12
「ティティ。すぐに村長を呼んできて。村の男の人たちも」
「お、お父さまを?」
「急いで」
厳しい口調のユリシスに、ティティは顔を真っ青にした。自分の父親や祖母には、まだ事態を伝えていないらしい。
「どいて」
ヘルがティティを押し除け、家を出ようとし、半身で振り返る。
「先に行く。あと頼めるか」
「はい――ティティ、早く。もう二日も経ってるんだろ」
「っは、はい!」
ティティはつんのめるように駆け出した。ユリシスは深いため息をこぼし、自分も捜索に出かける用意をする。
大変なことに巻き込まれていた。
*
――夜の森にはお化けが出るの。
――だから入ってはいけないの。
この村の子どもなら、誰もが知っている子守唄。
それをマリエールは、もちろん知ってなどいなかった。
ただ、夜の家から時々聞こえるやさしい声を、どこか切ない気持ちで聞いていた。
喉が渇いた。
お腹も空いた。
「早く帰らないと……」
声が、音になったかもわからない。
深い森の奥。木の根元に座り込んだマリエールは、朦朧と空を見上げる。
昼間でも鬱蒼とした森の中で、樹々の合間から差し込む陽の光だけが、マリエールに時間を教えてくれていた。今はちょうど、昼を過ぎたばかりのようだ。
(帰らなきゃ)
マリエールはよろけそうになる足になんとか力を込め、木に手をつきながら立ち上がる。
薬草を探しに出てから、もうふた晩も森で夜を明かしてしまっていた。時間がない。早く戻って、薬を作らないとティティのお婆さまが辛い思いをしてしまう。
マリエールはどこをとっても同じように見える景色を見渡し、ぐらぐらする頭で考える。
(どっちに行けばいいんだっけ)
そう思った瞬間だった。
「あれ」
まるで自分の身体ではないみたいだった。
足から力が抜け、また同じ場所に座り込んでしまう。
立ちあがろうとするけれど、力が入らない。
「ヘルさん」
明るいうちなら大丈夫だなんて、思った自分が愚かだった。
木につけておいたはずの目印を見失い、引き返そうとしたときには手遅れで――マリエールは気付けば、森の奥へと入り込んでしまっていた。鞄に入れた薬草も、もう萎れて使えない。
「ヘルさん」
助けを呼ぶ、その声もか細くなる。
どこか遠くで、ぎゃあぎゃあと鳥が騒ぎ始めた。
「あ……あ」
聞こえるもの、見えるもの、すべてが恐ろしくなって、マリエールは声を上げた。
「ヘルさん……!」
『ひとりで森に入るな』
ヘルの言いつけを守らなかったから。できないことをできないと、ちゃんとティティに言えなかったから。だから神さまはマリエールを見放したのかもしれない。せっかく幸せになる機会を与えてくれたのに。
「ごめんなさい」
目を瞑ると、熱い雫が頬を伝った。
――街の片隅で花売りをしていた頃。
マリエールはいつも、綺麗な服を着て母親と手を繋ぎ、幸せそうに歩いている子どもをよく目で追っていた。その姿が見えなくなるまで、いつまでも。
だからだろう。
『いっしょに来るか?』
ヘルに差し出された手が、とても嬉しかったのは。でも、もう――……
「マリエール! マリエール……っ!」
激しく肩を揺さぶられ、名を呼ばれる。
必死な呼びかけに、マリエールはうっすらと目を開いた。
朧げな視界の中、すぐそこに、端正な少年の顔が浮かぶ。
「! マリエール、気がついた? 僕がわかる?」
いつになく真剣な表情をしたユリシスがそこにいた。
泥の上に片膝をつき、マリエールを覗き込んでいる。
「ユリ、シス……?」
「うん、僕だよ。よかった」
心底ほっとした様子で、ユリシスは息をついた。
マリエールはいつの間にか意識を失っていたらしい。
気付けば辺りは、先ほどより暗くなっていた。
「わたし、迷ってしまって」
「わかってる。今、村のみんなできみを探してたんだ」
「……みんなで?」
「うん」
ユリシスが背後に顔を向け、「いました!」と大声を上げる。
すると森の向こうから、幾つかの野太い声が返ってきた。
