11.決定的な言葉は告げぬまま
避ける間もなかった。レオンセルクは飛んできた枕を顔面で受け止める。
重力に従い床に落ちかける枕を抱きとめて、レオンセルクは瞬いた。疑問符を浮かべ、エレオリアを見る。
「退屈になった? だと」
エレオリアが発した声は、思いのほか低く、恨めしげな色をしていた。
「ならないわけがあるか! 言葉を交わす相手はあなただけなんだぞ!」
次いで激高したような迫力に欠ける怒声に、その内容に、レオンセルクは全身が泡立つのを感じた。
その言葉に、どくりと脈打つ心臓を自覚して、無意識に素早く深く息を吸う。
「侍女との会話も禁じて徹底させて! 話しかけてもちっとも返ってこないし! だからあなたがいないと寂しいし、もう来ないのではないかと怖くなる!」
やめるんだ、エレオリア、と心の中で唱えてもレオンセルクの目の前に立つ少女に届くことはなかった。
君は、そんなことを言ってはいけない。こんなときに、こんな場所で、そんな姿で、そんな、本気みたいな目をして。
レオンセルクが何を考えているかも知らないのに。
「こればっかりはあなたのせいだからな! あなたがあたしを何日も一人にするから、あなたが、名前も教えてくれないから!」
泣きそうな最後の叫びに、レオンセルクは顔を覆った。一歩、二歩と下がって、壁に背中を押し付ける。そのままずるずると座り込んで、勘弁してよ、と呻くように呟いた。
エレオリアの息をのむ音に、傷ついた顔をしているのだろうな、とレオンセルクは想像した。言葉を続けなければと思うのに、思い通りに口が動かない。
ひどく喉が渇くような感覚に、これはまずい、と思う。自らの望みを具体的な想像にすることも出来ないけれど、それでも、妙な焦燥感がレオンセルクを駆り立てた。
何度も深呼吸を繰り返す。思考が空回りしていることを自覚して、どうして、と考えて、頭が熱いことに気がついた。
首から上に、ぐらぐらと熱が集まっていることに。
壁際に座り込んで、膝を立てて、両手で抱え、顔を埋める。うずくまるレオンセルクに、エレオリアは何を思うだろう。
「……そんなことを言いに、ここにきたの」
「……それが?」
レオンセルクの小さな問いかけに答えた彼女の言葉は、肯定の意だった。あぁ、もう、何も言わずに出て行ってほしいと思うのに、逃したくないとも思う。強く強く、逃してなるものかと。それこそ、喉から手が出るほどに、強く。
「そんなことを言いに、こんな時間に、そんな格好で、こんなところにきたの」
ばさりと、エレオリアがレオンセルクの与えた外套と毛布を床に落とす。
「……遅くに邪魔をした。帰る」
そういって見を翻すその背中を黙って見送れば良いのに、レオンセルクは呼びかけようとする自分の口を止められなかった。
「エレオリア」
「あたしがここにいることを快く思っていない相手の部屋に居座るほど、礼儀知らずでいるつもりはない」
そう言ってから、こんな時間に、こんな格好では、説得力がないか。と自嘲するようにエレオリアは笑った。白い夜着姿をさらして、傷ついた目をして、エレオリアはそっと顔を伏せる。
「僕が、快く側に招けば、君、出て行かないっていうことかい」
馬鹿を言うんじゃないと、レオンセルクは嘆息した。もう二度とこんなことをしてほしくなかった。
「部屋で、じっとしていられなかった」
レオンセルクに背を向けて、背中を無防備にさらして、肩を震わせながら、エレオリアは囁いた。
「あたしが、勝手に勘違いをしたんだ。それで、勝手に怒って、でも、すくなくとも、あなたは嘘を言わなかっただろう。誤摩化しや偽りを口にしたことはなかった。どちらともとれない、曖昧な言葉ではぐらかしていただけだ。あたしには、そのいい加減なあしらいに怒る権利はあっても、それでも、あなたを嘘つきだと罵ったことは謝らなくてはと思ったんだ」
エレオリアの独白は止まらない。
「あぁ、違うな、これではあたしも逃げているだけだ」
笑っているような、場にそぐわない明るい乾いた声だった。ふわりと夜着の裾が翻る。振り返る彼女を見上げて、だめだ、とレオンセルクは背中を壁に押し付けつつも震える足を叱咤し立ち上がった。こちらに近づいてくるエレオリアに、首を振ってみせる。
