7
* * *
「これが解毒薬。こっちは痛め止め。塗り薬は注文を受けてから作るのよ。あまり日が持たないから」
「なるほど」
マリエールの説明に、ユリシスは一つ一つ頷き返した。手元には、歪な文字で綴られた薬効の書き付けがある。マリエールが書いたものだ。
孤児だったマリエールが文字を覚えたのは、ヘルに拾われてからだったそうだ。
ユリシスは、所狭しと書かれたそれに視線を落とす。
お世辞にも読みやすいとは言えない字に、『まだまだ練習中なの』、と、彼女は恥ずかしそうに言った。
けれど――紙を大事にしようと慎重に書いたのだろう――黒インクの滲む、ときには間違えもある文字からは、マリエールの真摯さひたむきさが伝わってきて、ユリシスの口元を緩く和ませた。
ユリシスは、出来に関わらず、懸命な人間が好きだった。敬愛する兄もそうだったからだ。
そうして、そんな人間が期待するより少ないことも、陰謀渦巻く王宮で育ったユリシスは、染み入るように知っていた。
マリエールのような子は、宝より大切にしなければいけない。
「いろんな種類があるんだね。覚えるのも、作るのも大変そうだ」
薬棚を見上げて言ったユリシスに、マリエールも同調する。
「そうなの。処方を間違えるわけにはいかないから、とても慎重に作らないといけないのよ」
ユリシスは宮廷にいた薬師たちもきっと同じ想いを抱えているのだろうと思った。
ゆっくりと梁まで届く棚を見上げる。
ヘルの家は狭かった。
玄関に直接繋がる居間が一つと、同じ空間にキッチン、それからベッドが二つ置いてある寝室があるのみで、その限られた空間の中、居間の壁一面には天井まで届く棚があり、そこに大量の書物とさまざまな薬、それらを作る材料が置いてあった。
常備薬もあることにはあるのだけれど、基本は依頼を受けてから作り届けるのがヘルの指針のようだった。
マリエールが説明を付け足す。
「たとえば同じ解熱剤でも、年齢や体重、患者さんの具合によって分量を変えないといけないんですって
「そうなんだ」
言って、ヘルは隣の少女に目を向けた。
胸まであるおろしっぱなしの亜麻色の髪は豊かで、柔く波打ち、綺麗なアーモンド型の瞳は甘い紅茶色をしていた。はちみつにも似ていると、ふと、思う。ひかりの加減だろうか。
ヘルの助手をしているマリエールは、一応基本の知識は叩き込まれているらしかった。簡単な薬なら精製を任されているらしく、それをどこか誇らしげに話すのが可愛らしかった。
ユリシスは、微笑みながら尋ねる。
「今日は薬の配達なんだよね」
「ええ、村長さんの自宅よ。大奥さまが持病を抱えているの。それで週に一度、届けなきゃいけないのよ」
言いながらマリエールは、ヘルが用意しておいた薬瓶を丁寧に藁で包み、さらに布で覆った。薬作りで汚れたエプロンを外して、薬瓶を革製の小さな鞄に入れ、しっかりと胸の前に抱える。そうしてユリシスを振り向き、言った。
「さあ行きましょう」
「うん」
今日は、ふたりでこれを届ける役目を担っていた。
透き通った清流に、肥沃な大地。
深い森に隔てられ、外敵に怯えることもない。
平和な国だな、とユリシスはその景色を眺めながら思う。
ユリシスの国『フェゴール』の隣に位置する『シェノア王国』。
元はフェゴールと同じ国だったシェノアは、数百年前に独立した。その歴史のおかげで、言葉も文字も似ており、ユリシスは、マリエールたちとの意思疎通が難なくできている。
村人との関係も良好で、疑われることもない。むしろ、親切にされていると思う。
けれど状況は悪いままだ。
改めて自分の境遇を省み、ユリシスは村にきて何度目かの溜息をつく。
ヘルに救われ一週間以上が経とうとしているのに、いまだユリシスは有力な戻る術を見つけられてはいなかった。
ウベロの安否もずっと気に掛かっている。
それで一度はひとりで森を抜けてみようと考えもしたのだが、見透かされたのだろう、それがどれほど危険な行為かをヘルからこんこんと聞かされ、ユリシスはあえなく断念した。
そのヘルは今日、近隣の村へ仕事で出かけている。用事ついでにユリシスのことも尋ねてくれるそうだった。
表情の乏しさに反して、面倒見のいい男だと思う。自分のことも、マリエールのこともだ。
そんなことを考えていると、村の中でも一際立派な家――村長一家の家屋が見えてくる。
煉瓦作りの二階建ての家で、大きな緑色の屋根がひどく特徴的だった。
「あそこだよね」
と、マリエールに確認しようと顔を向ける。
とたんユリシスは、強い力で袖を引かれた。
「ユリシス、どうしたの? うちに何か用?」
村長の娘、ティティだった。明るい笑顔で、ユリシスを見つめてくる。
お付き合いくださりありがとうございます。