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その少年は、嵐の夜にやってきた。
「ヘルさん、まだかな」
一本の蝋燭だけを頼りに、マリエールはひとり、留守を守っていた。
夕刻から降り出した雨は夜が更けるに連れ激しさを増し、小屋と呼んだ方が正しいマリエールの家のあちこちを揺らしている。薄い屋根越しに、ばたばたと叩きつけるような雨音が続いていた。
「ヘルさん、早く帰ってきて……」
マリエールはほつれた毛布を頭から引っ被り、椅子の上で縮こまる。
とたん、ぼろ布で作ったカーテン越しに稲光が走った。マリエールはとっさに両目を瞑る。次の瞬間、轟音と共に雷が落ちた。すぐそばだ。
光と音が近い時は、特に注意しなくちゃいけない。
薬師の青年ヘルに教わり、そう知っていたマリエールは、けれどどう注意すればいいのか分からなくて、いっそう亀のように身を丸める。
「だめよ、しっかりしなくちゃ」
こんな嵐くらいで、とマリエールは必死に自分に言い聞かせる。
マリエールは先月、十二才になった。
背だって伸びたし、ヘルが薬草を育てるのもしっかり手伝えている。いつまでも子供みたいに震えているなんてかっこ悪い。
マリエールは毛布に包まったまま蝋燭を吹き消すと、寝室に移動した。
ヘルは月に一度、隣町へ薬草を売りにいく。
けれどこんなに帰りが遅いのは初めてのことだった。
何事もありませんように。
不吉な予感を振り払い、次からはどんなに言われても自分もついていこうと決意しながら狭いベッドにもぐり込む。
ヘルの無事を想いながら、マリエールは瞳を閉じようとした。
ガタン。
物音に、マリエールはすぐに飛び起きた。
「ヘルさん……!」
毛布を放り出し、脱兎のように駆け出す。
居間の扉を勢いよく開けると、そこにはずぶ濡れになったヘルの姿があった。肩まである銀髪は乱れ、ひどく憔悴している。
「ただいま、マリエール。遅くなった」
「ううん、いいんです。お帰りなさい」
マリエールは急いで拭くものを用意すると、ヘルに渡した。
ヘルは「ありがとう」と受け取りながら、背負っていた荷をどさりと長椅子へおろす。
薬草の売れ残りにしては大きすぎる荷に、マリエールは首を傾げた。
「ああマリエール。すまないがその子をみてやってくれないか。この雨の中、森で倒れていたんだ」
「え?」
マリエールは言われて、その荷が子供であると気づいた。
よく見れば、かすかに荒い息遣いが聞こえる。
そっと触れた額は、雨に濡れていたせいかとても熱い。
「大変。熱があるわ」
「だろうね。俺はすぐに解熱剤を作るよ。その間に着替えもさせておいて」
「はい」
ヘルが台所で解熱剤を調合する間、マリエールは家中の蝋燭をかき集めて明かりを灯し、子供の服を脱がせにかかった。
ぐっしょりと濡れた上着は重く、その下のシャツはぴったりと肌にまとわりついていて、さらに脱がせ難かった。けれど、早くしないと身体を冷やしてしまう。
マリエールは半ば無理やり子供の身体を起こし、まずは上着に手をかけた。
「……僕に、触るな」
と、意識を失ってたはずの子供の口が動いた。
「起きたの?」
子供の顔を覗き込むと、彼はまだ両目を閉じたままだった。
けれど呻るような声は続く。
「触、るな……」
「何言ってるの。ひどい熱なのよ、身体を拭いて、すぐに薬を飲まないと」
うわごとのように触るなと繰り返す少年の衣服をなんとか脱がし、濡れた身体を拭いていく。そうこうしているうちにヘルが薬を持ってやってきた。
「どいて」
マリエールは場を譲り、ヘルが少年の身を起こさせ、ゆっくりと匙で薬を飲ませるのを見守った。ヘルの腕の中で、少年の細い喉がこくりと動く。
「これでひとまず大丈夫だ。俺たちも食事にしよう」
「はい」
ヘルが暖炉に火を灯し、少年の身をあたためる間、マリエールは二人分の食事を用意した。
薬草入りのスープと白パンを食べ終えたあと、マリエールは長椅子で眠り続けている少年の様子を見に戻る。
夜のような黒い髪に、小さな顎、すっと通った鼻筋。 精巧に作られた人形のようなその顔立ちを、マリエールは素直に綺麗だと思った。
年は、自分と同じか少し上くらいだろうか。
「この子、何処から来たんでしょう?」
「さぁ? 明日起きたら聞いてみるから、マリエールはもう寝なさい」
そう言うヘルは食卓についたまま、手にした硬貨を眺めていた。きらりと光るそれに、マリエールは首を傾げる。
「ヘルさん、それ」
「うん。隣の国の金貨だね。その子のそばに落ちてた」
脱がした服も上等な生地だったことを思い出し、マリエールはもう一度少年に目を向けた。
暖炉の橙色のひかりを受けた少年は、小さな寝息を立てたまま眠り続けている。
まだまだ目覚めそうにはなかった。
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