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恋に宿る  作者: koma
10/15

10

 *


(ヘルさんとユリシスは、そろそろ街についた頃かしら)


 ふたりが旅立ってから三日。

 マリエールは、いつものように薬草の世話をし、来客の相手をし、空いた時間は勉強に勤しんでいた。


 忙しくしていれば、多少は寂しさも紛れる。

 ヘルが行商に出るたび、いつもマリエールはそうやって孤独をやり過ごしていた。


 それでも日に数度、ふとした瞬間に心細さは襲ってくる。

 ヘルはちゃんと帰ってきてくれるだろうか。

 ()()独りになりはしないだろうか。

 長い夜が、ひとりの時間が、そんな妄想を呼び起こすのだろう。

 ヘルに拾われるまでの屋根のない生活を思い出し、マリエールは不意に、根拠もない不安に駆られるのだ。

 もうあの暮らしには戻りたくない。だから、役に立たなくちゃ。


 マリエールはヘルから借りた薬草の本を熱心に読み込む。


 ヘルと暮らし始めてからのこの二年間。マリエールは一度だってヘルに怒られたことはない。

 ヘルはいつも、どこか眠そうに、低く柔らかな声で、穏やかに、揺れる草木のように、そっとマリエールを導いてくれるだけだ。

 私の神さま。

 捨てられたくない。恩返しがしたい。

 マリエールの小さな胸にはいつしか、そんな強い願いがひっそりと息づいていた。


 だからマリエールは一日でも早く立派な薬師になれるように、今日も知識を頭に詰め込む。


 そんな時だった。

 コンコン、と扉をノックされる。


「マリエール! いる?」


 ティティだった。慌てたような口調に、マリエールは慌てて彼女を迎え入れる。


「ティティ、どうしたの?」

「それが、おばあさまの薬をこぼしてしまって、調子が悪いみたいなの。どうか追加をもらえないかしら」

「え」


 少し前に渡したばかりなのに。


 あれは調合はさほど難しくはないけれど、今は材料が足りなかった。

 しかも足りない薬草は、森の中にある。


「……だめかしら? ヘルさんもいないんだものね」


 マリエールの表情からもらえないと思ったのか、ティティが肩を落とす。マリエールはぎゅっと手を握りしめた。


「ううん、なんとかしてみる。でもごめんなさい、約束はできないの……ティティは家で待っててくれる?」

「ええわかったわ。頼んだわよ、マリエール」


 ティティを見送ったあと、マリエールは深く呼吸をした。

 明るいうちなら、きっと大丈夫だと。



 * * *

 

 一方その頃。

 ヘルとユリシスはマリエールの予想通り、隣の街に辿り着いていた。


 山をひとつ越えた先にあるその街は、大変な活気にあふれている。

 整備された街並み、賑やかな商店、行き交う荷馬車、人、人、ひと……。


 ヘルの行商についてから三日。

 ユリシスは、ようやく道らしい道に出ることができ、ほっとしていた。


「くたくただろう」


 山越え――ひどい獣道を歩き続けたユリシスの両足は、確かにくたくたになっていた。正直今すぐにでもベッドに倒れ込みたいほどだ。

 けれどそんな弱音を吐くことは、ユリシスのなけなしの矜持が許さなかった。

 曲がりなりにも自分は一国の王子なのだ。

 だから平然とした素振りで街を見回す。


「平気です。にしても騒がしいですね。人も多い……」

「だからおまえを連れてきたんだろ」


 言いながらヘルは、人の波へと入っていく。

 その背を追いながら、ユリシスは小さく眉間に皺を寄せた。


 おそらくきっと、この街にユリシスを知る者はいないだろう。


 ユリシスは苦渋と落胆を、僅かなため息に乗せた。


 ――森を通っても結局、ウベロのことは何ひとつわからなかった。

 獣にでも喰われたか。

 追手にやられたか。

 それとも、どこかで身を潜めているのか。

 ユリシスはウベロを想い、顔を上げる。


 大丈夫。必ず見つけてみせる。そして早急に城へ戻るのだ。


 



 ――ヘルの薬は飛ぶように売れた。

 常連の客もいるらしく「待ってたよ」とやってきた年配の客が、ひと月分をまとめて買っていく。そんなことが何件も続く。

 夕刻。ヘルがつけた帳簿を見て、ユリシスは素直に驚いた。


「すごいですね」

「まあ、生活がかかってるから。これくらいは」


 ヘルは荷を整理しながら、こともなげに言う。

 彼の値付けは、特別良心的というわけではなかった。けれど、この男の薬はよほど効くのか、荷袋いっぱいに持ってきた薬はものの数時間で完売してしまった。


 マルシェと呼ばれる市場に場所を借りて、ヘルは慣れた手つきで商いをしていた。

 そこでは管理者に場所代を払うことで簡易に店を出せるのだそうだった。

 屋外に設置された布製の屋根は頼りなかったが、他にも雑貨屋や古本市などがたくさん開かれていて、どの店もとても盛り上がっていた。


「待たせたな。行くか」


 片付けを終えたヘルが、すっかり軽くなった荷袋を肩にかけて歩き出す。


「行くって、どこへ」

「酒場」

「……さかば?」


 頭の中を疑問符でいっぱいにしたユリシスに、ヘルは少しだけおかしそうに笑った。



 

