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「あ、あれは僕の領地だ、勝手をするな」
母親に似ず、駆け引きが苦手なのだろう。
その朝、アルノルトの執務室を訪ねてきたルシアンは、開口一番、震える声でそう言ってのけた。
アルノルトは執務椅子に腰掛けたまま、ルシアンの栗色の細い目を見つめ上げる。
「……なんのことでしょう」
「! しらばっくれるな、お、横領事件のことだ」
ルシアンはひっくり返った声で叫び、手にしていた書簡を思い切り机に叩きつけた。アルノルトは仕方なしに、手汗で萎れくしゃくしゃになった書簡に目線を落とす。そこには、ひと月ほど前に暴かれた交易都市ノクティアの横領事件の詳細がこと細かに記されていた。役人が税を中抜きし、それを懐に入れて豪遊していたというものだ。
アルノルトは書簡から顔を上げる。
「ああ、私が調査を命じたものですね。それで、これが何か? 不正が暴かれ、加担した者は
皆、法に則った処罰が執行されたはずですが」
ルシアンはおどおどと目を泳がせた。
「そ、そういう問題じゃない! ノクティアは僕の領地だ、僕を介さず勝手をするなと言っているんだ! は、母上も抗議すべきだとおっしゃっていたし……だ、だからこうしてわざわざ出向いてやったんだぞ!」
「……なるほど。そうですね、確かに、私の権限内とはいえ、それは申し訳ありませんでした。事は急を要していたもので。以後は、兄上を通して参りましょう」
淡々と応じるアルノルトに、ルシアンは丸い頬をさらに膨らませ、耳まで赤くしていった。赤子のようにふくふくとした両手を握りしめ、言語化できない憤りを鼻息を荒らしくて噴出させる。
フィオリアの愛息子にして、アルノルトの三つ年上の義兄――ルシアン・リ・フェゴール。
母親の傀儡であるルシアンは、幼い頃と変わらず、気弱げで、発言も稚拙だった。今年で二十二になるはずなのだが、まだ母親の言いなりになっている。
フィオリアからそう言うように指示されたのだろう――ルシアンは、思い出すようにして言葉を紡いだ。
「お、おまえ、『父上に気に入られているからと良い気になるなよ。年長を敬えない者に人徳などあるはずがない。必ず失脚する』」
「ご忠告痛み入ります。兄上も、どうぞお元気で」
「ま、まだ話は終わってな……っゲホっ」
ルシアンが叫んだと同時、軽く咳き込む。――このところ、城の者が幾人も同じような咳き込み方をしていたことを思い出し、アルノルトは腰を浮かせそうになった。
「大丈夫ですか? お掛けになられては」
「……っ構うな。薬があるから平気だ」
ルシアンは言いながら、従者から受け取った薬丸を口に放り込む。
(あの色……ヘルさんの薬と似てるな)
その様子を見守りながら、アルノルトは、ノクティアで功績を上げている医師の存在を思い浮かべてた。確か名は、エリオ・フィガー。ひどく腕のいい医者だそうで、その名声は王都にも流れてきている。
「と、ともかく、次はないからな。覚えてろよ」
「……お大事に」
まだまだ言いたい小言があったのだろうが、咳に耐えられなくなったらしい。
ルシアンは忌々しそうにアルノルトの執務室を出ていったが、扉の向こうでも、しばらく激しい咳音は続いていた。
部屋の隅に控えていたウベロが、静かに窓を開けて空気を入れ替える。
「随分、嫌われましたね」
「元からだ」
ルシアンの置いていった書簡を見つめ、アルノルトは苦笑する。
「――結局、あの女との繋がりは見つけられなかったな」
「トカゲの尻尾切りでしょうね」
眉を寄せたウベロに、アルノルトもそっと頷く。
ノクティアの不正。その影にフィオリアがいるはずと踏んでいたのだが、金の流れはノクティアを出たあとに途切れ、それ以上の証拠を押さえる事は叶わなかった。
