16.娘の懸念と人々の祈り
大陸歴1523年
冬を目前にして―—、繰り返すようだが帝国ヴェニエールは永遠の冬に閉ざされている。よってこの季節の言葉は他国にのみ使われるものだが、冬を目前にして、レオンセルクは宰相を後宮へと招いた。
「陛下、後宮に呼びつけるとはいったいどういうつもりですか。ここは本来陛下以外の男子禁制の場で」
そんな小言とともに、宰相は侍女に案内され開けられた部屋の扉をくぐる。そうして、寝台に腰掛けるレオンセルクの姿を目にした途端に言葉が消えた。
「紹介しよう、ロードロス」
歌の振り付けのようにレオンセルクは立ち上がりながら左手を差し出す。エレオリアはその手を支えに寝台を抜け、レオンセルクの隣に寄り添った。
「この国の皇妃になる、エレオリアだよ」
「な」
「な、何を言っている」
素っ頓狂な声に、レオンセルクは楽しげに笑った。宰相は瞬いてエレオリアを凝視しているが、その口は一音を発した状態のままだ。
「れ、れおんせるく、そんな話は」
「君こそいったい何言ってるの? 僕が、君以外を隣に立たせるとでも?」
けろりとしたレオンセルクの言葉に、つかみかからんばかりの勢いで言葉を紡いでいるのは、エレオリアだ。そんな話は聞いていないぞと詰め寄るその身体を、それ幸いにとレオンセルクが抱きしめる。
そして、宰相へ柔和な笑みとともに視線を向けた。
「あぁそうそう、春と呼ばれている時期が来るまでに産まれるから、そのつもりで」
さすがに性別は分からないなぁと腹部に触れてくる手に、エレオリアは居心地悪そうに顔をしかめた。
「はなせ、宰相と話がしたい」
「僕に席を外せというの?」
「そんなことは言っていない。だがこのままでは話がしにくい」
食い下がろうとするレオンセルクの姿を見かねて、宰相がかるく咳払いをすると、レオンセルクはエレオリアから身体を離した。くつくつと楽しそうに笑いながら、寝台に再び腰掛ける。
ゆれる亜麻色の髪を恨めしげに眺めてから、エレオリアは宰相へと向き直った。
「宰相閣下様、はじめまして。エレオリア、と申します」
「ギルベルト・ロス・ヴァイスマンです。宰相を務めさせていただいています」
かるく下げた頭を上げて、エレオリアは深い蒼の瞳を丸くする。聞いた話では、エレオリアの父よりも年上という話だったが。
灰がかった黒髪に、いつか故郷で見た春の空のような薄い水色の瞳。理知的な眼差しを受けながら、エレオリアは息を吐いた。
「ずいぶん、お若い……」
「いえいえ、これでも先帝陛下より少し年上ですよ」
老けないのはともかく、貫禄がいつまでたっても出ないのは困りものですね、と宰相、ヴァイスマンは笑った。
「ロス卿、と呼んでくださっても構いません。みんなそう呼ぶので」
変わっている、とエレオリアは瞬いたが、口にはしなかった。
それで、皇帝陛下、とヴァイスマンの低い声がした。何かおかしいとエレオリアが首を傾げた時、ヴァイスマンの唇が弧を描く。
「そのエレオリア姫、どこから攫ってきたんです」
「いやだな、人聞きの悪い」
正しくその通りじゃないか、とエレオリアは呆れたが、口だしはしない。巻き込まれる上に、ややこしくなる。ともあれ、なぜヴァイスマンは気付いたのかと首をかしげる。
「エレオリアという名前の、そこの姫君と同じ年頃の姫に覚えがあるのですが、私の思い違いですよね?」
「だろうね」
「そうですよね。一年も前にお亡くなりになっているという話ですから、私の気にしすぎですよね」
「それはもう」
「そのお方が金髪の可愛らしいお顔をした、青い瞳の持ち主だとか、そういった特徴の一致も、ただの偶然ですよね」
「この国で金髪に青い目なんて珍しくも何ともないじゃないか」