ほんとうに、みんなで探してくれたらしい。
マリエールは呆然としてユリシスを見上げる。
困ったように笑われた。
「なんて顔してるの。立てる? ――……ああ、怪我してるね。僕に乗って」
背を向けてしゃがんだユリシスに、マリエールは手を伸ばせない。
迷惑をかけてしまった申し訳なさと、探しにきてもらえた安堵で、視界が滲む。
いつまでもおぶさらないマリエールを不思議に思ったのか、ユリシスが首をこちらに傾けた。
「マリエール?」
「…………ヘルさんは、怒ってない?」
震える声で尋ねる。
ユリシスは静かに言った。
「怒ってたよ、とてもね」
マリエールは堪えきれずに声を上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「うん、あとでいっぱい聞くから、帰ろう」
マリエールの手を取って、ユリシスは彼女を自分の背に乗せた。マリエールの方が身長が高いせいか、その足元は頼りなくふらつく。けれど彼は家に着くまで、その役目を誰にも託そうとはしなかった。
「心配した」
夕刻。
森を抜け、やっと家に辿り着いたマリエールを待ち構えていたのは、ひどく顔をしかめたヘルだった。ヘルもほうぼう探してくれたらしく、行商帰りも重なってかその顔には色濃い疲れが見てとれた。
ユリシスの背から降りたマリエールに、ヘルは厳しく言いつける。
「もう二度とひとりで森に入るなよ」
「……はい、ごめんなさい」
思ったより怒鳴られはしなかったけれど、これはこれで怖かった。
黙々と手当てをされ、安静にするようにとベッドに押し込められる。まだ、陽も落ちてはいないのに。
(明日、村の人たちに、ちゃんとお礼を言わないと)
ヘルに治療を優先させられたマリエールは、まだ誰ともまともに話せていなかった。
(ともかく今は、体力を回復させよう)
マリエールはすっと瞼を閉じる。
と、その時、にわかに居間の方が騒がしくなる。
「ごめんなさい、ほんとうに、あの……!」
「静かにしてもらえませんか。マリエールが休んでいます」
「で、でも……ごめんなさい」
言い合いをしている。
ヘルと――ティティだった。
「マリエール、少しいい?」
ユリシスが音も立てず、寝室に滑り込んできた。
「騒がしくしてごめん。すぐ静かになると思うから」
「ううん。……ティティが来てるの?」
「うん、ご両親もいっしょ。きみに謝りたいんだって」
「謝る?」
首を傾げたマリエールに、ユリシスは嘆息する。
「……薬、ほんとは急ぎじゃなかったんだって」
「…………え」
(そう、なんだ……)
マリエールは、すぐそばの床に腰を下ろしたユリシスを見やる。
じゃあティティのお婆さまは大丈夫なのね――なんて聖人めいた気持ちにはなれなかった。けれど、少しだけほっとする。今はただ何を気にかけるでもなく休んでいいのだと。
扉の向こうでは、ティティ一家とヘルの言い合いが続いていた。
「こんなものいりません。お持ち帰りください」
「でも……」
「ヘルさん! わたし、無茶を言ってマリエールを困らせました! ほんとうにごめんなさい」
「謝るくらいだったら待ってほしかったよ」
「ヘルさん。娘が、ほんとうに申し訳ないことをしました。なんとお詫びすれば――」
「――裂傷」
ヘルが、ティティの父親の声を遮る。
「虫刺され、脱水、発熱。あの子は明らかに衰弱しています。そのことを、よく覚えておいてください」
「……申し訳ありません」
ティティの父親――村長が一段と低い声で謝罪する。
「ね、とても怒ってるだろ?」
ユリシスに耳元で囁かれ、マリエールは小さくうなずいた。ヘルは、怒ってくれていた。
マリエールは、ベッドの中からユリシスをじっと見上げる。
「……ねえユリシス、ティティを呼んできてくれない? ふたりだけで話したいの」
「……今じゃなくても」
「今がいいの、お願い」
「……少しだけだけよ」
ユリシスは不安そうにしながらも、マリエールの願いを叶えてくれた。
