアに似ているかどうかなどは関係なかったに違いない。

 けれど、これは、あまりにも。




 手を伸ばさずにはいられなかった。見上げてくる少女の傍らに膝をついて、手を広げて、その細い身体を抱きしめる。

 それでもなお、少女は年に見合わぬ眼差しで。




「あなただって、エレオリアが好きだったのだわ」




 違うよ、とレオンセルクは囁き返す。




 今でも、愛しているのだよと。

 少女に対してでは追い打ちにしかならぬのだとしても。誤魔化すことの方が、ひどい大人だと思って。


読んでいただきありがとうございます!


お待たせいたしました。いろいろ考えた結果二章開始です。

お気に入り登録、評価など、ありがとうございます! がんばります。


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