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炎の怪物(後編)

轟音も炎の唸りも、すべてが重たい泥の中に沈み込んだように遅くなる。


振り下ろされたイフリートの斧も、炎の揺らめきも、まるで水中の中で動いているような緩慢さだった。




「……な、んだ……これ……」




俺は思わず息を呑む。恐怖に跳ね上がっていた心臓の鼓動だけが、逆に鮮やかに響いている。




自分だけが、普通の速さで動けている。




(まさか……時間が……遅くなってるのか……?)




信じがたい感覚だが、確かに目の前の怪物は鈍っている。




「……間に合えっ!」




俺は足に力を込め、泥を蹴り上げるように前へと走った。


焼け焦げる大地を踏みしめ、少女のすぐそばへたどり着く。




(絶対に……助ける!)




少女を抱き上げた瞬間、胸の奥で熱が爆ぜた。




直後、世界が速さを取り戻す。炎が荒々しくうねり、斧が落ちてくる軌跡が現実の速度へと戻る。




「くっ……!」




俺は少女を抱いたまま転がり、土を這うように逃げた。直後、斧が地を叩き割り、爆ぜる火炎が背中を焼く。


「……これが、俺の……力……?」




胸の奥に渦巻くのは恐怖だけじゃない。むしろ、それ以上の高揚感だった。




イフリートが咆哮をあげ、炎を纏った巨斧を肩に担ぐ。その目は怒りに燃え、再びこちらを睨み据える。




「はぁ……はぁ……」




少女をそっと地面に横たえ、俺は立ち上がった。


全身はまだ震えている。だが――震えは恐怖だけじゃない。




「……やってやる」




拳を握りしめ、怪物を真正面から睨み返した。


イフリートが横薙ぎに斧を振るった瞬間、再び世界はモノクロへと沈む。




(まただ――!)




俺は斧を滑り込みでかわし、すれ違いざまに脇腹へ剣を叩き込む。




ズシュッ! 重たい手応え。


速さが力を呼び、力が破壊に変わっていた。


同じ剣なのに、俺の一撃は明らかにそれまでとは違っていた




色が戻った瞬間、イフリートの脇腹から鮮血が噴き出す。


苦悶の咆哮。炎が荒れ狂い、爆風が大地を薙いだ。




俺は大木に叩きつけられ、肺の奥が焼けるように痛む。


それでも剣を落とさない。




「ここで――終わらせる!」




全身の力を込めて踏み込み、袈裟懸けに斬りつけた。




「おおおおおおっ!」




世界が軋み、炎の奔流が止まる。モノクロの世界で俺の剣閃が走る。




ズシャアッ!




色と音が雪崩れ込み、巨体を裂いた。


イフリートは鮮血を吐き、大地を揺らして崩れ落ちる。




体表に走った光のひび割れが一気に広がり――爆ぜるように砕け散った。




熱と残滓だけを残し、怪物は霧散して消えた。


「……っはぁ、はぁ……」




尻もちをついた瞬間、全身の力が抜けた。肺が裂けそうに痛い。視界が揺れ、耳鳴りが続く。




世界が遅くなっただけで俺自身は普通に動いただけなのに、全身の筋肉が焼け付くように痛む。


血管の中で火が暴れ回っているみたいだ。




(……これが、代償……か)




それでも剣を杖に立ち上がり、少女を抱き上げた。


その軽さが、逆に胸を締めつける。




「必ず……街まで連れていく」




俺は呟き、森を後にした。


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