004 アドルとベルベット
アドルは単身アーレンクロイツ家の執務室へとやってきていた。今日も今日とて商会の主ベルベットが忙しそうに働いている姿があった。
「……アドル君、息災かね?」
「はい、ベルベット様も変らずお元気そうで何よりです。」
「はっはっはっ。娘に変な虫がつかないか心配でな。おちおち休んでもいられまい。」
ベルベットがアドルに気が付くと、挨拶の言葉を投げ掛ける。相当に忙しいようでその間も目線の一つもよこさず書類に目を通している。
しかし、アドルが挨拶の言葉を返すと、朗らかそうに笑うベルベットの視線がギラリとアドルへと向けられた。
「ははは、そうですか。」
「そうだぞ。アドル君。」
「……。」
「……。」
変な虫というのがどうやらアドルのことを指しているのは鋭く刺さる視線を見ればよくわかる。当然、こんなやり取りを数年繰り返してきたアドルには百も承知の上である。
「……今日は報告したいことがありまして。」
「ん?よもやエレナとなどとは言わぬな?」
「は、はは。」
「想像しただけで腹立たしいわっ!!」
アドルの報告という言葉にベルベットが過剰な反応を示す。今にも席を立ちあがりかけないほど身体を前に乗り出した。そして、その表情を怒りに染めてくわっと目を見開く。
「落ち着いてください。」
「落ち着いていられるかっ!!それで、エレナとはどうなのだ。」
「どうも何も、エレナとは何一つ疚しいことはありません。」
「か~、エレナなどと呼び捨てにしおって!!」
今のベルベットに何を言っても無駄であろうのは誰の目からも明らかである。いつもならストッパーとしてエレナがいるものだが、今日は間の悪いことに用事があったようだ。
「はは。は。……それで本題に入っても?」
「ああ、そうだったな。」
「成人もしましたし、旅にでも出ようかと。」
アドルはついに本題に話を移る。ただのじゃれ合いに無駄な体力を毎回のように使っているが、この二人にとってはこれもコミュニケーションの一つなのだろう。
「ほう。いいことじゃないか。」
「それで……。」
「うん?どうしたのだ?」
歯切れの悪そうなアドルにベルベットは眉をひそめて催促する。アドルが言いずらそうなのはどうしてかもう分かるだろう。そう、エレナのことだ。
「えー、エレナも旅に同行すると……。」
「は?」
ベルベットの時が止まった。そう錯覚するほどベルベットの動きの一切がなくなる。眉をひそめたまま止まっているのを見ると、怒っているように見えるが、今のベルベットには感情の一つもない。無だ。
「……その、お許しを頂けたらと。」
「待て、小僧。なんと言った?」
「エレナも旅に同行すると……。」
「は?は?は?」
アドルの言葉を飲み込み始めたのだろう。ベルベットが目を瞑ると、目と目の間をもむように片手を当てて、アドルへともう片方の手を突き出す。
再度告げられた言葉にベルベットはついに席を立ちあがった。机の上から何枚も書類が落ちていくが、それを気にする余裕もないようだった。
「落ち着いてください。」
「落ち着いていられるかっ!!ふざけるのも大概にするのだ、小僧っ!!」
「とりあえず落ち着いてください。深呼吸です。ほら、ひーひー。」
「ふー。……って、何をやらせているか!!私は妊婦でないぞ!!」
ベルベットは激怒した。もしアドルとの間に机がなかったらもう飛び掛かっていただろう。
そんなベルベットにアドルがラマーズ法を勧めると、ベルベットはなんとノリが良いのか付き合った後にノリツッコミを入れた。
「ああ、てっきり……。」
「何がてっきりだ。意味わからんわ!!処罰されても文句は言えんぞ。」
「ははは。そんなっ、私とベルベット様の仲ではないですか。」
商家の主とただの平民。その間にはどうしようもない壁があるはずだが、どうにも失礼な態度も受け入れられる関係性を築いているようだった。
それはそれとして、ベルベットはエレナのことを本気で怒っているのは事実としてあるが。
「大した関係もなかった気がするのだが!?」
「ははは。そうでしたかね?」
「この、クソガキが。……まぁ、よい。それで何の話だった?」
ベルベットは疲れたように額に手を当てると、後方にあった椅子に座り込んだ。
「ええ、エレナも旅に同行すると……。」
「は?」
「……ベルベット様。話が進みません。」
アドルが言葉にすると、またもやベルベットが椅子から勢いよく立ち上がった。反動で机から書類が舞い落ちるのも先ほどと同じ光景である。
そんなベルベットにアドルは困ったような表情を浮かべて、肩を竦めた。
「ふっ、貴様に付き合ってやったのだ。そちらも付き合うべきではないか?」
「ははは、御冗談はよしてください。ベルベット様に付き合っていると日が暮れてしまいます。」
「ふん。エレナと旅に……か。目的は?」
二人のじゃれ合いももう終わり、ようやく真剣な話に移行する。烈火のごとく怒っていたのが嘘のように真面目な表情を浮かべるベルベットは流石と言うべきだろうか。
「アインを探すというのが一つ。もう一点は成長のため。」
「……偉く立派なことを言うではないか。」
「ははは、お褒めに預かり光栄です。」
「褒めてないが?」
高尚なことを宣うアドルに皮肉を交えて嫌見たらしく言葉を漏らしたベルベットだが、アドルは感謝の言葉を真正面からぶつける。
それに呆れたような言葉を呟くベルベットである。
「……ごほん。最後に商会の利益のためです。」
「利益か……。」
「当然、恩を忘れるほど厚顔無恥ではありません。旅で得た成果は商会に還元します。」
「ふっ、殊勝な心掛けだな。それで求めるものは何だ?」
事実、アドルがここまで成長できたのは商会のおかげと言っても過言ではない。返しきれないほど大きな恩であるが故に、少しでも返したいと思うものだ。
「……エレナの同行を認めてもらうこと。」
「……ちっ。」
アドルの言葉で部屋に大きな舌打ちが一つ。アドルは居心地が悪そうにするが、しかし、まだ話は終わってはいない。
「旅に出るにあたって物資をわけていただけたら、と。」
「良かろう。基本的なセットをやろう。」
「ありがとうございます。」
ベルベットはアドルが旅に出るのを認めたらしく、援助をするのを決めた。じゃれ合い以外の問題はなく、アドルの旅の準備は終わる。
「……エレナに怪我を負わせたら承知しないぞ。」
「はい。全力をもってお守りします。」
「ああ。悪い虫の対峙も忘れるなよ。」
「はい。」
悪い虫の退治などとそんな言葉を入れるのもなんともベルベットらしいだろう。こうして、商会の主からの許可を貰いアドル一行の旅路が始まるのだった。




