13.死の足音と、福音を。
神様がいるのだ。
神様は、どこにいるというのだろう。
嘆いていた、という話だから。
それでは、この降り続く雪は、神様の嘆いた結晶だろうか。
神様は、あたしを求めているのだ。と、そういったエレオリアを、そんなことあるわけないじゃないかと笑ったのは、まだ知り合って間もないレオンセルクだった。
他愛もなくかわしたこの言葉を、あの人はきっと覚えていないのだろうけれど。
この国にきたばかりの頃、あの片田舎に、居を移しようやく落ち着いてきたというとき、気配は現れた。
絶えず感じられるこの気配を、エレオリアは神様だと思っている。
間違えた、と言われた。
それなのに、離れがたいと。そうして、まるで惰性のように気配はエレオリアにまとわりついた。
見つからないから。
神様は、誰かをずっと探していた。
見つからないから、かわりを求めてもいた。
「神様は、あたしを見つけてしまったんだ。身替わりでも、ようやく。……探している何かと間違えるほどのあたしを、きっと、失うくらいなら連れて行くつもりなんだろう」
淡々とした口調で、目の前の儚げな姫君は告げた。その口元は、薄く弧を描いていて。
ルティーカはエレオリアを見つめていた。そうすることしかできなかった。だって、エレオリアはルティーカの言葉など聞かないだろう。
だってエレオリアは、そうに決まっている、そうに違いない、そう断定して、それ以外の可能性を捨てようとしている。
期待するのが恐ろしいのだ。
希望を持つことが恐ろしいのだ。
選択を諦めず、足掻こうとしている人たちがいるにもかかわらず。
救われようとしている本人が、こうして受け入れてしまっている。
(へいか)
ルティーカは、新しい皇帝陛下が許せない。エレオリアの同意もなく、暴力を振るった彼を許さない。けれど、今エレオリアが心に住まわせている男も、皇帝陛下その人なのだ。
だけれど、彼に助けは求めたくない。
なのに、ルティーカがつなぎ止めたいその人こそを、連れて行こうとしているのは神様で、祈ることもできなくて。
(姫様を、誰か)
ただの侍女でしかないルティーカには、誰かに縋ることしかできなかった。
救われないことを固く信じてしまっているエレオリアを、誰か。
死にゆく人間から、愛を囁かれたくなどないだろう。などと自嘲するこの人を、どうか。
ここ十日ほど、すっかり寝込んでしまっていたエレオリアが回復したという。その話を聞いて、レオンセルクはいてもたってもいられず、遠くから見るだけのつもりでエレオリアのいる後宮へ赴いた。それなのに。
「こんなところでゆっくりしていていいのか? 即位したばかりで忙しいと聞いたが」
レオンセルクは中庭の緑を眺めながら、隣に座り朗らかに話かけてくるエレオリアの声を聞く。
合わせる顔がないと思っていたのに、中庭の椅子に腰掛けるエレオリアの姿が見えた、と思い足を止めた途端、目があってしまった。
逃げ出そうと踵を返したはず背中に、何をしている、こちらに座れ、と招かれて。大人しくその言葉に従って。
なぜって。
その声を無視したら、もっと恐ろしいことが起きる気がした。
「……エレオリア」
なんだ? とエレオリアが微笑む。その微笑みが、なぜか薄ら寒かった。どうして、この娘はこんな風に笑っていられるのかと、理解ができない。
そんなレオンセルクの心中を察したかのように、彼女の目が眇められた。
「馬鹿な人だな、あなたは」
何も変わらないよ、とエレオリアは言う。軽く両手を広げて、まるで隣に座るレオンセルクに抱擁を求めるかのようにして。
「許しを乞うこともできないくせに、拒絶を恐れて自ら距離をつくることもしないのだから、あなたは馬鹿だ」
エレオリアの言う通りだった。嫌われたと思っても、それでも、手放すこともできない。
「あたしの残りの人生は、あなたのものなんだぞ。レオンセルク」
「……良いの?」
本当に、エレオリアは許されざる行いをしたレオンセルクを受け入れるというのだろうか。それどころか受け入れるも何も、もともとレオンセルクのすることに意義を唱えるつもりもないかのような言動が、逆に恐ろしく感じた。
「ねぇ、確かに僕は、君の残りの人生を僕にちょうだいと言ったけれど。それ以上のことは何も言っていないし、こんな風に君自身を直接求めるつもりもなかったけど」
はじめからそのつもりだったし、実際に手を出しておいて何を今更、ではあったが。
「エレオリア。僕だけのものになってくれる? 僕の、お嫁さんになってくれる?」
言いながらエレオリアの顔を振り返る。ひやりと、過った不安、返事を聞く恐怖に身体がすくんだ。
ほんの一瞬、エレオリアの表情に苦いものが走ったかに見えた。けれどエレオリアは喜びをかみしめるような顔をして、胸をおさえて、うなずいた。
「あなたがそう望んでくれるなら」
だってエレオリアは、レオンセルクのものだから。