彼女は微かに笑って、レオンセルクの側に立ち、そっと袖口を握りしめる。
「あたしは、ただ、あなたに会いたかったんだ」
ただ、それだけだったんだ。
寂しかった、とエレオリアは言う。
寂しくさせたのは、レオンセルクだ。
エレオリアの幸福を願う人々から、片田舎に住む優しい人々から引き離し、連れ去って、こんなところに隠して。
自身以外の全ての接触を禁じて、独りにして。病を理由に、治療を理由に、籠に閉じ込めた。
レオンセルクは、袖口を掴む細い手が、微かに震えていることに気付いていた。彼は、自分のとてつもない勝手を自覚していた。
狙いすまして彼女に気付かせぬまま、エレオリアを捕らえ、閉じ込め、そうして、彼女自身がレオンセルクを求めるように仕向けたのだ。
(これも、あの人は才能だと笑うのだろうね)
暴君の息子もまた、暴君となる素質があるのだろう。
「なにか、馬鹿馬鹿しいことを考えているだろう」
至近距離から無防備な姿で見上げてくるエレオリアは、危機感というものがないのだろうか。
にっこりとしてみせるレオンセルクに、エレオリアは目を眇めた。たおやかな手が伸ばされ、レオンセルクの頬に触れる。
炎が頬を撫でたのかと思った。
「その手をどけて、エレオリア」
いつもなら、振り払えるのに。
疲労による判断力の低下だろうか。このまま、その細い腕を掴んで抱き寄せ、冷たい夜の空気にさらしている首元に噛み付けば、さすがのエレオリアも逃げるだろう。
妙な妄想に、エレオリアを一刻も早く部屋から追い出さなければ、と再認識する。
「部屋に戻って、エレオリア」
「断る」
「退室を求める僕の部屋に居座るほど、礼儀知らずでいるつもりじゃないのではなかったの」
「気が変わった」
「謝って気が済んだろ。今夜はもう部屋に戻って休みなよ。身体に負担がかかるばかりだ」
「なぜ、あたしを城につれてきたのか。答えてくれるまで帰らない」
強い目で告げられたその言葉に、レオンセルクは顔を歪めた。
彼女は今、「ただ会いたかった。だから会いにきた」と言った。そして、それに対するレオンセルクの答えを聞きたがっている。
ひどい問いだ。それは、連れて行こうと思ったあのときと今では、答えが変わってしまっているから。
今のこの状況が、あのときのままの答えを許しはしないから。
「わかっているんだ。あそこまでして、あたしがここに来る必要はどこにもなかった、と。そうだろう」
ならば、とエレオリアはもう片方の手もレオンセルクの頬に伸ばした。
柔らかな手に頬を挟まれ、目をそらすことも許されぬ状況で、閉じることも出来ないまま、レオンセルクはエレオリアの深い青を覗き込むことしか出来ない。
「あのときのあなたは、何を思ってあたしをここへ連れてきた」
手に入れたかった。
その為に、レオンセルクはエレオリアを城に呼んだのだ。誰よりも側に置きたくて。けれどそんなことをして、彼女が喜ぶはずもないと分かっていた。
こんな風に閉じ込めて、自由を奪って。
だからと言って、自由にすることも出来ないまま。
「……エレオリア」
不穏な音色に、彼女は気付いただろうか。
壁に縋っているレオンセルク。その目の前で、レオンセルクの頬を両手で挟むエレオリア。
彼女の背後に見える寝台が、やけに禍々しいもののようで。
卑怯な人間だと、知っていた。
所詮、自分はあの暗君の血を継いでいるのだと。
暗転したのは、レオンセルクの視界だろうか、それとも、世界が回ったエレオリアの視界だろうか。
力づくで組み伏せたエレオリアは驚きに目を見開いて、逃れようと足掻いたけれど。
そんなものは、抵抗のうちに入らなかった。
読んでいただきありがとうございます。
えー、はい。
ところで10日のアクセス数が常より数倍多かったのですが何事でしょうか。ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。素朴な疑問です。
本日より学校の研修旅行で国外にいるので連絡つきません。一週間ほどで戻りますが、更新も無理ですね。
もう1話くらい予約で投稿しても良いかもしれませんが、さて。
切りがいいのでここで止まってても良い気がします。




