044 決着
ゴブリンルーラーは森の中を必死に逃げていた。仲間の断末魔が森に響くたび、身体をびくりと震わせ、恐怖でその心を蝕んでいく。追いかけてくる人間とは一向に距離が空かず、そればかりか距離が近づいてきていた。
「ぎゃっ。」
「よっ、逃げても無駄だぞ。」
ゴブリンはついには追跡者アインに肩を掴まれてしまい必死に逃れようと身体をひねると、その身体を地面へと投げ出してしまう。恐る恐る振り返るとにこやかに笑ったアインがおり、恐怖のあまりがくがくとからだが震えている。
「ぎゃっ、ぎゃー(ひっ、ひー)。」
「ふーって忘れてるぞ?ちゃんと子分産まないとな。守ってくれる盾がいなくなっちまったよ。」
「ぎぃぎぃ(何故我々にこのような仕打ちを)。」
ゴブリンはあまりにも理不尽な状況に喉が絞られて、掠れた声しか漏れ出てこない。荒い息を吐くゴブリンにアインはにこやかに肩をぽんぽんと叩く。
ゴブリンはアインに化け物を見るような目線を送り、この状況になった原因を頭の中で考える。だが、出てくる答えは運が悪かったの一つのみ。
「くくく。ちょうどいいところに来たからな。まぁ、死んでくれ。」
「ぎゃー(我は役に立つぞ)。」
「ほう。」
本当に運が悪かった。これがもし護衛達なら、アドルだったならゴブリンは今頃には命を落としており、恐怖を感じることもなかっただろう。
苦し紛れに放った言葉はアインの関心を引くことに成功した。それに一縷の希望を抱いて、ゴブリンの思考は高速回転する。
「ぎぃぎぃ(兵隊を組織できるし、供物も用意しよう)。」
「へぇ。」
ゴブリンの提案をアインはにこやかに興味深そうに聞く。しかし、その目には何の色も映ってはおらず、興味など本当はないことが一目瞭然だった。だが、それでもゴブリンは可能性に賭けて口を回す。
「ぎっ、ぎぃ(ひ、必要なら、いくらでも手駒になる)。」
「……。」
「ぎぃー(見逃してくれー)。」
言葉を回しても届かない。ゴブリンはアインの目からそれを思い知ると、ついには命乞いさえ始めた。それは当初あった威厳などは一切感じられず、きっとここで生き残っても統率者など出来るはずもないだろう。
「ダメだね。お前はここで死ぬんだ。」
「ぎゃっ(く、苦しい)。」
「だが、安心しろ。お前の死も有効活用してやる。」
アインは命乞いするゴブリンの首を掴むと、少しずつ力を込めていく。バタバタと手足を振り回すゴブリンだが、アインの手に入る力が強くなっていくと、こひゅっと喉の奥がなり段々と抵抗も弱まっていく。
「ぎ、ぎゃっ(あ、悪魔め)。」
「こんなものか。」
何の感慨も浮かばないアインの目を虚ろな目で覗くゴブリンはついにはその命を燃え尽きさせて、アインに一つ言葉を残す。だが、アインの表情には何も浮かびはしない。ただ、無為にゴブリンは死んだ。
「わふっ(やっぱり行くの)?」
「ああ、問題ないだろう。」
「わふっ(早く行こ)。」
「ぴー(主、後方から女が)。」
「あ?……ああ、エリナか。少し相手していくか。お前らは先に行ってくれ。」
一人残ったアインはニヤリと口元に笑みを浮かべて腕組みしていた。
エレナはそんなアインを見つけると、ちらりと転がるゴブリンたちの死体へと目線を向けると、アインへと視線を戻した。
「アイン……。」
「よぉ、エレナ。遅かったじゃねぇか。」
「……全部アインがやりましたの?」
ゴブリンの死体には噛み跡や火で焼かれた跡が残っている。エレナはそんな傷を目ざとく見つけて、アインへと問いかけた。
「あ?いや、仲間とだな。」
「まだ魔物とつるんでいますの。」
「くくく、あいつらも悪くないものだぜ。」
エレナはアインの仲間という言葉に苦々しい表情を隠すこともしない。
アインはその表情を見るとおかし気に笑って、弁明するように言葉を口にするが、二人はお互いに言葉の無為さを理解している。
「っ……そうですの。」
「何が不満だよ。誰が誰とつるもうが関係ないだろ?」
「私達っ……!!……兄妹、ですわよ。」
アインは素直に出るエレナの表情を面白そうに見つめているが、それはそれとして仲間を否定されるのを好みはしない。
しかし、その言葉はエレナにとって歓迎するものではない。誰が何を言おうが、二人は唯一無二の兄弟である。それをどうでもよいような、そんな言い方は認められるものではなかった。
「だからどうした?妹だからって、兄の交友関係に口出しするのか。」
「それは……。でも、魔物は……。」
「人類の敵、か。くくく、俺からしたら人も、魔物も同じだけどな。」
魔物は人類の敵。事実としての言葉だが、魔物と話せるアインにとってはそれは真実ではない。何より人間の醜悪さの方が目立って見えて、生きるか死ぬかの単純な理論で生きている魔物の方が好ましく映っていた。
「……っ。」
「おいおい、睨むなよ。人間様だけ特別だって?そんなもの驕り以外の何物でもないだろ。」
