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「幕間 ― 後悔の記憶」

一区切りついたので幕間です。

ケイタの過去話になります。



ケイタは、ごく普通の学生だった。

勉強もそれなり、運動も人並み。特別熱血でもなければ、いじめられることもなかった。

無難に大学へ進学し、大手ではないが歴史ある企業に就職。

与えられた仕事を淡々とこなし、帰宅しては無気力に日々を終える。


「自分が頑張らなくても、誰かがやってくれる。世界は回っている。」

それがケイタの口癖にも似た思考だった。


ただ一つの欠点――それは、いつも後回しにすること。

声をかけるべき時にかけない。動くべき時に動かない。

後悔は、その積み重ねから始まった。





ある月曜日、朝から雨がしとしと降っていた。

駅へ向かう大通りで、ケイタの前を一人の少女が歩いていた。


ピンクの傘。小学校低学年くらい。

親の姿は見えない。車の多い通りを一人で歩かせるのは無責任だな、と一瞬思った。


だが声をかけて不審者扱いされるのも面倒だ、と足早に追い抜こうとした。

そのとき、少女が振り返る。

ぱちりと視線が合った。大きな目、愛らしい顔立ち。

怪訝そうに眉を寄せた彼女は、そっと道を譲り、傘の向きをケイタに当たらぬよう傾けてくれた。


「どうも」

ケイタは小さく呟き、足を速めた。


(気遣いのできる子だな……)

そう思いながらも、声をかけるべきか逡巡し、結局やめた。

大丈夫だ。他の大人も大勢いる。――そう自分に言い訳をしながら。


数十メートル先でふと振り返ると、少女の姿はもうなかった。

代わりに、停車した黒い車の影。ドアが閉じる音が耳に残った。


「……迎えか」

そう思い込んで、そのまま駅へと急いだ。





数日後。

駅前で必死の形相でビラを配る夫婦を見かけた。受け取った一枚を電車のホームで広げる。


――探しています。

――行方不明。

――七歳の女の子。

――ピンクの傘。


写真を見た瞬間、ケイタの体は凍りついた。

あの時の少女だった。


視界が白くなる。頭の中で「もし」がいくつも渦を巻いた。

声をかけていれば。黒い車を気にしていれば。ホームで戻って伝えていれば。

どれも小さな一歩だった。けれどその一歩が、命を繋いだかもしれない。


だが、ケイタは動かなかった。

ただ通り過ぎただけだった。


その夜、少女は遠くの林で遺体となって発見された。

死後数時間――つまり今朝までは生きていた。


「なぜ……」

いくら問いかけても答えは一つしかなかった。


それからケイタは人の視線を恐れるようになり、やがて引きこもりになった。





ケイタの父は大企業の役員。母は専業主婦。

父は厳しかったが、息子を立ち直らせたい一心で、宥め、叱り、説得を繰り返した。

だがケイタはその愛情を重荷としか感じられず、苛立ちを募らせた。


ある雨の日。

父が怒鳴り、ドアを叩き続ける。

苛立ちが爆発し、ケイタは叫んだ。


「うるせえんだよ! バカ野郎! てめえなんかとっととくたばれ!」


静寂。

叩く音も声も止まった。

父の足音が遠ざかる。


(やってしまった……)

すぐに謝ろうと思った。けれど喉が詰まり、「明日言えばいい」と後回しにしてしまった。


だがその「明日」は来なかった。

両親は夕方、交通事故で命を落としたのだ。


「まただ……」

救えなかった。伝えられなかった。


ケイタは二度目の大きな後悔を背負った。





事故現場に立ち、花束の前でケイタは泣き崩れた。

「ごめんよ、親父……お袋……」

感謝の言葉も、謝罪の言葉も、一度も伝えられなかった。

嗚咽と共に、涙が道に落ちる。


やがて決意は固まった。

「もう終わりにしよう」

現場近くの鉄橋から身を投げるつもりだった。


その時。小さな影が目に入った。

道端にうずくまる少女。年は、あの傘の少女と同じくらい。


「……迷子か?」


声をかけようとした瞬間、背後から蛇行する車が迫ってきた。


考える暇はなかった。

体が勝手に動いた。


「走れ、間に合え……!」

必死に地面を蹴る。時間が軋み、世界が一瞬だけ引き延ばされたように感じた。


少女を抱き上げ、くるりと反転する。

轟音。衝撃。体が空へ投げ出される。

それでも腕の中の少女だけは離さなかった。


意識が遠のく中、ただひとつの願いだけが残った。


――守れたなら、それでいい。




その一部始終を、

高い空のさらにその上から、

ひとりの存在が興味深げに見下ろしていた。


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