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恋に宿る  作者: koma
【一章】
2/16

2

 雨は朝方まで降り続いた。


 ヘルに言われ床についたはいいものの、結局マリエールは、雨の音と少年のことが気になって中々眠りにつくことができず、翌朝、空が薄明るくなるのと同時にベッドを出た。


 髪を整え歯を磨き、いつもの仕事着――白い長袖のワンピースに赤いチェック柄の前掛け(エプロン)を着て、音を立てないようにして居間に入る。

 暖炉の炎はきちんと消され、ヘルは食卓にうつ伏せて寝ていた。ずっと看病をしていたのだろう。


 あの子は。


 思ったマリエールの目に、長椅子から身を起こした少年の姿が映る。

 癖のない黒髪に灰藍色の凛とした瞳。

 すっかり具合はよくなったのか、顔色は悪くないように思えた。


 と、少年がマリエールに気づき、小さく息を呑む。


「……君は」


 わずかに顔をこわばらせた少年に、ここは危険な場所ではないと伝えたくてマリエールは笑顔を作った。


「私はマリエール。ここで薬師のヘルさんの手伝いをしているの。昨日、あなたが森で倒れているのを見つけて、ヘルさんが連れてきたのよ。……覚えてない?」


 少年は困ったように眉を寄せる。 


「……何も。とても苦いものを飲まされたような気はするんだけど」


 言いながら少年は、思い出したように口元に手を当てた。その時。


「解熱剤だ。苦くて悪かったな」


 まだ眠そうにしているヘルが欠伸をしながら起き上がった。少年が目を丸くする。


「この人がヘルさんよ。とっても腕のいい薬師さんなの」


 マリエールの紹介に、少年はヘルを見つめた。


「……あなたが僕を助けて下さったんですか」

「あのままじゃのたれ死んでただろうからな」


 言ってヘルは、億劫そうにしながらも少年のそばまで歩み寄り、額に手をあてた。


「熱は引いてるな。他に痛いところは?」

「ありません」

「よかった」


 ヘルはもう一度欠伸をすると、のろのろと寝室の方へ向かう。


「悪いマリエール、朝食ができたら起こしてくれ。俺はもう少しだけ寝る」

「わかりました」

「あとおまえ…………名前なんだっけ」

 

 ヘルに問われ、少年は「ユリシス」と答えた。この辺りでは聞かない名前だった。


「ユリシスか。ふうん。……おまえももう少し安静にしてろ。あとで事情は聞くから」


 言いたいことだけを告げると、ヘルは寝室へと姿を消した。


 ふたりきりにされたマリエールは幾分緊張しつつ、キッチンへとまわる。


「あ、あの、何かあたたかいものでも飲む? それとも眠る?」

「ううん、起きるよ。水をもらえるとうれしいんだけど……」

「水ね、わかったわ」


 マリエールが汲み置きの水をマグに注ぐ間、ユリシスは昨夜、マリエールが彼にかけた毛布を丁寧に畳み、長椅子の背にかけた。

 そうして腕まくりをしながらマリエールのいるキッチンにはいってくる。


「お礼にもならないけど手伝うよ」

「え、いいわ。大丈夫よ」

「恩は返すように言われてるから」


 マリエールから水を受け取ったユリシスはそれをゆっくりと飲み干すと、生き返った、と微笑んだ。その柔らかな笑顔にマリエールもつられて笑う。


「昨日は死にそうな顔をしてたから安心したわ。もう平気みたいね」

「うん。ヘルさんの薬がすごく効いたみたいだ。ほんとうに腕のいい薬師さんなんだね」

「多分、国一番だと思うわ」

「それは光栄だ」


 ユリシスは言って、そっと笑顔を潜めた。


「……夕べはごめんね。僕、君にひどいことを言ってしまった気がする。親切に身体を拭いてくれたのに、『触るな』なんて……」

「いいのよ。知らない人にいきなり触られたら、誰だって嫌に決まってるもの。私だったら叩いてたかも」

「……君もヘルさんも、いい人だな」


 これはほんとうにきちんとお礼をしないと。と、ユリシスは呟き、それからマリエールが朝食を作るのを手伝った。


 野菜のダシでとったスープ、メインはスクランブルエッグと干し肉。付け合わせにサラダも盛り付ける。


 それらを食卓に並べる間、ふたりは身の上話に興じた。


「君はずっとヘルさんと一緒にいるの? 親子……には見えないから兄妹かな」

「ふふ、ハズレ。私、親がいなくてずーっと街の隅で野良猫みたいに暮らしてたんだけど、二年前、ヘルさんとたまたま知り合って。それから手伝いをさせてもらえることになったの」

「へぇ」

「ユリシスは? どこからきたの?」

「それがうまく思い出せないんだ。なんだか全部、ぼんやりしてて。……僕どこに倒れていたんだろう」

「ええ。大丈夫? 自分の名前は思い出せたんでしょう? 歳は? 家族のことは?」

「……たぶん十三、かなぁ。家族は、いたと思うんだけど」


 マリエールは言葉をなくす。

 こんなことってあるのだろうか。

 他にも幾つか質問をしてみたけれど、ユリシスはそれ以上のことを思い出すことはできなかった。


 マリエールは藁にも縋る思いで寝室で眠るヘルを起こし、状況を伝えた。


「ヘルさん、ヘルさん大変なの! ユリシスは何も覚えてないんですって」

「マリエール……耳元で騒がないでくれ」

「!……ごめんなさい」


 ヘルは起き抜け、それでもまだ眠たそうに扉の前で佇むユリシスを眺めた。


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