「このっ……分からず屋っ!!」
人間も大別の上では魔物なのだ。それを人間は魔物と認めず、さも自分は違う存在だと誇示して憚らない。アインにとって、その在り方は驕り高ぶっている人間の醜悪さの表れにしか見えない。
だが、エレナにとってはそうではない。人は魔物だとしても、その上で人間なのだと。自分たちを人間と呼ぶのは、理性ある人間としてあろうとする誇りによるものだと、そう考えていた。
「結局、それか。何も成長していないな、エレナ。」
「うるさいっ!!」
「分かりやすいなぁ。」
激昂したエレナはアインへと拳を叩きつける。その身を纏う赤色の燐光は動きに沿って残光を残して、鋭く拳が振るわれる。
だが、アインはその拳を掴むと呆れたように首を振った。
「なっ……!!」
「本当に成長していないな。」
「くっ……!!」
素早く反対の拳を振り切るエレナだが、黒紫色の燐光を身に纏うアインにとっては軌道の読みやすい攻撃でしかない。幾度かの攻防が繰り返されるが、エレナが有効打を当てることは叶わない。
「いつまでそこで足踏みしているんだ?そんなこだわり捨ててしまえ。結局、何も変わらなかったんだろ。」
「どうして……、どうしてそう、身勝手ですの。」
アインのエレナを突き放す言葉にエレナは肩を落として、悲し気な表情で声を出す。
「くくく、くはははは。」
「なっ、何がおかしいのよっ!!」
そんな言葉を聞いたアインはおかしな話を聞いたように殻を震わせながら、全力で笑った。
そんなアインの様子を不服そうに文句を言いながら、エレナは頬を膨らませる。
「一番身勝手なお前の言葉じゃないな、くくく。」
「アインっ!!」
「ぐぉ……!!このっ……クソガキ。」
己の望みのためにアインの考えを正そうとしているのだ。それが身勝手以外の何物でもないのは分かり切ったことで、アインにとっては笑って当然のことだ。
だが、エレナは怒り心頭と言った様子でアインの名を叫ぶと激昂のままにその拳をアインの腹へと突き立てた。もろに拳を喰らったアインは痛みに呻きながらも、エレナを睨みつけた。
「引きずってでも村に連れ帰りますわ。」
「やめとけ。今のおまえじゃあ、俺には勝てねぇよ。」
赤と黒紫色の燐光がばちりと音を立てて弾き合う。至近距離から睨み合う二人は同時に後方へと飛びのき、拳を構えた。
「“リインフォース”」
「おっ、まえ!!」
「隠し技の一つや二つはありましてよ。」
リインフォースは強化魔法の中でも自己強化しかできず、それも肉体強度の強化のみだ。それ故に他の魔法よりも強化率が非常に高い肉弾戦専用の強化魔法だ。
「“ダークウェーブ”。」
「ふんっ……!!」
「脳筋がぁ……!!」
アインが放った闇の波動はエレナの一振りで吹き飛ばされた。魔法を拳で迎え撃つという阿保らしい脳筋さにアインは思わず悪態を吐く。
「“ダークイレイザー”。」
「効きませんわよっ!!」
「魔法を殴るんじゃねぇよ!!」
続いて放った魔法攻撃は一直線にエレナを貫こうとするが、それもまたエレナが拳を振るえばアインのところまで伸びる黒い線ごとひび割れて黒い粒子となって宙に消える。
物理的な衝撃を伴うダークウェイブとは違い、ダークイレイザーは純粋な魔法攻撃だ。本来なら拳で殴って止められるものではないが、エレナには一切関係ない。
「“鉄拳”。」
「くそっ、まだ自己強化できるのかよ。」
「ふふふ、大人しく着いてきなさいっ!!」
さらにエレナは気術による強化も重複させる。効果は攻撃力の強化。
悪態を吐いたアインにエレナは飛びかかる。リインフォースで上昇した身体能力はアインの想像を優に超えて、その顔を歪ませる。
「“ダークボム”、“ダークアロー”」
「効きまっ……!!痛っ……。」
接近してくるエレナにアインは魔法を射ち放つ。すると、エレナはその魔法の球を当然のように拳で殴りつけ、魔法の球は爆発すると中から黒い粒子が飛び出してくる。
エレナは急に視界が黒く染まると、続いて放たれた闇の矢が足に当たり思わずその場で立ち止まる。
「相手してられるかよ!!“夜の帳”。」
「厄介ですわっ!!」
二人の間だけ夜闇に包まれたように辺り一面が暗くなる。空間そのものに作用する魔法はエレナの拳では破壊できない。
「“ディストラクト”、“ダークアロー”」
「くっ……そっちですわね!!」
夜闇の中、一方的にアインが見える状況での魔法攻撃。アインは目が見えないエレナの感覚をさらに鈍らせる攪乱魔法をかける。さらに闇で形作られた矢の軌道を曲げると、側面からエレナを撃った。
その衝撃からエレナはそちらに向かってばっと目を向けるが、やはり闇夜の中では目は見えない。
「アイン!!逃げたわねぇええええ!!」
闇の帳の効力が切れる頃にはアインの姿はなく、森の中で孤独にエレンは突っ立っていた。エレナはその事実に肩を震わせて、怒りのあまり叫んだ。