ねぇ、と背中から笑いかけられたが、エレオリアは振り返らなかった。引きつりそうになる口元をなんとか上品な笑みの形にとどめ続けているのだから、褒めてほしいくらいである。これは、思いのほか自分が有名だったと思うべきか、それともヴァイスマンが単に詳しいだけなのか。いいやそれとも、元婚約者の有名さを恨むべきか。
レオンセルクは楽しげな声で言った。
「それとも、僕とエレオリアがどんな出会いを経て今ここにいるか、聞きたいかい? ロードロス」
「いいえ。知りたくもありません。あなたの裁量でまかり通っていることであるなら私は知らぬ存ぜぬを通します」
ヴァイスマンの突き放すような物言いにも、よろしくお願いするよ、とレオンセルクは笑うだけだった。
そのあっけらかんとした反応にヴァイスマンは苦笑を浮かべ、それでは、と話を変えた。
「式はいつになさるんです。半年後にはお生まれになるだとかそんな話を先ほど耳にした気がしますが気のせいですか。というかなぜもっと早く言ってくださらないんですか」
「僕らだってついこの間気が付いたんだよ」
エレオリアは黙ったままだった。ふと後ろから腕を引かれ、寝台に座らされる。「横になってる?」とその言葉は、どう考えてもエレオリアの体調を気遣ったもので、いつもこうであったらいいのにとエレオリアはぼんやり思いながら、ふと口をついて言葉が飛び出した。
「式は、あげません」
言ってから、はっと瞬く。顔を上げると隣に腰掛けるレオンセルクが覗き込んできていて、ヴァイスマンもエレオリアを注視していた。
居心地悪い思いをしながらも、エレオリアは繰り返す。
「式は挙げなくていい、です。レオンセルクは、私を表舞台に立たせるつもりはないのでしょう?」
そうだけど、とレオンセルクは困惑顔でため息を吐く。
「小さなものでも」
「いいんだ。参列する客人もいないだろうし、いっそのこと、書類も作らなくていい」
エレオリア、という咎めるような声にも構わず、さらに続ける。
「なんなら、この子は母親のことを知らないままでも良い」
思わせぶりな視線に、レオンセルクは瞬いた。あぁ、と嘆息して、目を伏せ、ごめん、と囁く。
「ずっと、言うつもりだったんだけど、なにか気付かせてしまったのかな」
独白のような囁きに、エレオリアは何も言わず首を振った。何も聞かされていないヴァイスマンだけが、ただ、なにごとか告げられるのをじっと待っている。
「……産まれた御子が、女の子なら信頼の置ける侍女の元に。男の子なら」
言葉は切られる。レオンセルク自身、葛藤を抱えたままの決断であることが分かった為、エレオリアに非難の言葉を口にすることはできなかった。
「遠い辺境で」
城で育てることはできない。レオンセルクの言葉に、エレオリアはうなずいた。冷静なその態度に、なぜ、とヴァイスマンが呟く。その小さな囁きに答えたのはエレオリアではなく、レオンセルクだった。
「エレオリアの病を、治さなくちゃいけない」
子どもの無事と、エレオリアの身体を、同時に見ていることができないから。
「うん。わかった」
反発しない妻の言葉に、レオンセルクこそが傷ついたような顔で目を閉じた。それを見て、エレオリアは苦笑する。
「そのかわり、お願いがある」
「聞く!」
内容も聞いていないのに、レオンセルクの即答にエレオリアはなおも笑いをこらえた。言質は取ったぞ、と呟いて、その「お願い」を口にした。
「一年だけ、待ってほしい」
御子が産まれて、それが男であっても女であっても、一年だけ、手元で育てることを許してほしい。
それから。
まだあるの? という視線に、エレオリアは俯いた。むむ、と少し呻いて、そっと深呼吸をする。
「御子の名前を、考えてほしい」
いっしょに、という言葉は小さくしぼんでいった。じっとすぐ隣から見つめてくる優しいまなざしに、エレオリアの気恥ずかしさが増大する。
にこにこと何も言わずに見てくるものだから、エレオリアが先に我慢できず問いかけた。
「なんだ」