しかし、不当に徴収されていた税制度は廃止、あるいは見直しがなされ、ノクティアには王都から監査官が配備されることになり、民の負担はいくらかは減ったようだった。
それだけでも良かったと、アルノルトは、そう思うことにする。――想定通り、フィオリアはまたねちねちと嫌味を言ってくるようになったが。
そんなことより仕事だ。
頭を切り替え、アルノルトは今日の予定を確認する。ルシアンの急な到来で、朝のうちに済ませておこうと思った作業が滞っていた。
「ウベロ、この後なんだが……」
と、側近に顔を向けた。瞬間、アルノルトは椅子を蹴って立ち上がっていた。
「! ウベロ、どうした」
「申し訳ありませ……ゲホっ」
音もなく膝をついていたウベロが、小さく咳き込む。
情気した頬。粗い息。その額に手を当てれば、湯のように熱かった。
「なぜ黙っていた」
すぐに衛兵を呼び、医師を呼ぶように命じた後、アルノルトはウベロの肩を自身の肩に乗せ、背負うように長椅子へと移動させた。衛兵に動かし方を伝えるより、そちらの方が早かったからだ。その間も激しく咳き込んでいたウベロに、不安を掻き立てられる。
「殿下、離れてください、ただの風邪かと」
「馬鹿を言うな、これは明らかにおかしい」
アルノルトは言いながら、ウベロの首元を締めるボタンを外した。
それは子供の頃、ヘルから教わった処置法だった。
いつから熱が出ていたのか、他に体調の異変は?
聞き取ろうとしたアルノルトの執務室に、衛兵と医師が駆け込んでくる。
権威ある老齢の医師は白い口髭を動かし、言った。
「またか……」
*
病は伝染する。
音もなく目にも見えず、しかし確かに存在して、人を脅かすのだ。
「なぜ治らない」
「もうひと月だぞ」
「エリオ・フィガーとやらの特効薬があるんじゃなかったのか?」
寵臣ウベロの病が一向に治らないことに、アルノルトはひどく狼狽えていた。
医師に詰めより、何度も状況を確認する。
ウベロが倒れて、早数週間。その間にも病は蔓延り、王都中を侵食していった。
滞在しているルシアンをはじめ、老若男女を問わず、長引く熱と咳に悩まされる患者が増え続けていく――。
以前ノクティアで流行った病も似たような症状だったそうで、早速薬を取り寄せ試してみたのだが、治る者もあれば治らない者もいて。
ウベロは、残念ながら後者だった。
「薬の効き目には個人差がありますからな、我々も手は尽くしているのですが、こればかりは」
アルノルトは、医師らから日々報告される患者数とその深刻さに、表情を常以上に険しくする。
冷徹と評される王子の噂は、病と共にさらに広がっていった。
ウベロの容体も悪くなるばかりで、アルノルトは執務の合間に彼を見舞いながら、最悪の事態を想定しては歯を食いしばる。
病床ですら自分を励ましてくれる寵臣に、何もできることがないのが悔しかった。
「殿下、私は平気ですから。そのような顔をなさらないでください」
「……必ず治す。今しばらく待ってくれ」
その頃、ウベロは続く咳に喉が腫れ、わずかに血を吐くようになっていた。
掠れたウベロの声が、耳に痛々しくてたまらない。
――このままではいずれ、死人が出る。
思い、アルノルトは批判も覚悟で、身分・国内外を問わず、名だたる医師や薬師を王都に呼び寄せることにした。しかしそれは、その土地から救い手を奪うことと同義で。できるだけ早急に解決できることを願い、アルノルトは王都の混乱を鎮めることに集中した。
「殿下、エリオ・フィガーも名乗りを上げました」
「そうか」
そうしてその数日後には、十数名の医師らが王城に集まった。
