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嘘、そんなこと、あるはずがない――。
マリエールは目の前に立った王子を前に、言葉を失っていた。
王都で広まり始めている謎の高熱病。
その対処のため、マリエールはエリオと共に城へ上がることとなった、のだが。
「こちらです」
城の文官に連れられ、堅牢な石造りの門を潜り抜け、そうして通されたのは、瀟洒に飾られた一室だった。
「どうぞ」
促され、エリオとともに入室する。
中では、集められた医師らがすでに話し合いをはじめていて――――
そこで対面した王子、アルノルトを見て、マリエールは思わず声をあげそうになったのだった。
(嘘……)
艶やかな夜色の髪、灰藍色の凛とした瞳、彫刻のように整った顔立ち。
王子は、六年前に突如村からいなくなった少年――ユリシスと瓜二つだった。
声は、記憶のそれよりも低く重みを増しており、身長も同じ目線だったものが見上げるほどに伸びていたけれど、あのままユリシスが村にいたら、きっとこんなふうに成長していただろうと、そう思わせるような容貌をしていた。
「……アルノルトだ。よろしく頼む」
王子の発した低い声に、マリエールは意識を現実へと引き戻す。
「……はい」
不敬を働いてしまうところだった。
動揺を隠して頭を下げ、エリオの元に足早に戻る。
片手を胸にあて、速まる鼓動を必死に押さえつけていた。
――そうよ、ちがう。そんなことあるはずない。ユリシスが生きていて、その正体が王子さまだったなんて。
夢物語のような妄想を振り払い、仕事へと気持ちを切り替える。
よく考えれば、黒い髪も藍色の瞳も、特別珍しいものではない。
いつも心のどこかでユリシスを探していた。だからそっくりなアルノルトを見て、頭がそう勘違いしてしまったんだろう。
そう結論づけると、ようやく心は鎮まり始めてくれた。
マリエールは小さく安堵する。
「マリエール、どうかした?」
と、背を屈めたエリオに、耳元で囁かれる。いつもとマリエールの様子が違うことに気づいてくれたのだろう。
マリエールはかすかに顔を左右に振る。
「なんでもない。緊張してるだけ。――でも、ほんとうに素敵な方ね」
「ああ、だろ」
そっとアルノルトに目を向ければ、エリオも同意するように目線を動かした。
アルノルトは、他に集められた医師たちとも挨拶を交わしていた。その精悍な横顔もユリシスとよく似ていると思ってしまう。
「失礼、エリオ殿。話を進めたいのだが」
「はい」
侍医のひとり、白髭を蓄えた男性に呼ばれ、患者の容体を事細かに説明された。マリエールはエリオが手渡された診療録を貸してもらい、自分でも読み込む。
続く咳、発熱、効かないニナの薬。
症状だけをみれば、ノクティアで起こった病と酷似している。が、全く同じではないのだろう。人間の成長と同じく、病も生き残るため、世に適応できるよう形を変えるというのは、ありうる話だった。
「とにかく、患者さんを診てみないと」
「だな」
言ったマリエールに、エリオも短く頷く。
しかし大勢で押しかけるわけにはいかない。
話し合いの結果、代表のエリオと他の医師数名が、優先すべき患者――ルシアンを見舞うことになった。その許可を得るため、エリオたちがアルノルトに歩み寄る。
「殿下」
瞬間、こちらを向いたアルノルトと一瞬目があい、マリエールは咄嗟に頭を下げる。
エリオが前に出た。
「なんだ」
「ルシアンさまとお会いさせていただきたいのですが」
「……ああ、構わない」
ルシアンは、アルノルトの兄だ。交易都市ノクティアの領主でもあるのだが、王都に滞在中、運悪く病を発症してしまったらしい。現在、該当の患者数は三桁にも及んでいるが、まずは王族を見ろとルシアンの母親が圧をかけたため、ルシアン王子から診ることになっていた。
「案内します」
医務官の男が言って、エリオたちを扉の向こうへと誘う。
その間、残されたマリエールたちは、他の患者を見舞うことになった。
重症度に合わせ、それぞれが振り分けられる中、マリエールを見とめた侍医のひとり――白髭を蓄えた老齢の男が、面倒そうに眉を寄せた。
「ああ、あんたはいい。部屋で休んでいなさい」
「え」
どうして、と尋ねようとすると、医師はやれやれとため息をこぼした。眉間に寄った皺、おざなりな話し方、隠そうともしない嫌悪。その顔は今までも何度か向けられた覚えがあって、とたん、マリエールは足先がスッと冷えていく感覚を味わった。まただ。
医師は言う。
「あんた、どうせあの若造の情婦か何かなんだろう。全く、こんな所までついてきて……。いいかい、こちらは仕事をしているんだ。邪魔だけはしないでくれ」
あまりの言われように、マリエールはつい口を開いていた。
「……お言葉ですが、私も薬師の端くれです。邪魔なんて」
「じゃあ端くれさん。あんたに何ができるというんです」
半笑いを返され、きゅっと唇を噛み締める。
