6
「失礼します」
緊張を滲ませながら、室内をうかがう。
そこは、マリエールが思っていたよりずっと簡素な作りをしていた。
正面の壁には貴族風の男の子の肖像画。
そのそばに書棚、衣装箪笥、文机、と続き、あとは奥まったところにベッドが置かれているだけで、必要最低限の調度品だけが揃えられている印象だ。部屋の主の意向だろうか。
ベッドの方からは、微かな息遣いが聞こえている。
開け放たれた窓の外は曇天。
わずかに雨の気配が近づいていた。
「中へ」
アルノルトにそっと促され、マリエールはベッドへ歩み寄った。
そこで仰向けに眠っている男性――ウベロ・キオに声をかける。
「ウベロ、さま」
しかし、その目はかたく閉じられたまま、開かれる様子はない。と――
「ウベロ」
――代わるように、そばからアルノルトが呼びかけた。
「ウベロ。薬師を連れてきた、起きられるか」
「――……」
主人の声を聞き届けたからだろう。ウベロはゆっくりと目を開き、その視界にアルノルトを捉えた。
「でん……か」
「いい、喋るな」
ウベロの声は、先に聞き及んでいたとおりひどく掠れていた。ひと月も続いている咳のためだろう。
マリエールはアルノルトの影でそっと眉を顰める。
――この方が、アルノルトさまの腹心
そして長く病に苦しんでいる患者。
ウベロは、虚な目でマリエールを見上げた。黄に近い金色の瞳と目があう。
日に焼けた褐色の肌、燃えるような赤い髪。白いシャツから覗く胸元や首筋はほどよく筋肉がつき引き締まっていて、マリエールは、うまれて始めて本物の〝戦士〟を見たような気分になった。
と、身を起そうとしたウベロが、激しく咳き込みだす。肩肘をつき、大きな身体を横にして、何度も肩を揺らしだした。
「寝ていろ」
アルノルトがウベロの背を支え、咳が止むのを待つ。
「水を」
「はい」
こちらを見もしないアルノルトに言われて、マリエールは、急いでベッドの脇に用意されていた水差しから杯に水を注ぎ、差し出した。
「ゆっくり飲め」
咳が止んだウベロは、なんとか身体をアルノルトに預けながら起こし、時間をかけて水を飲み干した。
時間が惜しい。マリエールは腕まくりをする。
「殿下、ウベロさまにお触れしても?」
「ああ、もちろんだ――ウベロ、彼女はノクティアから来てくれた薬師だ。私も見ているから、安心していい」
背中をベッドに預け直したウベロは、首だけで頷いた。
「失礼します」
言ってアルノルトと位置を交代したマリエールは、ウベロの両目を見、首筋に触れ、喉の奥を覗き込んだ。――そこは痛々しく腫れ上がっていたし、触れた身体はどこもかしこも熱く汗ばんでいた。
こんな状態がずっと続いていたなんて、どれほど苦しかっただろう。
マリエールは一刻も早く治さねばと思い、これまでの治療法をアルノルトと、遅れて到着した医務官に確認した。
医務官は終始渋い顔をしていた。
「エリオさまの勧められているニナの薬は無論、試しましたし、他の解熱剤や咳止めも飲んでいただきました。ですが、この通り。なんの効果も得られていないのです」
「わかりました」
マリエールは頷き、カバンから一冊の薬学書を取り出す。ヘルから受け継いだもので、とても古い書物だが、彼のメモなども残されているため、とても頼りになるのだ。
マリエールは医務官に効果のあると思われる薬草のページを見せた。
「この薬はどうでしょう? 嘔吐するかもしれませんが、試す価値はあるかと」
「……なるほど」
医務官とアルノルトの承諾を得てから、マリエールはその調薬に取りかかった。
必要な材料と道具を集めてもらい、城にないものは、持ってきた自分の薬草で補う。
その間、マリエールは監視されていた。当然のことだった。なにせ王子が一番頼りにしている騎士の命がかかっているのだから。それは、わかる。
けれど――
「……殿下」
「なんだ」
調薬のために借りた炊事場の片隅。
立派な釜戸にかけられた鉄鍋で薬草を煮出しながら、マリエールは、背後で腕を組んでいるアルノルトを見やった。
「その……お掛けになられては?」
「いい。調薬にも興味がある」
言って鍋を覗き込まれ、マリエールはかき回し棒を強く握りしめた。
――緊張する
アルノルトが、ウベロに妙な薬を飲ませたくない気持ちはわかる。けれど、だからと言って自ら監視役を買ってでなくても。
思う気持ちを飲み込んで、マリエールは薬作りに集中した。
十分に薬草が煮出されたのを確認して、木の椀に移す。どろりとした深緑色のそれを匙で掬い、少しだけ舐める。大丈夫。苦味は問題ない。
「できたのか」
「はい」
アルノルトとともに、ウベロの部屋へ急ぎ戻った。
「ウベロ、薬ができた。起き上がれるか?」
ウベロは赤い顔をしたまま、無言で上体を起こした。マリエールはまだ温かい薬をウベロへと差し出す。
「飲んでください。量が多いですが、どうか」
「……」
熱に魘される中。のろのろと薬を口にしたウベロは、瞬間、その地獄のような苦味にこれでもかと顔を歪めた。それでも椀の分はすべて飲んでもらわなくては意味がない。
「申し訳ございません、最後まで飲んでいただけませんか。きっとよくなりますから」
懇願したマリエールに、ウベロは表情で苦悶を返したが。
「ウベロ、頼む」
アルノルトの一言に観念し、何度も嘔吐きながら、椀を空にしてくれた。
そうしてベッドに身を横たえると、目を瞑り、掠れた声でつぶやく。
「拷問だな……」
「……治療です」
マリエールはか細く答えた。
気付けば日は、すっかり暮れ落ちていた。
眠ってしまったウベロを起こさないよう、マリエールは囁くようにアルノルトへ尋ねる。
「今夜は、ここで休んでも?」
患者の容体を見守りたかった。
ゆらめく燭台の灯りを受け、アルノルトは頷く。
「ああ構わないが……無理はしないように」
「はい、ありがとうございます。殿下」
「……また、見にくる」
アルノルトは、これ以上の時間を避けなかったのだろう。
ウベロを気にかけながらも、難しい顔をしたまま後ろ髪を引かれるように部屋をあとにする。
扉のすぐ外に衛兵がついてくれているそうだが、ひとまずは休憩だ。
「ふう」
マリエールはベッドそばの椅子に腰を下ろし、小さく息をつく。
そこでやっとのこと、呼吸ができるような気がしていた。




