彼氏という名の防衛本能
KにとってTは
それまでの恋愛経験のすべてがかすんでしまうほどの美人であり
180センチを超える長身のKがこれまで交際して来た女性の中でも
最も高身長でスタイルも良い。
ふたりは燃えるような恋に落ちて
交際をはじめてすぐに婚約した。
そんな“超ラブラブ”の状態のまま
結婚生活は10年に及んだ。
「K…facebookの友達…増えたの?」
ダイニングテーブルの向こうから
TがKに問いかけた。
KがCを友達に追加したと
Tのアカウントに通知があったのだ。
Cのプロフィール欄には
メイクも服もMAXに飾り立てた若い女性の姿があった。
『ぁ、ぁあ、ぅん
うちの部署に新しく入って来た人だよ』
それ以上に深入りしようとはしないTの優しさと聡明さ…
なんとよく出来た伴侶だろうと
Kはつくづく思った。
社内でのKはCの丁寧な挨拶に
次第にただならぬ明るい笑顔を返すようになっていた。
責任感が強く、締め切りや時間にきっちりした所に加えて
業務メールの文面も顧客や取引先だけでなく、
同僚たちにもかなりの好印象を持たせるものだった。
こうした事もあり
KのCに対する想いは”強い関心”の域を超え、
恋慕へと膨らんで行った。
Kは自分の仕事にはストイックさを見せつつも
立場や役職の上下、また年上年下にかかわらず、
相手の意志を尊重し、ときに剽軽に振る舞うためか
部内の女性たちからも一目置かれていた。
彼女達はこうしたKの外面の良さから
“Kさんにはよく出来た優しいパートナーがいるに違いない”
と思われていた。
(K…随分立派になったんだね…)
Jは付き合っていたKが
都会の職場で人望を集めていることを誇らしく思う反面
自身の負けん気が彼女を苦々しい思いにさせた。
(あたしだって…..あたしだって…本当はこのくらい…)
年末の休み
Cは実家のある京都に向かう新幹線に乗ったが
その足取りは重かった。
(この娘、なんでこんなに落ち込んでるんだろう?)
Cの身体の中に忍び込んだJにはその理由がわからなかった。
母が”いつも帰ってこうへんやんか!
今年はもう絶対に帰ってきいや!”と強く言うので
Cは仕方なく帰ることにしたのだった。
「ただいま」
と、Cが実家の玄関に入るなり彼女の母CMはすごい剣幕で
「あんた、いつまでも独身で何してんのん?
ええとこの家の方の紹介で
あんたとお見合いさせたい言うてくれてはるねんで!
今度こそ行かなあかんで!
は?!行かんやて!?
あんたお父さんとお母さんに何べん恥かかす気なん?!」
昔から何かにつけて自分の進路や人生を
勝手気ままにコントロールしようとする母に
Cの心は怒りを通り越して、呆れて果てていた。
そして同時にCの中にいるJの霊はひどく混乱し始めた。
(これだ…私もさんざん母親にこんなことされて来た…
子供の頃からずっと…)
Jの魂にトラウマが甦り、
湧いて出た”業”がJの霊を苦しめた。
Jは幼少の頃から
母親JMからの過剰な干渉を受けながら育った。
教育熱心な家庭と言えば聞こえは良いものの
クラシックバレエとピアノの先生は厳しく
自宅での猛練習を強いるJMはそれ以上にヒステリックで
いつもJを怯えさせた。
そのことを当然のこととして生きて来た結果
校内では朗らかで活発な優等生として振る舞いながらも
内面はどこか歪んでいて周囲も本人もその事に気づかず
謂わば洗脳された状態のままで生きて来た。
Jは身体に不調をきたし病院を訪れたとき
医師に何か強いストレスがありはしないか?と問診されたが
自分がそのような状態にあることの自覚が無かった。
(この娘、このままじゃストレスで病んでしまう…
私みたいに癌に冒されるかもしれない。。。
なんとかしなきゃ…この娘が死んじゃう…いや…殺されちゃう!!)
(言っちゃえ!C!)
「オメエの人生じゃねえんじゃ!
アタシの人生じゃ!」
(やばっ!岡山弁だった…)
Cは怒りを解放した。
【でもどうして私、こんな変な語尾になったんだろう?
ええい!もう何でもいいや、こんな母にはもうついていけない…】
狼狽えたCMは
「お父さん、この子おかしい!」
と奥の部屋にいる父に声をかけている。
Cの父親はC の幼少期からすでに暴走するCMを抑えきれなくなっていて
今ではもう無関心を装いながらCMの感情の嵐が過ぎ去るのを待つだけになっていた。
「あんたは一生独身になってもうてもええのん!?」
ただでさえ気にしていることを
こんなふうにCMに罵倒されたCは
脳味噌が怒りに打ち震えるような感覚を覚え
「うるさい!あたし彼氏おるわ!!」
と大声で返した。売り言葉に買い言葉で咄嗟に出た嘘だった。
そしてこの嘘をついた瞬間にCの脳裏に現れたのは
会社でいつも挨拶を交わす表情に余裕を湛えたKの微笑だった。
Cには彼氏などいない。しかしここでそう言わなければならない理由があった。
日頃から異性として意識し続けて来たKを
今こそ強く強く想っていなければ
勝手に彼氏だと思い込んでしまわなければ
彼女自身のプライドは崩壊寸前だった。
「こんな家、もう帰らへんわ!!」
怒りが頂点に達したCは
ガタンガタンとスーツケースのローラーをあちこちにぶつけながら
さっき来たばかりの実家から脱兎のように飛び出した。
蜻蛉返りで上りの新幹線に乗りシートに沈んだCの心の中で
静かに、強く、彼女の防衛本能が働き始めた。
”あたしの彼氏だもん…彼氏なんだもん…本当だもん…Kさん….”
一時的にCをストレスの原因から避難させたJの霊は
彼女の心がKに真っ直ぐに向かうことを願ってはいたものの
彼女自身が若き日の自分と酷似した環境で傷つき切っていることは
Jの魂を疼かせた。
霊魂として肉体を持たないJは
Cの身体を使うことでしかKに物理的に接近することが出来ない。
あわよくばCがKとくっつくような事があったなら
あの時、KがJにしていた
嫌なことを何もかも忘れさせてくれるような
あのやさしいキスを、
あたたかい抱擁を
もう一度味わえるかもしれない…。
そしてCもまたKに対する気持ちを抑えきれなくなっていた。
Jは自分がCの想いに引き摺られているのか
自分がCを操っているのか
境界線が曖昧になったままCの胸の高鳴りを聞いているのだった。




