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18.そして世界に響く悲嘆の声。


 エヴァンシークが産まれたその年。他国で言う春や夏、秋にあたる時期は、例年に比べ雪の少ない年だった。

 ときおり日差しも後宮の中庭を照らすほどで、エレオリアとレオンセルクは、息子を遠い地にやる前の、一年間の猶予を日々惜しむようにして過ごしていた。

 エヴァンシークを産んでしばらく寝台で寝込む日々が続いたエレオリアはだが、二ヶ月ほどすると侍女たちとともに部屋でエヴァンシークをあやすようになった。

 レオンセルクによるエレオリアの病に関する研究もうまく進み初め、彼女の病に有効な薬まであと一歩というところまできていた。何もかもが、上手くいっているように思えた。


 その年の終わり。


 エレオリアは、十九を迎えた、その日。


「ねぇ、レオン、神様でなくとも、世界に融けることはできるだろうか」


 昼頃エレオリアの部屋を訪れたレオンセルクは、寝台の上で微睡む妻の姿に近寄り、そんな言葉を耳に入れる。


「エリ? また、古い戯曲の話?」


 レオンセルクの姿に気付いて、エレオリアは微笑んだ。エヴァンシークは別室で侍女が見ている。


「そんなことより、もうすぐ見つかるかもしれないよ、エレオリア。そうしたら薬を作ることができる」


 研究の成果を伝える為の訪問だった。レオンセルクは上体を起こそうとするエレオリアを手伝って、そのまま抱きしめた。


「君の病が治ったら、旅行をしよう。長くは空けられないけど、国を出るんだ。雪は見飽きただろうから、南の方へ、花を見に。そうだ、君が以前育てていた白い花、異国でも見られるんだ。でもきっとびっくりするよ、だって」


「たとえ、世界に融けたとしても」


 レオンセルクの言葉を遮るように、彼の耳元でエレオリアが囁く。


「あたしは、あなたを愛してる」


 それは、古い戯曲にない一節。けれど、レオンセルクには分からない。きょとんと瞬いて、本当に好きなんだね、とくつくつ笑う。


「探せば、その戯曲をやってる一座もあるかもしれないね。僕も見てみたいな」


 いつか一緒に見れたら良いなぁと、そういって、レオンセルクはエレオリアからはなれた。


「エヴァンシークの顔をのぞいて、研究に戻るよ。あぁ、皇帝の仕事もしているから安心して。怒らないでよ。ロードロスにずいぶん助けてもらっているけど―—、君の病気が治って、エヴァンが手を離れれば、少しは余裕もできるかな。そうだ、エヴァンにも時々会いにいこう。僕たちの身分も本当の関係もあかせないけど、そういうことができるように便宜を図るよ」


 遠くにやる意味がなくなるかなぁと皇帝は楽しそうにして、それじゃぁ、とエレオリアの頬を撫でる。


「君には今」


 どの侍女がついているのかな、と室内を見渡せば、見覚えのある侍女が一人控えていた。瞬いて、首を傾げる。


「……他の侍女もいたよね? 僕のくる時間の問題かな。いつ見ても彼女じゃないか」


 栗毛の侍女。ルティーカが深く深く頭をたれる。

 まぁいいか、とレオンセルクは一つうなずき、また夜に、と寝起きの為か反応の薄いエレオリアの頭に口づけを落として、部屋を出て行った。

 ルティーカが、そっとエレオリアを見つめる。


「たとえ、世界に融けたとしても……」


 あぁ、とエレオリアが肩を震わせて顔を覆った。


「あなたを感じられなければ、意味がない」


 古い古い戯曲の一節。神様が嘆いたという、世界に響いたその歌は、戯曲それ自体はもうあまり知られていない。

 ただ、その一節だけが、人の耳に残っている。


「だから、永遠に」




「別れを告げることの、できぬまま」







 夜、皇帝陛下が、後宮へと駆け込む。


「エレオリア! 完成したよ! 明日から治療を始めよう。経過を見ながらになるから、いつまでかは分からないけど、でも、エレオリア?」


 静かな、暗い室内。最低限におさえられた照明の中、昼間と同じ場所に、ルティーカが佇んでいた。


「エレオリア? 眠っているの?」


 寝台脇に膝をつく。横たわるエレオリアの髪を、そっと掬った。夜ではあっても、眠るにはまだ早い。容態が急変したという連絡はもらっていない。

 ここしばらくいつ見ても蒼白だったルティーカを振り返る。そこに、表情はなかった。

 能面のような、なんの感情もうつしていない。レオンセルクが振り返りなにか聞きたそうにしているのにも関わらず、その視線はエレオリアへとそそがれていた。

 レオンセルクも、エレオリアへと視線を戻す。


「……エレオリア?」


 震える手を、愛する妻へと右手を伸ばす。


 その頬に、指の甲でそっと触れた。閉じられたまぶたを親指の腹でそっと撫でる。もう一方の手を伸ばして、両手のひらで、その顔を、包み込む。


「……えれ、おり、あ?」


 まぶたは閉ざされたまま。

 言葉は、かえってこない。






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