15.ありったけの言葉を尽くすから。
それからのレオンセルクの研究に打ち込む様子を見ていて、エレオリアは胸が縮む想いだった。
久しぶりに顔を合わせて、エレオリアはむ、と眉を寄せる。「寝ているのか」という問いかけは、今や恒例となっていた。
皇帝になったばかり、引き継ぎも杜撰なまま政治は混乱していると、レオンセルクによる規制が緩くなった侍女から漏れ聞こえる。その上エレオリアの病を治そうと、レオンセルクはただでさえ少ない睡眠時間を削っていた。エレオリアが問いかければ、きちんと寝ているよ、と笑うけれど、まったくもって信用ならない。
本当なら、レオンセルクにはエレオリアの部屋までくる時間さえも惜しいはずだ。だというのに、エレオリアがレオンセルクの部屋を尋ねるのは、あの日以来許してくれない。
相変わらず、エレオリアの横たわる寝台にレオンセルクが腰掛ける、という構図だった。
寝ているのか、という問いかけにいつもの返答を聞いて、エレオリアは思わず懇願してしまう。
「レオンセルク。お願いだ、あなたが身体を壊してしまう。だから、もう、」
「止めないでね」
被さるようにして、レオンセルクはきっぱりと言った。
「君に止められたら、僕は動けなくなってしまうから」
ここで自分可愛さに手を抜いたりなどして、君を失ってしまうことになれば。
そう言って、笑った。言葉はそこで確かに切られたはずなのに、その先が透けて見える気がして、エレオリアはぞっとした。
エレオリアが死ねば、この人もそれを選ぶとでも言いそうだった。
それはだめだ。それは、許すことができない。見逃せない。
だから、エレオリアはもうやめろ、と言えなかった。
「……無理を、するな」
「するさ」
明るいからりとした返事に、何を言っても無駄か、と逆に肩の力を抜いて笑顔を向けることができた。
「どんな無理も辛くはないよ。エレオリア、あいしてる」
そそがれる確かな自信を持った視線に、うん、とエレオリアはうなずいた。それなら、と目を細める。
「無理をして、無茶をして。あたしをけして死なせるな。どうかあたしの腕に、この子を抱かせてほしい」
そんなこと、とレオンセルクは腹部を撫でるエレオリアの手に自身の手を重ねた。
「約束するまでもない」
僕も同じものを、求めているのだから。
「そうだ、エレオリア。紹介しなくちゃいけない人がいるんだ。いいかな?」
「珍しい。公式の場にあたしを引っ張りだす覚悟でもできたのか」
まさか、とレオンセルクは困った顔をする。そんなことをしたら、神聖王国と戦争になりかねないよ、と。
確かに、非常識すぎる手段でこの場所にきたのだった。エレオリアはかるく笑う。つくづく、望んできたものだから、忘れてしまいそうになるのだった。
「城には敵が多くてね、唯一味方になってくれる人にだけ、君の存在を知らせておこうと思って」
そうか、とうなずく。エレオリアに嫌だというつもりは毛頭ない。だというのに、レオンセルクは要らない一言を付け加えた。
「父親みたいなものだと思って」
「……」
エレオリア? と問いかけが聞こえる。エレオリアはそれに答えられなかった。なぜだろう、とても、身体がすくんだのだ。緊張している、とでも言えば良いのか。
「先帝陛下ではないよ?」
「そんなことは口ぶりから分かっている」
だというのに、なんだろう。
過ったのは、エリオローウェンの父、神聖王国国王の、頭を下げる姿だった。
あの人は王という立場で、身体に欠陥を抱えたエレオリアを、王太子妃に認めることができなかったのだ。
それはつまり、そういうことだ。
レオンセルクの信頼している人物から、認めてもらうことができなければ、エレオリアはこの場所にいられなくなるのはないか、という恐怖だ。
いつだったなら、あきらめがついたのだろう。
けれどもう無理だ。否定されたとしても、大人しくそれに従える自信がない。
けれど、今度は違う。レオンセルクはエリオローウェンじゃない。
レオンセルクが、きっと、
「大丈夫だよ、エレオリア」
そう、そう言ってくれる。
「エレオリア」
覗き込んできていた瞳にようやく気付いて、エレオリアは瞬いた。レオンセルクが苦笑している。
「急でごめん。まさかこんなに怯えるとは思ってなかったから」
こんなことなら、もっと早くに予告しておくんだった。それとも日を改めようか。そうレオンセルクが提案しているのに、頭が回らずそれより前の言葉を拾ってしまう。
「……あたしは、怯えていたのか」
