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「どうだった?」
「よく効いたよ。熱も引いて、食欲も戻ってきてる」
エリオの答えに、マリエールは表情を明るくした。
「よかった。これで極刑は免れそうね」
最後の一言は小声で囁くと、エリオは苦笑する。
「ああ、ほんとうに――命拾いしたな」
それは、登城して二週間目のことだった。
集められた医師らと共に治療に専念していたエリオとマリエールだったが、どうしても王子ルシアンの症状だけが良くならず、医師たちは日に日に圧力をかけられるようになっていた。
『まだ治せないのか』
『王子を優先しろと言ったはずだ』
『万が一のことがあればフィオリアさまが黙ってはおられないぞ』
――フィオリアとは、ルシアン王子の母親で、現国王の愛妾のひとりだそうだった。
マリエールたちはせっつかれながらも、あらゆる処置法を試し、薬を作り、ルシアンに服用させた。それと言うのも、ウベロや他の患者には効いた薬を、ルシアンが必要な量を「苦すぎる」と言って飲んでくれなかったためなのだけれど――ともかくマリエールたちは、苦戦を強いられていた。
そうして寝不足が続くこと数日。
ようやくエリオとマリエールは、最大の難題となっていた王子ルシアンの熱を下げることに成功したのだった。
早朝。
エリオとマリエールのふたりは、ルシアンの寝室に呼び出されていた。
「来たか」
ベッドの上で食事をとりながら揚々と言ったルシアンに、エリオとマリエールは頭を下げる。
「お加減が良くなられたようで、何よりです」
「ああ、今朝は特に気分がいい。生き返ったようだ」
言ったルシアンは、切り分けられたオレンジを、もぐもぐと頬張る。
母親が違うからなのだろうけれど、ルシアンとアルノルトは、似ても似つかない容姿をしていた。栗色の巻毛に同じ色の瞳。病床に伏していたとは思えないほどふくよかな身体。そしてこの、蔑むような視線。
口にものを入れたまま、ルシアンはぞんざいに言う。
「エリオ・フィガーと言ったか。その家来も、礼をとらせてやる。だが、あのまずい薬を何度も飲ませようとしたことだけは母上に報告させてもらうぞ」
「はっ。申し訳ございません」
エリオの形式的な謝罪に、ルシアンは不快そうに眉間に皺を寄せた。それはいかにも王族らしい態度ではあるのだろうけれど、アルノルトとはまるで違っていて。だから次期国王に選ばれたのは彼なのだろうと、マリエールは思ってしまった。
と、そこへ数名の宮廷医がずかずかと乗り込んでくる。
「ルシアン様! ご回復されたようで何よりです。おや、もうお食事までとられるようになったのですね」
「おお、グラディウス。おまえにも心労をかけたな」
「いえいえ、殿下がご無事であれば私めなど」
にこやかに会話をするグラディウス医師――登城したその日に、マリエールに難癖をつけてきたあの老爺だ――が、ルシアンと親しげに握手を交わす。その隙に、エリオとマリエールはルシアンの部屋から退室した。そうして、あてがわている自分たちの部屋の方へと向かう。
エリオが凝り固まった肩を鳴らす。
「あーやっと帰れそうだな」
「ええ、ほんとうに」
広い廊下を歩みながら、ふたりは顔を見合わせ、困ったように笑いあう。エリオが言った。
「しかし、鉱物を混ぜ合わせるなんて発想、よく思いついたな」
「ヘルさんから昔、教えてもらったのを思い出したの。小さな子供なんかは、苦さに耐えられないから」
「でた、ヘルさん。あんたの師匠さんだっけ? まあ、けどそれ、間違ってもルシアン様の前では言うなよ。俺じゃ庇いきれない」
「ええ、肝に銘じておくわ」
そう軽口を叩き合っている最中だった。
廊下の曲がり角から、従者を連れたアルノルトが姿を現す。
すっと変わった空気に、マリエールは思わず身をすくめた。
「殿下」
エリオが立ち止まり、アルノルトらへ道を譲るため、脇へとそれる。
アルノルトは、エリオとマリエールのそばで立ち止まった。
「兄が回復したそうだな」
「はい。時間をかけてしまい、申し訳ございませんでした」
「いや。これで父上も安心するだろう。助かった――ありがとう」
言いながら、アルノルトがエリオと、その後ろに控えていたマリエールにも視線を配る。
数日ぶりに会ったアルノルトに、マリエールは緊張をにじませた。
「――ウベロ様もお元気になられたようで、よかったです」
アルノルトの背後に立っていたウベロを見て言えば、彼はわずかに頭を下げてきた。その顔色はすっかりよくなっていて、足取りも確かだった。
「その節は世話になりました」
低く野太い声で言われて、マリエールは、自分はただ仕事をしただけだと首を横に振った。
ウベロは、マリエールの見立て通り薬を飲んだ翌日には平熱に戻り、順調に回復していった。咳も止まり、あの日は掠れていた声も今は鮮明になっている。
「具合の悪いところは、ほんとうにもうありませんか? できることがあれば、おっしゃってくださいね」
マリエールが言えば、ウベロの目元が柔らかくなる。
「ありがとうございますマリエール殿。ですがほんとうに回復しましたよ」
アルノルトの信頼する騎士は、こんなにも誠実な目をする人だったのか。
ウベロを診た翌々日から、ルシアンの診療に回されたマリエールは、彼とゆっくり会話をする暇を持てなかった。ただ、ルシアンを診る合間にも、なんとか軟膏を作ることはでき、それは医務官を通して渡してもらっていた。その件も礼を言われて、マリエールは頭を下げる。
そんな状況だった。だからアルノルトとも当然、会える時間などはなく、今日はあの朝以来の再会で、彼とは少しだけ打ち解けられたと思った瞬間もあったが、また緊張が戻ってしまっていた。
立ち止まったままのアルノルトが、つと口を開く。
「……エリオもきみも、目の下が黒いな。兄が無理をさせたか」
すまないと続け様に言ったアルノルトに、エリオが軽く肩をすくめる。
「いえ。よくあることですから」
しかしアルノルトは難しい顔をしたままだった。
「……実は近々、父が兄の快気祝いと、きみたちへの労いを兼ねて夜会を開くと言っている。無理にとは言わないが」
「はは、ありがとうございます。謹んでお受けしますよ」
夜会。それがどんなものか分からないマリエールは、村や学院で参加したことのある夜祭りを思い出していた。
と、アルノルトと視線とぶつかる。
夜会は、貴族だけの集まりかと思っていたが、どうやら違うようだった。
「父がきみの手腕もいたく気に入っている……私もそばに着くから」
加われと言われていた。マリエールは戸惑いつつも頷き返す。
「はい。是非」
気の利いた言い回しなど思いつかず、そう答えるのがやっとだった。しかしアルノルトはすまなそうにほんの少しだけ笑みを返してくれて。
「ありがとう。では、また」
そう言うと、マリエールたちの前を通り過ぎていった。
後には、静けさだけが残っていた。




