045 アドルの夜
アドルの家は夜なのにもかかわらず、部屋の光が点くことはない。そればかりか女性のすすり泣く声が鳴り響き、物悲しく不気味な空気感さえ漂っていた。
「母さん……。」
「うぅっ、うっ……。」
「お父さんは勇敢だったよ。」
アドルの母の肩に置かれた手から母の悲しみが震えと共に伝わってきた。そんなすすり泣く母を慰めるようにアドルは父を褒めたたえるが、母の顔は一向に晴れることはない。
「そ、んなの……うぅ。」
「一人でゴブリンを倒してたんだよ。」
「死んだら、意味ないわよぉ……。」
アドルの言葉が震える。ゴブリンがアドルの父を弄び、最後にはその首を断ち斬るその光景が頭をよぎったからだ。それでも勇敢な父を母に懸命に伝えようとする。
だが、母の心に言葉が響くことはない。死んでしまった父は一生返ってくることはないのだから。
「……ごめん。僕がもっと早く辿りついていたら。」
「アドルのせいじゃないわ。でも……どうしてなの。これからだったじゃない。」
「……。」
これから。先日父から子へと酒を送り、歪んだ家族という形に改善の兆しが見えていた。十数年続いた歪みは少しずつだが、形を整えていく矢先、父が死んでしまったのだ。
「ねぇ、覚えてる?」
「うん。忘れたことなんてないよ。」
あの日はまだこの家族も、他の家と同じく普通の家族の形をしていた。
「まぁま、ぱぁぱ。」
「ははは、アドル。パパだってさ。」
「ふふふ。私のこともママって。」
「きゃっ、きゃっ。」
ゆりかごに揺られる二歳になったばかりの赤ちゃんが幼き日のアドルである。そんなアドルを微笑まし気に眺めている夫婦がアドルの父と母であり、今では考えられないほど幸せそうに笑みを浮かべていた。
アドルの父が指を指しだすときゅっとアドルは指を掴み、嬉しそうにきゃっ、きゃっと笑生を浮かべた。
「これから頑張っていこうな。」
「ええ、アドルのことも守らなくちゃ。」
「……?」
夫婦がお互いを見つめて微笑み合っているのをアドルはきょとんと不思議そうに見つめていたが、二人だけの世界に入っている夫婦の目にはお互いしか見えておらず、アドルの上でキスを交わした。
「ははは、何でもないぞ~。」
「ふふふ。食事作るわね。」
キスした後ふと視線を下した二人はアドルとばちりと目が合い、気恥ず実に頬を朱に染めると頬に手で仰いで、空気を換えるように笑みを浮かべる。
「“■■■”。」
「ぇ……?あ、がぁああ……!!」
二歳の赤ちゃんの口から言葉が発されると父の指を掴んでいた手から、黒い渦が発生して父の指をへし折りながら飲み込んでいく。
父は理解のできない現象に焦りながら、あまりの痛みに絶叫をあげた。当のアドルは不可思議な状況にぽかんと口をあけながら、渦に飲み込まれる父の姿を見つめていた。
「ど、どうし……きゃー!!」
「“■■■”?」
「はっ、はっ……。うぅ、あああああ!!」
アドルが次の言葉を口にすると、空間を断絶する刃がいいの右腕の根元を切り離し、そればかりか家の壁を斜めに切り裂き木々をも切り裂いていった。切り離された右腕はぐちゃぐちゃに折れ曲がりながら渦に飲み込まれて生き、腕を飲み込んだ渦は虚空に音なく消えた。
「う、腕が……。」
「……?」
「ば、化け物めぇ……!!」
幸福な家族はこうして歪んだのだった。アドルに才能があったからこその悲劇、誰にも止められなかっただろう不運な出来事だった。
過去を回想したアドルは母の震えが伝わったように、己も身体を震わせる。すると、逆に母の震えはおさまり、その目がアドルを捉えた。
「全部、僕が悪いんだよ。お父さんの言う通りだった。」
「そんな事っ!!そんな事ないわ!!」
