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第3章 処刑前夜

 翌朝、リュシアは牢に入れられた。


 あっという間のことだった。


 いつものように、卜部の執務室で星図を広げていたところに衛兵が二人入って来て、「同行せよ」と威圧的に告げられた。

 理由を聞く間もなく両腕を掴まれ、地下牢へ連行された。

 石造りの廊下、鉄格子の扉、湿った空気——それらが現実として認識できたのは、「ガチャンッ」と錠が下りる音を聞いてからだった。


「ちょっ……ちょっと、どうして!?」

 我に返ったリュシアは、鉄格子を掴み、衛兵に問いかけた。

 しかし、無情にも衛兵はリュシアに鋭い視線を寄こすと、そのまま何も告げず去って行った。


 リュシアは、その場にへたり込んだ。


 捕らえられる理由が分からなかった。

 けれど、シンっと静まり返った地下牢に、その答えを教えてくれる者は居なかった。


 リュシアは、ただ石牢の隅で座り込み、誰かが訪れるのを待つしかない。



 罪状が告げられたのは翌朝だった。

 宮内府の役人が鉄格子の外に立ち、紙を読み上げた。


「リュシア・アストレアに対する訴追事項。占星術を用いて王家を惑わせ、王太子殿下の婚姻を妨害し、さらには王太子殿下の暗殺を画策したとして、断罪の手続きを開始する」


 リュシアは格子を掴んだ。


「……暗殺?」


「異議は審問の場にて述べよ」


 役人はそれだけ言って、去っていった。

 捕らえられた理由は分かった。

 けれど、リュシアには全く身に覚えのないものだった。


*  *  *


 審問は形だけのものだった。


「被疑者は先日の占いにて、王太子殿下の婚姻を妨害した」


「いいえ、占いの結果を報告しただけです」


「妨害することで、自らの地位を守ろうとした」


「地位? 占星術師に、婚姻の結果による利害などありません」


「では、なぜ凶と告げた」


「星がそう示していたからです」


「つまり、星に従って婚姻を妨害したと認めるわけだ」


 論理が、どこかでねじれていた。リュシアが何を言っても、それは既に決まった結論へ向かう道の一部として組み込まれていく。反論すればするほど、証拠として積み上げられていった。


「調べによれば、被疑者は王都外部の不審な者と接触していたとの証言がある」


「そのような事実はありません」


「証人がいる」


 連れてこられた「証人」は、リュシアが一度も会ったことのない顔だった。しかし証人は淡々と、リュシアが秘密裏に何者かと会合を持っていたと述べた。


 嘘だ、とリュシアは思った。しかし嘘だと証明する方法が、なかった。


 審問は半日で終わり、翌日には判決が出た。


「迷信をもって王家を惑わせ、王太子暗殺を企てた魔女として断罪する。処刑は五日後の朝に執行する」


*  *  *


 牢の石床は冷たかった。


 十月の地下牢は昼でも暗く、壁の染みだけが時間の経過を教えてくれた。食事は一日二度、薄い粥が運ばれてきた。リュシアはそれを機械的に食べ、水を飲み、壁にもたれて目を閉じた。


 眠れなかった。


 頭の中を、審問の言葉が繰り返す。


 迷信をもって王家を惑わせ——。魔女——。


 魔女、という言葉が、ひどく引っかかった。


 占星術は魔法ではない。数千年の観測の積み重ねであり、天体の運行と人間の営みの相関を詠み解いていくもの。母はそう教えてくれた。祖母の記録にもそう書いてあった。


 しかし、それを信じているか、と問われたら。


 リュシアは膝を抱えた。


 信じているふりは、ずっとしてきた。


 でも本当に信じていたか。占いが外れるたびに「占星術そのものが嘘なのではないか」と思った。星の配置と現実の出来事の間に、本当に意味のある繋がりがあるのか、と疑った。その疑念を、誰にも言えずに飲み込んできた。


 家族に言えば、傷つける。

 王宮の者に言えば、職を失う。


 だから黙って、信じているふりをして、星図を広げてきた。


 そのとき、ふいにリュシアは気づいた。


(だから、外れていたのかもしれない)


 胸の奥で、静かに欠片がハマる音がした。


 占星術師が占星術を信じなければ、術者の心が歪み、星の声を正しく聞けなくなる。

 星を詠むことを、母は「星に心が通じる」と言っていたのを、リュシアはずっと比喩だと思っていた。しかし今なら、わかった気がした。


 信じていなければ、正しく詠めない。


 信じていなければ、星は応えない。


 占いが外れ続けていたのは、占星術が嘘だったからではなく——自分に原因があったのだ。


 星に向かって、信じているふりをして座っていた。それでは星が応えるはずがない。道具を揃え、計算を重ね、術者の形だけを整えて、肝心の「心」を持ち込まなかった。



 処刑前夜。

 リュシアは立ち上がった。


 牢の中に道具はない。星図もない。窓すらない。しかし占星術師が本当に必要とするのは紙と羽根ペンではなく、空に散らばる星の配置と、それを読み解く魂だ。


 石床に膝をつき、目を閉じる。


(今度こそ、全部を委ねよう。疑念ごと、迷いごと、外れた占いの記憶ごと、全部を星に差し出そう)


 目の裏に、夜空が広がった。


 リュシアが生まれて初めて見る夜空だった。


 これまでの星図は紙の上のもの、外で見上げた遠い光の粒にすぎなかった。しかし今、瞼の内側に展開する星々は呼吸をしていた。回転していた。互いに引き合い、反発し、複雑な物語を紡ぎながら動いていた。


(アクアの領域で、イグニスが灼けて……)

(セルペンスの深部で、クロノスが見える)

(そして——ソルム……ソルムが、暗い)


 王権を意味するソルムが、死の影を帯びたクロノスに押さえられていた。光が失われていく。ゆっくりと、しかし確実に。


 日付が、読める。


 明後日の夜。


 場所も、見える。王太子の寝室、北向きの窓から忍び込む影。ひとつではない。ふたつ、みっつ——少なくとも五つの影が、暗闇の中を動いていた。


 リュシアは目を開けた。


 吐く息が白く乱れていた。全身に鳥肌が立っていた。震えていたが、それは寒さのせいではなかった。


 これまでの占いとは、まるで違った。


 いつもは靄の中を手探りするような感覚だったのに、今夜視たものは鮮明だった。細部まで、迷いなく。


 それが怖かった。


 同時に——確かだと、わかった。


 リュシアはその場に座り込み、膝の上に手を置いた。手のひらが震えていた。


 王太子が、明後日の夜に殺される。


 そして今、それを知っているのは、処刑を翌日に控えた「リュシア」だけだ。


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