「だからよお、その時俺は言ってやったんだ! 『フェゴールの二の舞にしてやるぞ!』って」


 どっと割れるような拍手が起こった。

 ヘルが選んだ酒場はすでに出来上がった男たちでいっぱいで、ヘルとユリシスのふたりはカウンターになんとか席を作ってもらった。


 壁側は譲ってもらえたものの、ヘルとの距離は近く、酔っ払い客の歓声も相待って、ユリシスはひどく落ち着かない気分だった。


 なんだ、ここは。


「お客さん、ご注文は?」

「エールと……おまえは果汁杯でいいよな。それ一杯ずつ。あと串焼きを二皿と、野菜盛りもひとつ」

「あいよ」


 給仕女は無表情でメモを取ると、さっさと厨房の方へ姿を消してしまった。

 ヘルは荒削りの木製テーブルに肩肘をつき、ユリシスを見下ろす。


「おまえやっぱり、いいとこの坊ちゃんなんだろうな。全然似合わない」

「……そもそも、子供が来るような店じゃないでしょう」


 言った瞬間、背後を、ユリシスよりも年下と思しき少年が通りすぎた。

 ここで働いているようだった。

 ヘルは堪えきれないというように口の端を上げる。


「いたな、子供」

「……ええ」


 ヘルはふと表情を緩める。


「なんでこんなところにって顔してるな。情報集めだよ」

「情報集め?」


 先ほどとは別の子供が、ふたりの前に木製の杯と野菜盛りを置いていく。

 ヘルは泡立つ酒を一口飲んだ。


「情報は、酒場に集まるもんなんだ。ほら、聞いてろ」


 言われて耳をそばだてれば、先ほどから『フェゴールが』とか『内乱が』などという話が聞こえてくる。

 不穏な単語に、ユリシスの鼓動は知らず早まっていった。


「……フェゴールに、何かあったんでしょうか」

「さあな。おまえの故郷かもしれないし、調べるか。――おい、あんた。あの男はさっきから何を騒いでるんだ」


 ヘルは突然、カウンター近くに座っていた客の男に話しかけた。

 鼻先まで顔を赤くした男は、半眼でしゃっくりを繰り返しながらニヤケ顔を作る。


「あれかい? おいらもよくは知らねえが、なんでもまたフェゴールの王子さまが死んじまったんだとよ」

「王子が?」

「ああ、しかも今度は末の王子さまだってよ。かわいそうにねえ。まだ十かそこらだったらしいんだが」


 末の王子。自分は、死んだことにされているのか。

 ユリシスは拳をぎゅっと握りしめる。


「まああの国はね、女好きの王さまのせいでずーっと内乱が続いてるみたいだからなあ。珍しいこっちゃねえよ。ほら、前の評判の良かった王子さんも殺されちまったみてえだし? お偉いさんたちは恐いねえ」


 フェゴール王制の内乱――醜聞ともとれる内輪の殺し合いは、民衆の間ではこうした語り草にされていくのか。

 ユリシスは鬱屈とした気分で、ぬるい果汁杯を口にする。

『フェゴールの二の舞にしてやるぞ!』と騒いでいた男は、ユリシスたちの不幸を笑いの種にしていたのだ。


 ヘルが顔を覗き込んでくる。


「どうした、何か思い出したか? 顔色が悪いぞ」

「いえ、何も。少し疲れてしまって」


 すみません、と謝ったところで、香ばしい匂いを放つ串焼きが運ばれてくる。じゅうじゅうと煙を上げる肉は、油とタレをまとい、とても美味しそうだった。


「いただきます」


 かぶりつく。うまい。けれど心は落ち込んだままだ。

 この先、どうすればいいのだろう。自分はほんとうに、国になど帰れるのか。帰ったところで何ができるというのか。祖国を笑われても、何もできない自分に。

 底のない不安がつきまとい、波のように押し寄せる。息苦しい。

 敵は姑息で強大だ。

 ウベロ、シャルマ。ふたりに会いたいと思った。


「そう落ち込むな」


 言葉と共に、不意に頭に手を乗せられる。ヘルだ。あたたかなやさしい手つきはユリシスの知らないものだった。

 

「生きてりゃ苦しいことはある。うんざりすることも、逃げたくなることも。面倒なことも。……でもまあ、なんとかなる。なんとかしようとすれば。多分」


 ユリシスはぐっと肉を噛み締める。


「……ヘルさんも、あったんですか」

「あったさ。……マリエールから聞いたかもしれないが、俺は昔、王宮で薬師として働いてたんだ。でも……そこで、同僚に論文を盗まれたり、無茶な量の精製を強いられたり、死にかけの患者ばかり任されるようになって。『おまえは腕がいいから』って何度もそう言いくるめられて。十年目だったかな。ある日、ぷつんと、全部が馬鹿馬鹿しくなって、辞めた」


 それなりにいい暮らしをしていた。と、ヘルは語った。

 でも今の生活のほうが性に合っていると笑う。


「だから、まあ、俺が言いたいのは、おまえもきっとなんとかなる、ってことだ。そのうち記憶も思い出せる。思い出せなかったら、別の道もある」

「……はい」


 ありがとうございます、と俯いたまま呟く。

 ひしひしと感じていた己の無力を受け止めた。

 まだ心は痛く、不安は付きまとっている。それでも、絶望するには早すぎるのだと思った。


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