「信じてくれたんだなーと思って」
「何を」
「僕が、君を死なせない、と」
真っすぐな、冗談ではなく本気の言葉に、ため息を吐いた。
「信じさせたのは、あなただろう」
レオンセルクがにっこりとしたとき、扉を叩く者があった。侍女の一人が、言伝をその場で告げる。後宮入り口の見張りの騎士からで、至急皇帝陛下の指示が欲しい、とのことだった。
二つ返事でレオンセルクは立ち上がる。「すぐ戻るよ」と、そういって、彼は皇帝陛下の顔をして部屋を出て行ってしまった。
それぞれ取り残されたエレオリアと、そして、二人のやり取りをずっと黙ってみていたヴァイスマンは、顔を見合わせ、苦笑する。宰相は皇帝が出て行った扉の方を見つめて、ため息を吐いた。
「出会ったばかりの男女を二人きりにするとは……」
私の見込み違いだったかな、とさらには呆れ顔であごを撫でる。信頼の証だろう。そんなことは、ヴァイスマンも分かっているだろうにとエレオリアは笑みを崩さない。
「非公式であるこの場を顧みずに、二つ返事で行ったのだから、きっとよい王様になると思います」
「けれどそれも、あなたがいてこそ、でしょう」
静かな声だった。
扉に向けられていた薄い青の瞳が、エレオリアにそそがれる。
「約束してくださいますか」
「はい」
金髪の娘は、疑問符をつけ損なった、ただの相槌とともに首を傾げる。
「あのお方を置いていかないと、約束してくださいますか」
そんなもの、レオンセルクの腕次第だろう。エレオリアの命は、レオンセルクのものなのだから。
そんな解答は許されないと分かっている。そんな、やがて明らかになるであろう全ての結果を、レオンセルクの行動でのみ導かれたのだと言い放つことは、できるわけがない。
(この人は、気休めが欲しいのか)
昏い瞳をして、エレオリアは考える。表情はあくまでも取り澄ました微笑みで、その瞳に気付いているのは恐らく、侍女のルティーカだけだろう。
ゆっくりと一度瞬いて、さらに笑みを深くした。
そっと自身の腹部を撫でる。
「この腕に、この子を抱くと決めています」
それまで、死んでなるものですか、と。エレオリアはうなずいた。
それでも、と続けずにはいられない。
「私にもしもがあったとして」
前言を撤回する言葉に、ヴァイスマンが眉をひそめる。あぁ、この人も、本気で祈ってくれているのだ。
けれど、エレオリアだって希望が欲しかった。
憂いを残したまま、未来を恐れて生きたくなかった。
「私がいなくなったあとのあの人を、どうか、お願いします」
「姫」
「レオンが、私の後を追うことがないよう見ていてほしいのです」
傲慢だろうか。
思い上がっているだろうか。
後を追ってくれば良い、そう思うのと同じだけ、そんなことは許せないと思う。
ヴァイスマンが寂しげな表情でエレオリアを見つめる。
「あなたを失えば、陛下は王たる資格も失ってしまうのではないでしょうか」
「それは、私にとっての幸いとなるでしょうね」
宰相の懸念は、けれどエレオリアにとって真逆のものだ。困ったように笑うしかない。
「……というと」
「そんなの、レオンセルクが、私だけの王様となった証でしょう」
狂おしいほどに。
そうして微笑んだエレオリアの瞳の奥、ちらつくなにかに、ヴァイスマンは目を眇めた。
「あいしているのですか」
エレオリアは、笑みを深めるだけだった。
そうして部屋の隅、エレオリアの為に控える栗毛の侍女の、その蒼白な顔の理由を、ヴァイスマンが知ることはなかった。
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次回三話くらい一気にあげたいんですが、うーん。一日一話って何となく決めているので、どうしたものか。
16、17、18、19はとんとん読んでほしいので、連続更新するかもしれません。