驚いた、とレオンセルクが優しく笑う。
「怯えてなどいない、っていつもなら虚勢を張るはずなのに、動揺したままそんなこと言うくらいに、君は今、何もかもを取り繕えていないね」
そうか、とまったく気のない返事しかできなかった。くるりと仰向けから横になって、顔の半分をクッションに埋める。長い髪が顔にかかり、呼吸がしにくくなったけれど、構わず右手を伸ばす。
「心臓に悪い」
「その物言いは、僕の心臓に悪い」
冗談にならないんだから、とレオンセルクはエレオリアの右手に手を添えて、支える。エレオリアが求めているのはそんなことではないと分かっているだろうに。
「それで、この手は僕に何を要求してるの」
今まで、そんなこと聞いたことはなかったくせに。突然なんだ、とエレオリアは眉を寄せる。不満を隠しもせず、じっとレオンセルクを見上げた。
「ついこの間、言わなかったっけ」
何を。
ついいつもの調子で不遜な態度で言葉を返してしまったエレオリアだったけれど、対するレオンセルクがただの笑顔であるはずなのに、最上級に底意地悪く見えたのは、なぜだろう。
「僕だって、言葉が欲しくなることもあるんだよ」
「……それは、前にも聞いた」
「うん。言ったよね」
「忘れたわけじゃない」
「それは何より」
嬉しいよ、とレオンセルクは微笑む。だから、なぜいつもと変わらないはずの微笑みがこんなにも悪い顔に見えるのか。
「なぜ、今なんだ」
もう少しエレオリアに余裕がある瞬間でも良いはずだ。身体がすくむほどの恐怖に駆られたばかりだというのに。そうしてぬくもりを求めたはずなのに、なぜこんな回りくどい問答を今しているのか。というよりも、紹介しなくてはいけない人がいるのではなかったか。
「それは、どうもこの前もそうだったと思うんだけど」
面白い新事実だよ、とでも言いたげに、レオンセルクは真面目な顔でこう告げた。
「君の素を見ると、どうも言葉を引き出したくなるみたいで」
「……あたしの、素?」
「この間はほら、僕が「あいしてる」って言ったら、遅すぎるって「ばかばか」って言って、あれ、ほんとにかわ」
言わなくて良い、とエレオリアはレオンセルクの口を塞いだ。不満そうな顔をされるが、知ったことか。あの出来事を深く考えると憤死しそうになるのだと何度言えば言ったことはないけれど知られたくもないことだが!
「泣きそうなのをこらえるのも」
気がつけば封じたはずの手が外れていて、さらにあまりにも優しい声でそんなことを言われてしまえば、途方に暮れるしかない。
つくづく、思い知らされる。
決して忘れてはいけない。なりを潜めていたとしても、こうして突然顔を出す。そのときに狼狽えたりせぬよう、けして、常日頃から思い返しておくべき必要があるのだと。
(ただの変人であってくれれば、まだよかったのだけれど)
「……その嗜好は、どうにかならないのか」
せめて、エレオリアの前だけでも取り繕ってくれればまだ助かるというか、負担が減るのだけれど。というものの、告げたところで改めるような男ではないな、と思い直す。
はぁ、と盛大に、これ見よがしにため息を吐いた。
再度、右手を伸ばす。
「レオン」
この上なく嬉しそうに、レオンセルクは笑みを返した。
「抱きしめろ」
どうしようかな、と彼はそれはそれは楽しそうに目を細める。もういいだろう、と呆れ返りそうになりながら、更なる、もしくは異なる言葉を求めているらしい、と察して思考を巡らす。
「……」
(ぎゅって)
言えるか。
エレオリアは諦めたくなって、伸ばした腕が寝台に落ちた。これを支えるほどの力はもうない。恨めしい目で睨んでいると、レオンセルクがそれはもう楽しそうに笑ってやっと抱きしめてくれた。
「……あなたは意地が悪い」
「分かっててやってるこれは、まだ可愛い方だよ。多分ね」
こめかみにかるく口づけられて、それで、会ってほしいのはね、と話は突然に戻された。
「この国の宰相閣下なんだけど」
「……信用できるのか」
「父にほとんどの実権を奪われていて、それでも器用に政務を執り行っている、大したお方だよ」
でも、僕は彼を信じてる。
レオンセルクがそういうなら、エレオリアが心配することは何一つなかった。
読んでいただきありがとうございました!
夫婦が仲良くてなんだかほっとします。開き直って二人ともちゃんと正直でよいです。よかった。よかった。
ただ、レオンの言動がマニアックで母さんちょっと不安になります……。エレオリアもほんとにこの子で良いのん……?




