報せと再侵入 ― 森の喉元で[ケイタパート]
夕刻、調査隊は街門をくぐった。
薄く煤をまとった外套、採取用の瓶に封じられた黒い砂、剥がし取った樹皮片。沈黙のまま、俺たちはギルドの大広間を抜け、報告室へと通される。
応接にはギルドマスターと幹部数名。壁には街周辺の地図が貼られ、赤いピンが散っていた。
現場指揮だった隊長ハルドが、静かに口を開く。
「第二樹帯の内側で“ガラス化”した焼痕を複数確認。座標はここ、ここ、それからここ。残留熱は薄いが、魔力の揺らぎは明確。術士の記録も付けてある」
術士が封印瓶と解析板を机に置く。
セレイナが一歩進み、黒い砂の瓶を手に取りながら告げた。
「召喚系の紋。歪んだ円環と爪痕。自然発生じゃない。“呼ばれた痕”だわ」
ざわ、と幹部たちの視線が揺れる。
ギルドマスターは短く息を吐き、眉間に皺を寄せた。
「……つまり、誰かが“呼び寄せている”可能性が高い、と。で、肝心の“誰が・何を”だが――」
「現段階の証拠では断定できません」
術士が首を振る。「ただ、痕跡の“新しさ”は無視できない。二、三日以内。場合によっては昨日」
「ならば放置はできん」
マスターは地図の第三樹帯手前を指先で叩いた。
「本格調査の継続だ。今夜は休息、明朝に再侵入する。目的は核心部の特定と、実行者の痕跡の捕捉。編成は先ほどと同じ――主力五組、斥候二、術士二、セレイナ、ケイタ。現場指揮はハルド。……異論は?」
誰も口を開かない。
俺はうなずき、セレイナと短く目を合わせた。彼女はほんのわずかに顎を引き、視線を前に戻した。
(――行けるのか?今度は“喉元”まで)
◇
夜は短く、朝は冷たい。
二度目の森は、昨日よりも音が少なかった。
五組のパーティーは扇状に広がり、斥候の手振りが“右前方注意”を示す。地表の黒が、点から線へ、線から面へと濃度を増やしていく。
「中心線、歩速を落とせ」
ハルドの低い声。
術士が符を掲げ、呟いた。「……魔力濃度、上昇。異常域に入る」
やがて、それは現れた。
土肌に円環の黒。前回見た紋に似ているが、今度のそれは“完成”に近い。
線は太く、切り欠きは多い。微かに、空気が歪む。
「採取班、急げ。斥候、外縁を回り込め。――セレイナ」
呼ばれ、彼女は前に出る。白手袋の指先が紋の縁をなぞった。
瞬間、彼女の紅の瞳がぴたりと細まる。
「“今”、触れられている。誰かが――」
そこまでだった。
音のない破裂。
黒い紋の中心から、刃のような熱線が横薙ぎに走る――!
「セレイナ!」
声より先に、体が動く。
喉の奥で世界がわずかに軋んだ。色が半歩、遅れる。
(半拍だけでいい!)
肩を軸に彼女の腕を引き、同時に自分の外套を翻して熱線の軌道に差し込む。布が焼け、皮膚が鋭く刺すように痺れた。
次の瞬間、色が戻る。
背後の樹皮がガラスの悲鳴を上げ、ぱらぱらと剥落した。
「っ……ケイタ!」
セレイナの声が掠れる。彼女の頬に、熱線の余波で細い赤が走っていた。
片手で彼女の肩を支えつつ、俺は前へ出る。黒い紋の中心が蠢く。
第二射、来る――!
「前衛、遮断! 術士、展開!」
ハルドの号令が飛ぶのと、俺が《焔月》を抜くのはほぼ同時だった。
鞘走りの一線が、熱の刃を弾く。
術士の結界が重なり、三射目は薄く歪んで消える。
静寂。
焦げた匂いと、遅れてやって来る痛み。
握った柄が、細く震えていた。
「……大丈夫か」
俺が問うと、セレイナは短く頷き――珍しく、ほんの少し視線を伏せた。
「……助かったわ。あなた、躊躇なく――」
「俺は仲間を見捨てない」
言ってから、自分で少し驚いた。
それは、たぶん当たり前の言葉だったのに、俺の中ではずっと“できるかどうか”を試されている答えでもあった。
セレイナは一瞬だけ目を見開き、それから小さく笑った。
普段の強気な火ではなく、柔らかい熱の笑み。
「ええ。――そうね。あなたは、そういう人なのね」
彼女の横顔に、影のような記憶が掠めるのを見た気がした。
たぶん彼女の“誰にも見せない”過去。
だが今は踏み込まない。ただ、立っている場所を守る。
「隊長、紋が沈黙しました」
術士が声を上げる。「自動迎撃式の罠です。発動条件は“魔力への触れ”。……これを張れる術者、素人ではありません」
ハルドは周囲を睨み、短く決断した。
「ここで無理はしない。位置を確定した。撤収する。報告のうえ、罠対策を整えて再度入る」
誰も異を唱えなかった。
俺はセレイナの手首からそっと手を離す。彼女は微かに躊躇い、それから一歩、俺の隣に並んだ。
「さっきの、外套」
「焦げただけだ。問題ない」
「……そう。ありがとう、助かったわ。」
胸の痛みが、少し和らいだ。
前を行く隊の背を追いながら、俺は《焔月》の柄に軽く触れる。
半拍だけ遅れた世界。その隙間で掴んだ手。
それが、ここから先の道をわずかでも明るくするなら――上等だ。
森はまだ、喉の奥で燻っている。
けれど、俺たちはもうそこに手が届くところまで辿り着いていた。
もうすぐ、もうすぐだ。
次こそは!
森の奥深くでこちらを覗く目も、静かにその時を待っているような気がした。




