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「やあ、ティティ」
緩やかな笑顔を浮かべ、ユリシスはティティに向き直る。
ユリシスの袖を掴んだまま、ティティはわずかに頬を赤らめた。
幼い頃から容姿を褒められることの多かったユリシスは、年頃の少女からそうした好意を向けられることも多く、慣れていた。だからティティの熱い眼差しも平然と受け止めることができる。
「もしかして、お祖母さまの薬を届けにきてくれたの?」
「うん」
頷けば、ティティは殊更嬉しそうに両目を細めた。
頭の高い位置で結っている金茶の髪が、跳ねるように揺れる。
「ありがとう! お祖母さまはお休みになっているから代わりに私が預かるわ」
袖を掴んでいない方の手を差し出され、ユリシスは自分の斜め後ろを見やった。
「マリエール、薬を」
「ええ」
言われたマリエールが、斜めに提げていた鞄から薬瓶の包みを取り出す。
そのとき初めてマリエールの存在に気づいたようで、ティティは「あら」と声を上げた。
「マリエールもいっしょだったのね。ありがと」
「え、ええ。大奥さまのお加減はいかが?」
マリエールから薬を受け取ったティティの声は、一段低くなっていた。
『自分』と暮らしているからだろうと、ユリシスは他人事のように思いつつ、マリエールを見やる。彼女は困ったようにティティに微笑んでいた。
ティティはどこかそっけなかった。
「変わりないわ。あちこちが痛いって、ヘルさんの薬に頼ってばかり」
「そう。ヘルさんにも伝えておくわね」
「ええ、お願い」
ティティは頷くと、ユリシスに近寄ってきた。
「お使いはこれでおしまい? だったらお茶でもどうかしら、美味しいケーキがあるのよ」
村長の娘ティティ。
その猫のような大きな瞳を見つめ、ユリシスが思うのは、この子からどれだけ有益な情報を引き出せるかと言うことだった。そうしてその結論は、既に出たあとだった。
ユリシスは申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「せっかくだけどまだ用事があるんだ。行こう、マリエール」
薬の代金はひと月毎にまとめて支払ってもらう手筈になっていた。
だからもうここには用がないと、ユリシスはティティから離れ、マリエールの手を引く。
知りたかった情報。
この村の財政状況や近隣周辺との関わり、その辺りは、ここ数日で得ることが出来ていた。
食物に困ることはなく、かといって豪遊できるほど裕福というわけではない。
のどかで辺鄙で、少しだけ閉塞的で平凡な村。
それがユリシスが下したこの村への評価だった。
「待ってユリシス、早いわ」
「ああ、ごめん」
いつの間にか息を上らせていたマリエールに気づき、慌てて足を止める。
自分で意識している以上に、ユリシスは焦っているようだった。
(落ち着け、僕)
冷静になれと自身に言い聞かせる。
そもそも、こんな事態に陥ってしまったのは、ユリシスが焦りすぎたせいなのだ。
兄の仇を一刻も早く打ちたいと、気が急いて、周りが見えていなかった。
だから裏切り者を引き込んでしまったーー。
マリエールの息が整うを見守る間、ユリシスは静かに次の手を考える。
たとえば村の権力者ーー村長に取りいることも考えたが、ティティの話を聞くに、村長は特別金を持っているわけでもなく、都との関わりがあるわけでもないようだった。
ならばこのままヘルとマリエールのもとで体力を回復しつつ、馬や武器ーー城へ戻る準備を進めるほうが得策だろう。
「ごめんなさい、もう、大丈夫」
「ゆっくりでいいよ」
ユリシスが早歩きをしたせいで、マリエールの白い頬は赤らんでいた。
悪いことをしたな、と反省する。
「ほんとにごめん、考え事をしていて」
「考え事?」
マリエールの目にかかりそうになっていた髪の一房を、指の先でそっと払う。
「うん。……ねえマリエール。次にヘルさんが遠出をするのはいつ?」
「え? えーと、月に一度だから、次は二週間後くらいだと思うけど……どうして?」
マリエールは不思議そうに目を瞬かせた。
「もしかして、ヘルさんについて行きたいの?」
「うん。遠方の街や村に行ければ、何か、手がかりが掴めるかなって」
ヘルの行商について行けば『あの危険な森』に入ることができるかもしれない。そうして森に入れば、ウベロの安否がわかるかも……。そう考えての質問だった。
マリエールは少しだけ眉を顰める。
「どうかしら、私は『危ないから』って一度も連れて行ってもらえたことがないの。荷物も多いし、何度かお願いしたんだけど……」
(『危ないから』か)
その答えに、ユリシスは、やはりヘルに同行すれば森に入ることができるのだと確信する。
「そっか。じゃあ、ダメもとで頼んでみようかな」
「そうね。ユリシスはいいって言われるかも。記憶に関わることがわかるかもしれないし、私もヘルさんに頼んでみるわ」
「うん。ありがとう」
まるで自分のことのように張り切ってくれるマリエールに、自然と口元がほころぶ。
ーーこんなにいい子なのに。
どうして村の子たちはマリエールを受け入れないのだろう。
ふと、そんなことを思った。
『ほんとうは村の子じゃないのだし』
先日ティティが口にしていた、その言葉を思い出す。
あの瞬間ユリシスは、だったら僕も同じじゃないか、と、言いそうになってやめた。
言い合いをするのは面倒だったし、ティティとはとりあえず良好な関係を築いておくべきだと思ったからだ。
ーーマリエールとヘルには感謝している。けれど自分は一時的に世話になっているだけの身だ。
下手に情を移し、失敗を繰り返すわけにはいかない。
でもーーティティのあの一言は、マリエールを傷つける言葉に違いなかった。
できれば聞かせたくはない。
だからユリシスは先ほど、村長の家から、ティティから、早く離れようと急いでいた。
マリエールの紅茶色のやわらかな瞳を見つめる。
「マリエール」
「? なあに?」
握った手に少しだけ力を込め、そうして迷った末出てきたのは、結局、当たり障りのない言葉だった。
「帰ったら、薬草の煮方教えてくれる?」
「ええ。もちろんよ」
快く頷いてくれた少女に、小さな笑みを返した。




