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恋に宿る  作者: koma
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『お逃げください、殿下』


 それは、三日ほど前のこと。

 ユリシスは、幼い頃から剣を教えてくれているふたりの従者、シャルマ・テペと、ウベロ・キオに起こされた。

 時計を見ると真夜中を過ぎたばかりだった。


『何があった』


 聞きながらシャルマから押し付けられたシャツとズボンに手早く着替える。その間も従者たちは、野生の獣のように外に気を配っていた。その手は抜いた剣から刹那も離れることはない。シャルマが言った。


『仕掛けられました。フィオリアさまです』


 三番目の父の恋人の名に、ユリシスは全てを察知した。自分の息子を王位に就かせたい愛妾フィオリアは、ユリシスがこの頃、精力的に議会へ顔を出すのが疎ましくなったのだろう。しかも父王はユリシスが優秀であることを衆目の眼前で褒め称えたばかりだった。

 彼女が自分の立場を危ぶみ、強硬手段をとったのも頷ける話だった。


 あえて傷を受け賊を捕らえ、フィオリア諸共(もろとも)失墜させるか。


 愛剣を腰に差しながら、ユリシスは対抗策を考えた。

 こちらにはシャルマとウベロをはじめ、腕の立つ味方は幾らかいる。ここで戦うか。

 ただし、懸念もある。無事実行犯を捕らえたとしても、フィオリアが彼らを知らないと言えば、自身にも他者にも甘い父王は、信じ、許してしまうだろうという点だ。どうする。

 

『殿下、こちらです。――数が多い。ひとまず避難しましょう』

『わかった』


 シャルマらにいざなわれ、ユリシスは隠し扉から城の狭い通路に入った。敵襲など有事の際にのみ使われる、裏道だ。


 と。数十秒後、背後から、ばたばたと数名の足音が追ってくるのが聞こえた。

 いくらなんでも早すぎる。

 怪訝に思ったユリシスは隣を走るシャルマを見上げて、息を呑んだ。シャルマが冷や汗をかいているのを、生まれて初めて目にしたからだ。


『最悪だな』


 呟いたシャルマは、強く眉根を寄せていた。 

 先月三十歳を迎えたばかりのシャルマは、亡き長兄とも仲が良かった。明るく気さくで仕事にも真面目で、ユリシスは誰かに相談したいときはまず、彼の姿を探したものだった。


 その彼が、あと少しで城の裏庭にでるという寸前で立ち止まる。

 先を走っていたウベロも止まり、もどかしそうに戻ってきた。


 シャルマは淡々と、けれど急いで言った。


『殿下、ウベロ。これは地図と路銀です。食糧はありませんが、毒草は食べてはいけませんよ』

『シャルマ、何を』

『先に行ってください。彼らは私が食い止めます。――おそらく、裏切り者が出ました』


 裏切り者。


 暗く狭い通路の中、ユリシスはシャルマを見つめた。

 自分たちは、事を急ぎすぎたのだと思った。

 大勢集まった仲間を素直に受け入れすぎた。兄の死に心が病み、ユリシスは冷静に、自分を律する術を見失っていた。浅はかすぎたのだ。


『シャルマ、僕は』

『お早く』


 無理やり革の袋を握らされ、背を力いっぱい押される。


 つんのめりそうになりながらも、ユリシスはウベロと共に外へ駆け出した。


『必ず戻る』


 振り向き、走りながら誓えば、シャルマは小さく微笑んでいた。

 

 シャルマは強い男だ。これくらいの窮地、簡単に切り抜くことができる。

 だから案ずることはない。

 そう思うのに、無力と悔しさでユリシスは溢れる涙を止めることができなかった。

 

『殿下、私がついております。シャルマは無事です』

『わかっている』


 馬小屋にもフィオリアの手の者が構えている可能性を憂慮し、ユリシスとウベロは、徒歩で城をでることにした。翌朝には戻るつもりだった。しかし、フィオリオの配した賊は思いの外執拗で、陰険だった。




 それはまるで狩だった。

 城の裏手にある森に逃げ込んだのが悪手だったのか、ユリシスとウベロは休む間もなくつけ狙われた。

 歩けば矢が飛んできて、茂みから突然刃を降り下される。


 立ち向かい、逃げ、を繰り返し。そうして気づけば、ユリシスたちは城から遠く離れた山の方へと追い立てられていた。


『殿下、ご無事ですか』

『ああ、おまえは』

『平気ですよ』


 ウベロは蒼白になりながら、木の根元で座り込んでいた。

 ユリシスが受けるはずだった傷を、顔や手、足にも負っている。


 ウベロは言った。


『こんな場所まで来ちまうなんてなあ』


 薄暗くなり始めた空を見上げ、乾いた笑い声を漏らす。


『こんなところ? おまえ、ここがどこかわかるのか?』

『ええ。殿下よりは長く生きてますから』


 ウベロはよろよろと、西の方を指差した。


『この先に、村があるはずです。そこに助けを求めましょう。まだ、当分歩きますけど』

『わかった、そうしよう。けど、おまえはここで休んでいろ。僕が助けを連れてくる』


 飲まず食わずが二日も続いていた。

 血を流したウベロは、体力の限界がきていたのか、何も言わず、ユリシスに頷いた。


 ユリシスはひとり、枯れ枝を踏み締めるように歩き出す。


 限界なのは、ユリシスも同じだった。けれどこれは、自分の力の無さが招いた結果でもある。もう泣いてなどいられない。


 そう思った瞬間だった。頭上で雷鳴が轟いたのは。


 雨がくるな。


 ぼんやりと思った。


 それからしばらく歩き続ける。まもなく、雨が全身を濡らしはじめた。


 寒さに手がかじかみだし、足と頭の動きも鈍くなる。だめだ、立ち止まるな。ユリシスは自分を叱咤し、西へ西へと歩き続けた。けれど、限界がきた。






 ――低く掠れた、抑揚のない声がしていた。


『……おい。おい、大丈夫か?』


 夢現に、頬を軽く打たれたのを覚えている。なんて無礼な奴なんだ、と思った。


 それから先のことは、ほんとうに曖昧だった。


 気づけばユリシスは知らないボロ小屋に連れ込まれていて、知らない少女に服を脱がされかかっていた。追い剥ぎだと思った。しかし少女はやさしくユリシスの身体を拭い、乾いた服を着せてくれた。そのあと飲まされた薬はひどく苦かったけれど、何日かぶりの食事は、嘘みたいに美味しかった。


 目覚め、少女と男――マリエールとヘルに話を聞いて自分の置かれた状況を把握したユリシスは、ことさら強く思った。

 早く戻らなければと。







「あ、安心して。きっとあなたの家族を探し出してみせる。協力するから」 


 善意に満ち溢れた少女に手を握りしめられ、ユリシスは微笑んだ。


「ありがとう」


 きっとこの子に他意はないのだろう。ヘルの方はどうだかわからないけれど。


 ――もう僕は簡単に騙されたりしない。見極める目を養うんだ。


 自分の信念のため。何より、自分を命懸けで逃がしてくれたシャルマとウベロのためにも。


 素朴な少女を見つめながら、そう強く心に誓った。



読んでくださってありがとうございます。

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