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恋に宿る  作者: koma
【二章】
17/24

 衛兵が守る回廊を抜け、西の塔へ渡り、装飾の施された執務室の扉を開ける。――そこでやっとアルノルトは、息をつくことができた。


「父上はどうしてああなんだ」


 愛用の椅子に腰を下ろし、ウベロが内から鍵を下ろしたのを確認して、喉まで競り上がっていた思いを口にする。


「こんな時期に夜会なんて。しかも、あんな豪勢に」


 執務机の片隅、山と積まれた嘆願書と臣下からの意見書を前に、アルノルトは不満を覚えずにはいられなかった。自然とため息が溢れる。


 このところ巷では、王侯貴族の金遣いが注目を浴び、問題視されていた。

 姫がまたドレスを買った――。

 食事は贅沢三昧――。

 視察と称した旅行を楽しんでいた――。

 探せばいくらでも出てくるだろうゴシップを、王都の記者たちが義憤を織り交ぜ、面白おかしく書き立てているのだ。

 アルノルトは、自身でも直接目にした記事の内容を思い起こし、頭を悩ませた。

 歯痒いのは、それがほとんど事実だということだった。


 父王は、フィオリアや娘たちにねだられれば、言われるがまま欲しいものを与えてしまう。たとえそれが高価な宝飾品だろうと、庭だろうと、動物だろうと。食事は毎晩、酒と肉を望み、視察先でも狩りや遊覧を楽しむばかりで、益となることはごくわずか。それでも未だフェゴールが国として成り立っているのは、優秀な臣下たちの献身と手腕、それから真面目で勤勉な民らの支えがあるからだった。どちらか一方を失えば、フェゴールは崩壊を免れないだろう。


「陛下は、明るい夜がお好きですからね」


 そっと言いながら、ウベロが蝋燭に明かりをともす。

 薄暗かった部屋の四隅が、ほんのりと輪郭を取り戻した。

 本棚、執務机、石造りの応接台と、それを挟むようにして設置された長椅子が二脚。

 必要最低限の調度品しか揃っていない、几帳面に整えられたその部屋は、一国の王子の執務室としてはどこか簡素だった。しかしアルノルトは、それでいいと命じていた。()()()の寝室も、そうだったからだ。


「……前に一度」


 新たに加えられていた報告書の一通を手に取り、ナイフで封を切る。

 ノクティア――フィオリアの息子ルシアンが統治する交易都市の名が記されていた。


「せめて、夜会をふた月に一度に減らせないかと、父上に進言したんだ。でも、『これは大切な慣習だから』と、聞き入れては貰えなかった」


 文字に目を通しながら、アルノルトは、息子と王子、二つの立場で揺れ動く。おおらかで明るい父のことは、人としては嫌いではない。けれど、過ぎる豪遊や度を越した楽観主義には危機感を拭いきれず。民の反感を買いかねないことばかりを繰り返す父に、アルノルトは次第に、〝この人〟は君主には不向きな男なのだと感じてしまっていた。


 実際父は、醜聞の載ったゴシップ記事を目にしても、『王家の威信を傷つける』と取り締まりを強めただけで、己の素行を悔い改めるつもりはないようだった。


 一際豪奢に飾り立てられていた今夜の大広間を思い出して、深い諦念を抱く。父とはやはり、分かり合えそうにない。


「これからですよ。殿下」

 

 目尻に皺を刻みながら、ウベロが柔らかく目を細めた。

 黄金色のまっすぐな眼差しを受け、この上もない従者に恵まれた幸運を噛み締めたアルノルトは、そっと顎を引いた。


「ああ……そうだな」


 彼と、仲間たちのおかげで、ようやく渇望していた地位が手に入る。その一番の功労者であるウベロには、いくら感謝してもしたりない。

 アルノルトは削ぎ落とされかけた活力を取り戻しながら、報告書に目線を戻した。

 それは、アルノルトを支持する臣下から送られたもので、税の不当徴収が行われているため調査を行いたいが、領主ルシアンが認めてくれないとの救援要請だった。


「……ルシアンか」


 久しく会っていない、三つ年上の義兄の名を呟く。顔はぼんやりとしか思い出せなかった。いつも母親――フィオリアの影に隠れていたせいだろう。母に似ず、大人しく気弱な少年だったような気がするが、今はどうでもいいことだと、ペン先に手を伸ばす。

 そうしてアルノルトは、自身の権限内で可能範囲の調査許可証を作る旨を書簡に認めた。これでまたフィオリアには煙たがられることになるだろう。その歪んだ顔が、目に浮かぶようだった。


 明日も予定が詰まっている。

 もう数件は処理しておこうと、書類に手を伸ばしたところで、ウベロにやんわりと制止された。


「殿下。今夜はそろそろお休みになられては。御身を壊されては元も子もありません」

「ああ。でも、あともう少しだけ」


 ウベロは心配そうに、それでも主人の意思を妨げることはなく、部屋を引き下がる。 


 そうしてひとり、部屋で書き物をしていると、アルノルトには、どうしても思い出してしまう人がいた。

 淡々と書類を片付ける。

 ――結局、本名を伝えることはできなかったから、耳に残っているのは、咄嗟についてしまった嘘の名前だけ。この国ではありふれた男性名だ。でも、彼女の姿ならはっきりと思い出せる。柔らかな亜麻色の髪と、輝く紅茶色の瞳、うらもおもてもない笑顔。さまざまな薬学と、食事の作り方と、労働と、水汲みと、畑仕事と――――そんな全てを丁寧に、身をもって教えてくれた少女。

 あの子もいつも、頑張っていた。きっと今も。

 走らせていたペン先が速度を増す。あふれる記憶に溺れそうになった。

 会いたい。

 そんな思いが、ないわけではなかった。でもそれは、そんなことは、絶望的で。アルノルトは心の中に息づくその人を、わずかな時間思い出すことしかできなかった。

 元気でいるだろうか。そうだったらいい。病気もせず、不幸にも見舞われず、どうか息災で。

 そう願うことで、気持ちを落ち着ける。


 継承争いに翻弄され、荒れ、疲弊した心が、きっと、やさしい思い出を美化しすぎているだけなのだと。そう、思い込もうとした。


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