契約 ― 神代の残滓《エルナト》[リシアパート]
夜の丘。
円陣に並べられた古い石柱が、ヴァルターの魔力によって淡く赤紫に光を帯びていた。
リシアはその中心に立たされ、胸を高鳴らせながら両手を握り締める。
「……さあ、始めるぞ。お前の魔力を“餌”にする」
ヴァルターがにやりと笑う。
「え、餌……って……」
「そのまんまだ。お前の体内に眠る莫大な魔力を呼び水にして、この世界の奥底にいる“存在”を引っ張り出す。小さな精霊じゃ耐えられん、お前の力に喰われて死ぬだけだ。だから――もっと上を狙う」
リシアはごくりと唾を飲み込んだ。
(……私が、精霊を……殺してしまう……)
その言葉が胸を刺す。
ヴァルターは冷酷な笑みを浮かべつつも、真剣な声音で続けた。
「前にも言ったがお前の魔力量は桁違いだ。普通の精霊なら、一瞬で焼き尽くしちまう。だがな――もし上位の存在と繋がれれば、お前の力は“制御”に変わる」
リシアは震える手を胸に当てた。
守れなかった村人たちの顔。
倒れる仲間。
無力だった自分。
(怖い……でも、ここで逃げたら、ずっと何も変わらない……!)
「やります……! 絶対に!」
リシアの瞳が夜に燃える。
ヴァルターは満足げに頷き、杖を石柱に突き立てた。
「なら見せてみろ。お前が縋るに値する存在を!」
◇
地面が低く唸り、円陣の光が一斉に空へ伸びる。
リシアの胸の奥から魔力が引き出され、風のように渦を巻いて放出されていった。
「っ……!」
制御しきれない奔流に体が痺れる。
けれど両脚は動かさない。
そのとき。
――声がした。
『……呼んだのは、誰だ』
大気そのものが振動するような、古代の響き。
炎とも風とも、水とも土ともつかぬ、あらゆる元素を孕んだ気配が押し寄せる。
リシアは思わず膝を折りそうになった。
視界に映ったのは、漆黒の空に広がる巨大な影。
流れるような銀の羽根を持ち、瞳は星のごとく輝く。
ヴァルターが低く呻いた。
「……っはは! まさかここまでとはな。こりゃ、大精霊どころか“神代の残滓”だ」
影はゆっくりと首をもたげ、リシアを見下ろした。
『ちいさき者よ。その魔力は……甘美だ。すべて差し出せば、我はお前を力で満たしてやろう』
圧倒的な誘惑。
けれど、それは同時に魂を呑み潰す囁きだった。
リシアは震えながらも、唇を噛みしめる。
(全部渡したら……私はきっと“器”じゃなくなる。……でも、利用するんじゃなくて――一緒に戦う力がほしい!)
「……私は、差し出しません!」
声が夜を裂いた。
「この力は、村を守るため、仲間を守るために使うんです! 全部を捧げて従うんじゃなく……“共に”戦ってください!」
一瞬、空気が張り詰めた。
――そして、大精霊の目がわずかに細まった。
『……ほう。食われることを恐れず、我を“仲間”と呼ぶか』
漆黒の影がゆらめき、銀の羽根が夜空を舞った。
次の瞬間、リシアの額に熱が灯る。
『よかろう。ならば試練を越えよ。お前の炎が真に人を守るものか、見せてもらう』
その言葉とともに、世界は暗転した。
リシアは一人、虚無の中に立っていた。
足元には地もなく、頭上に空もない。
ただ、胸の奥で熱が渦を巻いていた。
――“力を欲するなら、証を示せ”――
その声と同時に、周囲が鮮やかに色づく。
そこは、リシアの村だった。
懐かしい木柵、畑、小さな家々。
けれど、次の瞬間――炎に呑まれた。
「いやっ……!」
村を焼き尽くす炎の獣。
人々の悲鳴。
幼い子供の泣き声。
――“お前には、その炎を消す力がある。だが同時に、敵の全てを蹂躙する力もある”――
リシアの掌に集まる莫大な魔力。