胸を突くようなささやきのあとで、ちろり、とレオンセルクの方を見た上目遣いは、おどけるような非難を含んでいた。
「けど、順序が逆だ」
ごめんね、とレオンセルクは情けない顔をして、エレオリアをやさしく抱きしめた。
エレオリアの懐妊が発覚したのは、それから三ヶ月後。エレオリア十七、レオンセルク二十三の、寒さが最も和らぐ季節だった。
なぜ、とエレオリアは瞠目する。互いの思いを受け入れた二人ではあったが、けれど、あれ以来そういった行為に及んだことはなかったのに。
エレオリアは自分の身に宿る命を拒絶した。
「……無理だ」
「なら、殺すというの」
それに対するレオンセルクは冷静だった。
「そんなこと言っていないだろう」
「そう言ってるようなものだよ」
落ち着きなよ、とレオンセルクは熱くなっているエレオリアをそっと宥める。寝台でクッションに身を埋めるようにして上体を起こしているエレオリアの肩に、そっと毛布をかけた。
「だって、……あたしは」
もう、神様が、待ってる。
途端冷たくなった傍らの気配に、エレオリアははっとする。レオンセルクを振り向くと、彼は表情無く怒っていた。
「レオン、その」
「エリ」
「違う、違うんだ。ごめんなさい。だから」
「エリ」
わけも分からず弁解しようとするエレオリアの両頬を、レオンセルクは大きな両手のひらで挟んだ。覗き込むようにして、ふしぎな色をした瞳がエレオリアの深い蒼を覗き込む。
穏やかな表情で、レオンセルクは笑った。
「あいしてる」
ぽろり、とエレオリアの瞳から涙がこぼれる。
「ちょっ」
焦るレオンセルクを尻目に、エレオリアはレオンセルクを見つめたままぼろぼろと涙を流しだした。
あぁもう、こんなことなら、とレオンセルクはエレオリアをぎゅー、と抱きしめる。
「ずっと言ってなくて、ごめんね」
「ほ、んとに、だ。ばか」
ばかばか、と繰り返すエレオリアに、ぎゃーやめてーとレオンセルクは笑いながらエレオリアの隣に転がった。可愛いからやめてと聞こえたような気がしたが、深く考えただけで憤死しそうになるのでエレオリアは聞こえなかったことにした。
なのに、甘い声が跳んでくる。
「エリ」
聞いただけで分かる、たくさんの想いが込められた言葉に、エレオリアは顔を覆った。
「エリというのは、エリオローウェンのことだ」
違うよ、とレオンセルクは笑う。
「エレオリアのことだよ」
「あたしはリアだったんだ」
「そいつと同じ呼び名で呼ぶなんてごめんだな僕は」
……この男、存外独占欲というものが強いのかもしれない。顔を覆った手に隙間を作って、隣のレオンセルクを盗み見た。
なんとなくそう思って、いや、今更か、と苦笑する。そうでなければ、エレオリアはこうして籠に閉じ込められてなどいない。
喜んで飛び込んだ身であったから、忘れそうになるけれど。
温かな腕に手首を掴まれて、顔から手がはずされる。抵抗はしなかったが、意に添わないことだったため、意地悪な問いかけをした。
「そう呼ばれるたびに、エリオローウェンを思い出すとは思わないのか」
「思い出すのかい?」
それは意外だ、とでも言うかのような、とっくに分かっている目をしてレオンセルクが問いかける。その視線を受けて、いいや、と首を振った。エレオリアはまったく、この男に敵わないのだった。
「あなたの、やさしい声」
手を伸ばして、頬に触れる。
「向けられる視線が、熱くてたまらないから。あの人のことを考える暇もないよ」
そっか、と呟いて、じわりと喜びが染み込むようにして、うん、とレオンセルクが笑う。まったく少年のような顔をして笑う人だった。
「それで?」
「へ?」
虚をつかれた問いかけと、ぎしりと寝台の軋んだ音で混乱する。レオンセルクはきらきらした目でエレオリアを見下ろしていた。
(……見下ろして)
それはまるで、いつかのように。
読んでいただきありがとうございます!
書いてる本人がびっくりしました。書いてるときは気付かないんですけど読み返すとちょっと引くレベルでおののいた……。幸せそうだなこの夫婦……。きゃっきゃうふふとじゃれあう夫婦を書くのは初めてかもしれません。レオンセルクはエレオリアが好きすぎてなんかもうそれだけで幸せそうですね。いいなぁ。爆発すれば良いのになんて思ってません。可愛い我が子です。可愛いです。思ってないです。ちくしょう。
そういえば前回の「まちがてたわーまあ良いですこのまま行きますキリッ」の自己完結に「いやいやいやだめでしょ!」と盛大な突っ込みをいただいてしまったので(思わず「あはは」と声をだしで笑ってしまいました。ですよねー!)さてどうしようかしらと真剣に考えてました。
そしたら当話と次話での盛大な恋愛色に、文学ジャンルとか生言ってすみませんでしたー!! となったので、大人しくジャンル修正いたします(´ワ`;) お騒がせいたしました。




