1.今は亡き、かつての王太子へ。
いずれ、世界に融けたとしても。
あなたを感じられないのであれば、意味がない。
喪失を恐れて何が悪い。それを拒んで何が悪い。再びこの手にと、望むことの、何が。
ただ、あなたを失いたくなかっただけなのに。傍らにいてほしかっただけなのに。
その願いが、この災厄を引き起こしたというだけで。
あぁけれど、会わせる顔も、確かにない。
だから、永遠に。
別れを告げることのできぬまま。
「ねえ、エヴァン」
結婚の儀が終わり、先に戻った新しい皇妃ウィリアローナの待つ部屋へ向かうだろう皇帝エヴァンシークを、そうとわかっていながら私は呼び止めた。
広間から執務棟へ向かう渡り廊下、欄干に気怠げに佇み、広間の方からやってきた、エヴァンシークを流し見る。
大陸一の帝国。ヴェニエール帝国の若き皇帝、エヴァンシーク。私は、彼に嫁いだウィリアローナの姉であり、彼にとって義姉となるのだろう。彼の方が、年上であるけれど。
「倒れても知らん。帰れ」
案の定、彼は顔をしかめていて、私の横をすり抜けようと一歩足を踏みだした。その言葉は、私がかつて病弱だった頃に彼と面識がある為だ。けれど、それはもう昔の話だというのに。
「ねえったら」
自分でも思いもしないほど強く言葉が出て、自分でも狼狽える。何を必死になっているのだろう。
深呼吸をして、気持ちを鎮める。
「ウィリアローナと結ばれて、幸せ?」
平静を取り戻した上で発した言葉であるのに。問いながらも戸惑う。エヴァンシークの表情も似たようなもので、何を企んでいる、と警戒をあらわにしていた。
それでも私は、思うにまかせて言葉を紡ぐ。
「いなかったわね」と。
実の息子であるエヴァンシークの結婚の儀であるにもかかわらず、先帝陛下は出席しなかった。
「お父様には、会わな」
「それ以上くだらないことを言うなら」
動揺を隠しきれていないその様子に、あらあら、と苦笑する。年上なのに、この人はどうしようもなく子どもだと思ってしまう。
このお方は、先帝陛下が嫌いなのだ。
ろくでなしだと。
自らの父を蔑視し、ああはならないと口にしながら、ああなることを恐れている。
ねえ、けれど。
「家族を愛していないあなたが、新しく作る家族を愛せるというの」
「黙れ」
ごめんなさい、と私は小さく囁いた。はぁ、とため息を吐いて、幸せなのね、と続ける。
「私たち、出会えていなかったとしても、こうなっていたと思う?」
もしも私が、ウィリアローナの秘密を知らなかったなら。帝国に春は戻ってきたと思う?
なんだ、突然、とエヴァンシークが返す言葉に、いいから、と押し切る。
「帝国に春を戻すこと、ウィリアローナをこの国の皇妃に据えること。全てリンクィンが主導しているという話になっているが」
菫色の瞳をどこか遠くへ向けて、息を吐いた。
「発案は、あんただろう」
それは、私の問いに対する答えではない。それでも、うなずいた。
「ええ、そうよ」
「……あっさり返すな」
だって、と笑ってみせる。
「隠すようなことじゃないもの。言ってないだけで」
「何の利益がある、神聖王国に」
「あら、帝国に恩を売るというだけで、神聖王国はもう百年の安寧を得るわ」
「それは、神聖王国の保有している資源だけでも十分得られるだろう」
もう一度、何を企んでいる、とエヴァンシークは私を睨む。昔と今の違いに、くつりと笑った。
「ウィリアのお父様から、ウィリアが帝国に春を呼ぶ可能性の話を聞かされていた私と、あなたの出会いは、奇跡だと思ってる?」
「だから、何の話だ」
ちょっと考えてみてほしいだけよ、と私は呟く。
「私が、療養する為に帝国の別荘にいたこと。エヴァンが、そのすぐ側の学院に通っていたこと。それらが、単なる幸せな偶然だったなんて、ありえるのかしら、って」
「……仕組まれていたとでも言うのか」
違うわ、と否定の声は笑いが混じった。
「物事には、理由が存在するのではないかしらって」
理由。
エヴァンシークが繰り返す。
「エヴァンが置き去りにされた学院が、あそこだった理由。私の療養先が、あの別荘だった理由は……」
「考えたくもない」
遮るような声だった。
「あの男が、何を考えていたかなど」
エヴァンシークを学院へ放り込んだのは、皇帝自らの言葉であったと聞いている。
思った通りに、エヴァンシークは拒絶した。
「そう」
私は、そこで諦めた。そもそも、今ここで言うことでもなかったのだ。宴の空気に酔ったのだろうか。
ここは、執務棟へと続く渡り廊下。
見上げれば、城の窓がいくつも見える。その中の一つに、何故だか吸い込まれるようにして魅入った。
それとも、この城のどこかにいるあの人の気配でも、感じ取ったのか。
苦笑して、くるりとエヴァンシークへと礼をする。
「時間を取らせてしまったわね、それでは、お休みなさい」
言うだけ言って、欄干から身体を離した。顔をしかめたままのエヴァンシークに微笑んで、ほら、早く、と先を示す。
「かわいいウィリアが、待っているわよ」
「華やかなもんだねぇ、結婚式って」
城内のどこか人気のない廊下の窓から、かつて皇帝の座にいた男は広間から漏れる明かりを眺めていた。
「何年ぶりだろう、久しぶりに見たなぁ。ほら、エリオくんも、結局大々的な式はあげなかったでしょう。僕、よその国の式典に呼ばれても行かなかったしさぁ。エリオくんの式だったら行ってみたかったんだけど」
そうですか、と応えたのは、傍らに控える細身の女性だ。細身だというのに、一目見てただ者ではない気配を感じ取れることができる。
彼女は、先帝の護衛を務めていることもあり、当然といえばそうだったが。
うん、と先帝は微笑む。僕自身も、式、挙げなかったしなぁ、と寂しそうに呟いた。
今からでも、遅くないかなぁ。
身を翻して、先帝はある一室を目指す。部屋に入り、椅子の背にかけてあった白衣を羽織って、寝台に浅く腰掛けた。
「二十年、探しつづけた」
護衛の彼女も、ここまでは入ってこない。静まり返った室内で、先帝はやりきれないため息を吐き出す。
「春の聖女が訪れて、国に春が戻ってきて、そうして、一年が経ったのに」
何も変わらない、と顔を覆う。
自分自身の血を継いでいる息子が幸福を得たのであれば、それは確かに先帝にとって喜ばしいことではあった。
けれど、彼にとっての最愛は、エヴァンシークではない。
「ねぇ、エリオくん。なんにも変わらないじゃないか」
今はもうこの世にいない、唯一友人と呼べたかもしれない男の名を呟く。
突然やってきて、少しの間ここに居座っていた彼は、多くを語らなかったけれど、それでも、
彼女を愛してくれていた。
「世界が変わっても、彼女はなんにも変わらないじゃないか」
君に、騙されたなんて思いたくないのに。
「わたしのお姫様は、とてもお美しい。」の続編を開始しました。よろしくお願いします。
あらすじは二話の内容まで書かれています。もうしばしお付き合いください。
ぶちこわすようなこと言うようであれですが、ウィリアローナ先に寝てると思う。