「あの日魔法が発現しなければ、右腕を奪わなければ……。」
アドルが魔法を発現しなければ、今も幸福な家族としてこの村にいただろう。職を乗り換えることもなく、そこそこの給金で三人幸せに暮らして、もしくはもう一人子供が増えてなんてそんな未来もあったかもしれない。
「う、うぅ。やめてよ。もう、やめてっ……。」
「……ごめん。」
「あなたはちゃんと生きて。お父さんの分まできちんと生きてよ。」
母の乞う様な言葉と目はアドルにとっては辛かった。化け物の自分が生き残り、真っ当な人間だっただろう父が亡くなったのだ。
「……。」
「返事!!」
「っ……。わ、分かったよ。」
いつになく厳しい母の言葉に、アドルははっと息を飲むと両省の言葉を吐いた。二人の悲しみに暮れる夜はまだまだ始まったばかりだ。
森の広場でアドルは一人大きな木に手を付いて俯いていた。そんなアドルに二つの尻尾を揺らして近づく影が一つ。
「……。」
「アドル。」
「……やぁ、エレナ。どうしたんだい。」
エレナに声をかけられたアドルは少しの沈黙の後で振り返ると、爽やかな笑みを浮かべてエレナに相対した。頬を伝って乾いた涙の跡が痛々しくエレナの目に映り込んだ。
「その……。アドルのお父様……。」
「いいんだ。いいんだよ。」
「でも……。」
エレナの心苦しそうな声にアドルは首を振るうと、片手でエレナの言葉を止める。しかし、納得できないようにエレナは言葉を続けようとして、続きの言葉が出てこない。
「ははは。僕は大丈夫。それよりもエレナの方が大丈夫かい?」
「わたくしは何も、何もないわ。」
アドルの目には自分よりももっと死にそうな表情があり、自分以上に彼女のことが心配になってしまう。
魔力操作を習ってから急速に大人びたエレナは、その前のように虚構をその顔に張り付けて、青白く震える唇で言葉を紡いでいく。
「どうしてそんなに自分を責めているかは分からないけど、自分を責めても仕方ないよ。自分位は自分のことを褒めてあげないと。誰も褒めてはくれないからね。」
「……わたくしに褒められることなどありませんわ。」
「ははは、そうかな?エレナは僕より全然強いし、僕の知らないところでも色々と動いているんだよね。」
本来はエレナがアドルを慰めに来たはずなのに、何故かエレナを慰めているアドルの姿がそこにはあった。
エレナを慰める言葉はしかし、エレナには届かない。誰も見通せない深淵に目を向けているようで、何も響かずにかける言葉は音もなく、深淵へと飲み込まれていく。
「わたくしは……何も為せはしていませんわ。」
「うーん、そうかなぁ。エレナは自分が思っている以上に頑張っているよ。少しくらい肩の力を抜くといいよ。」
「……。」
どこまでいっても自分を認めないエレナをアドルではどうすることも出来ない。どうにかしたくても言葉が響かず、通り抜けてしまっては言葉をかけても無駄なのだ。
「今日はもう休むといいと思うよ。色々なことがあったからね。明日はまた日が昇る。夜に包まれたままでいるのは今日だけで十分だよ。」
「……先に失礼させてもらいますわ。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
「自分位は自分のことを褒めてあげないと、か。どの口がっ!!」
一人残ったアドルは自嘲するように言葉を漏らすと、自分の滑稽さ、怒りに思わず拳を大木へと振り切る。
じんとした痛みがアドルの拳に残り、それさえもが自身を燻る思いを深くするだけで、何の解決にはなってくれない。
「くそっ、結局僕は何物にもなれていない。今度こそ、この掌から零れ落ちないように、頑張らなくちゃ。