恐る恐る寝室に入ってきたティティは、傷だらけをマリエールを見て動きを止める。
「……ごめんなさい。わたし、こんなことになるなんて思わなくて」
「じゃあ、どうなると思ってたの?」
「……」
「わたしが、いなくなったらよかったの?」
「……そんなこと思ってない。ただ少し……困らせたかったの」
「……それはわたしがよそ者だから?」
きりきりとお腹が痛んでいた。
ティティの瞳に、正義にも似た色が宿る。震える声で、彼女は話しだした。
「……それだけじゃないわよ。ねえ、知ってた? あんたが来てからうちの村は不作が続いてるって。去年なんて、いつもの半分も収穫がなかったんだから。みんなあんたが原因だって思ってる。だって今までこんなことなかったんだもの」
そうだったのか。
「知らなかったわ」
マリエールは、ゆっくりとまばたきを繰り返した。
村の人たちから敬遠されている理由を、ゆっくりと受け止める。
不作は確かに深刻な問題だ。村の人々が何かのせいにしたがるのもよくわかる。わかるけれど、苦しかった。
ティティは、怒ったように話し続ける。
「何よ、何か言い返しなさいよ。そんなの馬鹿馬鹿しいって、偶然だって! 言えばいいじゃない! わたしだってそのくらいわかっ――」
「そうよ、わたしのせいじゃない」
「――」
「わたしのせいじゃない」
ティティが言葉を止める。マリエールはその目をしっかりと見据えた。
「だから、今年の実りまで待って。きっと証明してみせるから」
ただの偶然だと、言い張ることは簡単だ。
けれどそれでは、村の人たちは納得してくれないだろう。実際に、実りが戻らなければ。
ティティが眉間に皺を寄せる。
「……今年もダメだったら、出ていくとでもいうの?」
「ええ、構わないわ」
「! あんた、行くとこなんてないんじゃ」
「もともと独りだったもの、平気よ」
でも、実のところ、マリエールは知っていた。
今年は前の年より、収穫が増える可能性が高いということを。
ヘルに借りた本の中に、こう書いてあったのだ。
雨量と晴天の割合で、植物の育つ速度は変わるのだと。
毎日天候を気にしていたマリエールは、薬草がよく育っていることに気づいていた。それは日々目にしている畑もいっしょだ。だから今年はたくさん果物や野菜が採れるだろうとわくわくしていたのだ。
もとよりマリエールに、ヘルのそばを離れるつもりはない。
ティティは苦々しそうに顔を歪めた。
「わかったわよ。でも、やっぱり今回のことは……ごめんなさい」
そうして、深く深く頭を下げてくる。
マリエールはベッドの中から震えているその肩を見つめていた。
「ーーマリエールは強いね」
「え?」
ティティたち一家が去ったあと。
夕飯がわりの粥を持ってきたユリシスは、またベッドに寄りかかるようにして座り込んでいた。
「ごめん。ティティとふたりにするのが心配で、話、聞いてた」
「……もう」
「ごめんってば。でも、あんな理不尽なこと言われて冷静でいられるなんて、正直驚いた。泣き出すんじゃないかと思った」
「怒る元気がなかっただけ」
「……そう」
ユリシスがそっとマリエールの頬を撫でる。やさしい手つきに、心がほぐれていく。
低い声がした。
「……心配した。もう無茶はしないで」
せっかくの粥は、二口しか食べられなかった。
まだ身体中が重くて痛い。
「ごめん、少し、寝るね……」
「うん、お休み」
薬を飲んだあと、マリエールは沈むように眠りに落ちた。微睡の中で、ヘルが入ってくるのがわかった。
「マリエールは?」
「今眠りました」
小声で話す声が聞こえる。
あたたかな寝床。やさしい家族。マリエールは幸せな気持ちでいっぱいだった。目を瞑ったまま、唇を動かす。
「ヘルさん、ユリシス」
「? 何」「どうしたの?」
同時に返事が聞こえ、自然と口角が上がった。
「ありがとう……――お帰りなさい」
そばで、ふたりの笑い合う気配がしていた。