ほんの少し解き放っただけで、炎の獣が吹き飛ぶ。
「……すごい……!」
体中に震えが走った。
魔力を振るうたび、敵は消え去り、炎は跡形もなく吹き飛ぶ。
――“そうだ。その力を攻めに使えば、何もかも思うがまま。恐れるものは何もない。世界すらお前にひれ伏す”――
なんという甘美な響き。
力を欲していたリシアにとってこれ以上ない甘い誘惑の言葉だった。
襲いくる炎の獣を片っ端から消しとばしていく。
痛快だった。
どうしようもなく痛快だったのだ。
この力があればなんだって思うがまま。
ケイタだって自分を対等のパートナーとして認めてくれる。
いや、もしかしたらケイタすら凌駕できるかもしれない。
そうしたら……
全能感に満たされたまま、リシアは魔力を解放した。
村を覆っていた炎すら、その一撃で霧散してしまう。
だがその直後――景色が崩れ、灰に覆われた大地が広がった。
そこには、誰もいなかった。
守りたかったはずの人々も、家も、全部が消えていた。
「……っ!」
リシアは息を呑んだ。
(私……壊して……全部……)
力に酔っていた自分が、恐ろしかった。
このままでは、守りたいものまで失ってしまう。
「ちがう……私は……!」
リシアは震える手を胸に当てた。
「力で踏みにじるんじゃない。守るために――私はこの力を使う!」
再び魔力を解き放つ。
だが今度は、攻撃ではなく包み込むように。
水が迸り、透明な障壁となって村を覆う。
炎がぶつかっても、壁は揺らがなかった。
直後。
虚無が崩れ、夜の丘に星々が降り注ぐ。
それは空からではなく、大地から、リシアの周囲に湧き出すように。
星屑が渦を巻き、ひとつの形を成していく。
蒼銀の鱗。
半透明に光を透かす翼。
竜とも獣ともつかぬ、神話の中から抜け出したような存在。
その姿は、圧倒的な威容と同時に、どこか儚さをまとっていた。
存在そのものが、この世に留まるにはあまりに重く――「残滓」という言葉がふさわしい。
『……選んだか。破壊ではなく、守ることを』
大気そのものを震わせる声が、リシアの胸を打った。
喉が震える。膝が勝手に折れ、地に手をつく。
「……あなたは……」
『我は神代に滅びし残滓――エルナト。
お前の魔力は小精霊には重すぎる。触れた瞬間に砕ける。
だが我ならば、それを糧として受け止められる』
リシアは目を見開いた。
ずっと“自分は魔法に向いていない”と思ってきた理由――それが、力が強すぎて精霊を殺してしまうせいだった。
「……私のせいで……」
唇が震える。
だが、エルナトの瞳は深淵のように揺らぎ、彼女を見透かしていた。
『お前が望めば、力は全てを焼き払う。
だが、お前が選べば――力は守護となる』
リシアは拳を握り、立ち上がった。
瞳に揺らめくのは迷いではなく、決意だった。
「私は……破壊のためじゃなく、人を守るためにこの力を使う!」
その言葉に、蒼銀の巨体がわずかに頷いた。
『よかろう。ならば契約を結ぼう。
お前の魔力を我に、我が力をお前に――』
光が走った。
リシアの手の甲に、星の形を象った青白い紋が刻まれる。
背後に幻影の翼が広がり、夜空の星々と共鳴した。
「……これが……」
『契約の証だ。我はお前と共に在る。
その意志が揺らがぬ限り、我は盾となり、時に刃となろう』
リシアの頬を涙が伝う。
それは恐怖ではなく、ようやく自分の力を肯定できた安堵の涙だった。
「……ありがとう……エルナト」
蒼銀の巨体は、夜空に溶けるように霧散していった。
だが手の甲の紋と、胸の奥の温かな熱が告げていた。
――彼女はもう一人ではない、と。
最後はちょっと長くなりましたが、二人の並行パートはここまでです