いつもこうだった。若さと立場の弱さで、マリエールは軽んじられる。実績がないと首を横に振られ、けれどその実績を作ろうともがいても、機会すら与えてもらえない。
診療録に掴む手が、震えそうになる。
――ほんとうはあの薬は、私が考案したものなのに。
――エリオも、そう話してくれたのに。
喉の奥まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。どうしても功績がほしいわけじゃない。ただ、この目を向けられるのだけは、慣れなかった。
マリエールは挫けそうになる心を叱咤し、深呼吸する。
ここで感情的になってはダメだ。さらに馬鹿にされ、無視をされる。
マリエールは冷静に、目の前に立つ医師を見つめ返した。
「できることはあります。私は薬学院も出ていますし、エリオさんの助手として、半年以上働いた経験もありますから」
「は、たったの半年」
「ええ。あなたさまからすれば、一瞬と同じかもしれません。ですが私には知識もあります。手も足も動かせます。体力があることが自慢です。遊び半分で参ったのではないと、証明させてください」
年端もいかぬ娘に、口答えされたと感じたのだろう。医師は苦虫を噛み潰したかのような顔をして、マリエールをさらに睨みつけた。
「ああはいわかりました。だったら、早く患者のところへ行きなさい。ただしね、少しも治らなかったら、わしがあんたを城から叩き出します。よく覚えていなさい、覚えていられるならね」
人差し指をマリエールの鼻先に突きつけ、医師は、吐き捨てるように言った。
マリエールと医師に、残った者たちの視線が集中する。
――きっとこの医師は、フェゴールでも高位にいる男なのだろう。マリエールはその男の反感を買ってしまった。エリオにも迷惑がかかるかもしれない。
けれど言った言葉に後悔はなかった。薬師として全力を尽くすのは当たり前のことだったし、エリオもわかってくれると確信していたからだ。それに最悪は、マリエールひとりが城を去ればいいだけの話なのだ。
「わかりました。誠心誠意努めさせていただきます」
「ふん、好きにしろ」
医師が荒く鼻を鳴らす。その、直後だった。
「話は終わったか」
静謐な声がして、マリエールは気配に顔をあげる。と、王子アルノルトの灰藍色の瞳と目があった。見られていた。そう驚く間もなく、淡々と話しかけられる。
「きみには、私の腹心を診てもらいたい。熱が下がらないんだ、衰弱している」
そこにいることはわかっていたが、まさか直接声をかけられるとは思いもしなかった。
マリエールは、そっと頭を下げる。
「かしこまりました」
「こちらだ、ついて来い」
「はい」
歩き出したアルノルトを追う。
と、部屋を出る直前、扉に手をかけたアルノルトが、ふと背後を振り向いた。
「――それから、グラディウス」
「は、は!」
名を呼ばれた先ほどの医師――グラディウスは、さっと姿勢を正した。
アルノルトは低い声を投げかける。
「下らない話は止めて、おまえもすぐに持ち場に戻れ。この娘の経歴がそこまで気になるなら、エリオの身辺を探れば済むことだろう。二度と無駄口を叩くな」
「……申し訳、ございません」
深く頭を下げたグラディウス医師の声は、か細く震えていた。
マリエールはまるで自分も咎められたような気持ちになって、小さく息を呑む。
アルノルトは、エリオの言っていた通り、規律や振る舞いにとても厳しい人なのだろう。
自分も、彼の逆鱗に触れないよう気をつけなくては。
そう身構えるマリエールの肩に、ほんのわずか、アルノルトの片手が添えられた。驚いて顔をあげれば、彼の視線は足元に注がれていた。
「そこに段がある。気をつけて」
「は、はい」
アルノルトが扉を押さえている間に、マリエールは広い廊下へと出た。手は離される。
「ありがとうございます」
「いや……」
礼を言って顔を上げると、どうしてかアルノルトは立ち止まり、マリエールを見下ろしてきた。
なんだろう。髪でも乱れているだろうか。
不安になったマリエールが口を開こうとした、瞬間。
「……エリオ・フィガーとは、同僚か?」
「え?」
すぐには、何を言われたのか分からなかった。けれどすぐに王子の質問を理解し、当然だと頷く。
「ええ、もちろんです。それ以上の関係はありません。殿下にお誓いいたします」
「……そうか」
答えると、すっと目を逸らされた。
「すまない。不躾なことを聞いた」
「いえ、よく勘違いされるので。信じていただけてありがたいです」
歩き出したアルノルトの隣につく。いつの間にか背後には、王子の護衛だろう騎士が、二名ついてきていた。アルノルトは、前を向いたまま広く長い廊下を歩み続ける。
「不快な思いをしただろうが、ほんとうに、なすすべなくて。グラディウスのことは気にせず、力を貸してもらえるとありがたい」
「はい、尽力いたします」
まだ少し怖い。けれど、厳しいばかりの人ではないのかもしれない。
マリエールは思いながら、アルノルトの腹心――ウベロが休んでいる部屋に足を踏み入れた。