男が大半だったが、その中にひとり、若い娘が混じっているのを見止める。彼女もそうなのかと従者に耳打ちすれば、彼女はエリオ・フィガーの助手のような立ち位置なのだと、説明された。
王宮の医務室で集まった医師らから順番に挨拶を受けたアルノルトは、エリオと名乗った青年とも、硬い握手を交わす。
「お呼びだていただき光栄です、殿下。微力ながら、尽力させていただきます」
「ああ、よろしく頼む」
「ええ。きっと治してごらんにいれます」
人好きのする爽やかな笑顔。
さらりとした薄茶色の髪、猫を思わせる吊り目がちの青い瞳。
自分と違って、好印象を抱かれる男なのだろう。そう思いながら、温かな手を握り返す。
「――殿下」
と、エリオの後ろにいた娘が、そっと前に歩みでた。集った医師らの紅一点、エリオの助手という娘だ。
アルノルトはそっと視線を彼女に移す。
平均的な身長。清潔感のある白いシャツに、黒のロングスカート。亜麻色の長い髪は後ろで一つにまとめられ、こちらを見上げる瞳は深い紅茶色をしていた。どこかで見覚えがある。吸い寄せられるように娘を見つめるアルノルトの耳に、柔らかな声が届いた。
「お初にお目にかかります。アルノルト殿下。薬師のマリエール・フェルナーと申します。以後、お見知り置きを」
「…………――――」
嘘だ。
娘の名乗った名に、アルノルトは、呼吸を忘れていた。
一瞬目を見開いた娘が、不思議そうに首を傾げるのを、呆然と見つめる。
「…………――殿下?」
恐る恐るといった様子で声をかけられ、アルノルトはやっと我に返った。
慌てて礼をとる。
「アルノルト、だ。よろしく、頼む」
「……はい」
ほっとしたように頷き、エリオと共に下がったマリエールは、城の医師たちと早速話を進め始める。どこか大人びた、その横顔から意識を離せず、アルノルトは混乱する頭で、他の医師たちからの挨拶を受けた。
そこだけがまるで別の生き物かのように、心臓が激しく脈打つ。
どうして、彼女がここに。
思うと同時、ルシアンが飲んでいた薬丸が、ヘルの作っていたそれと似ていたことを思い出す。――つまりはあれば、エリオの名で広まりはしたが、マリエールの知識も合わさり作られたものだったのだろう。そう推察する。
〝立派な薬師になるのよ〟
橙に染まる夕日の中。それが夢だと語っていたマリエール。
それがきっと、叶ったのだろう。
(ああ、よかった、元気そうで――ほんとうに)
彼女のこれまでの努力を想像し、自然と頬が綻ぶ。
自分がいなくなった後も、マリエールは勉強を続けていたのだ。
(……うん、よかった。よかったんだ。これで)
マリエールの幸福を祝福しつつ、けれど面と向かってそう伝えられない寂しさをひた隠す。ほんとうはその手をとって、思い切り握りしめて「おめでとう」と言いたかった。けれど、アルノルトにはできない。
「……珍しいですね、殿下が人前で微笑まれるなんて」
傍にいた近習に囁かれ、アルノルトは表情を改めた。
緊急事態だ。ひとり浮かれ喜んでいる場合ではない。
「前進したからな」
そう嘯いて、元の冷静な王子の仮面をかぶる。
――マリエールに、正体は明かせない。混乱を招くだけだろうし、何より無関係の彼女をフィオリアとの確執に巻き込みたくはなかったからだ。
だから王子としての自分を必死に取り繕う。
(マリエールを応援しよう。あくまで王子として)
心を定めたアルノルトの方に、マリエールとエリオ、医師らが近づいてくる。何か、報告があるのだろう。
すっと背筋を正す。
しかし、子供の頃と変わらない、まっすぐなマリエールの瞳と視線がかち合ってしまい、情けなくも胸が騒いだ。マリエールの前に出た、エリオから話しかけられる。
「殿下」
「なんだ」
声が上擦りそうになる。
難しかった、自分の心を欺くことは。




