042 VS小鬼種2
エレナのわき目も振らず走り去ったすぐそばで一人の男がゴブリンの魔の手から必死の形相で逃げていた。その男には右腕がなく、バランスをとるのに苦労していた。そう、男はアドルの父である。
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
「あっ、くそっ。ゴブリンめ。こ、こいよ……。」
ゴブリンは叩いたら鳴く玩具を必死に追いかけている。森にゴブリンたちの醜悪な嗤い声が響き、アドルの父の心と身体を追い詰めていく。
木の根に引っかかって転んだアドルの父はすぐさま立ち上がると、彼を追いかける三体のゴブリンと相対するように拳を構えた。武術も何もならっていない男の格好は何とも情けなく不格好であった。
「ぎゃっ?」
「ぎぃぎぃ。」
「ぎぃ?」
不格好な男の姿に何を思ったのか、ゴブリンたちは男に指を指すと口々に何事かを話し出す。その内容はゴブリンの言葉を知らずとも、その男を扱き下ろしているものとすぐわかり、アドルの父は情けなさに下唇を噛んだ。
「「「ぎゃっ、ぎゃっ。」」」
「はっ、はっ、はっ。」
アドルの父を囲い込むようにゴブリンたちは動き、ゲラゲラと口を開けて嗤うと彼へと指を指した。
アドルは荒い息を吐きながらも、拳を握る力が強くなる。覚悟を決めた人間は強く、震える身体は徐々に落ち着いていく。
「ぎぃ!!」
「くっ、おらっ。しねっ、しねっ、死ねぇえええ!!」
「ぎっ……ぎぃ……。」
一体のゴブリンが進み出ると、そのゴブリンに対してアドルの父は飛びかかり、必死の形相で殴りつけた。そして、マウントポジションをとると懸命にその左拳を振り下ろしていく。ゴブリンは段々と抵抗の力が弱くなり、息絶えた。
「ぎゃっ!?」
「ぎぃぎぃ!!」
「は、ははは。俺でも殺せるんだぞ!!」
呆気にとられたように状況の推移を見ていた二体のゴブリンはアドルの父に怒りをあらわにして、がやがやと声を荒げた。
そんな二体の様子にアドルの父は笑みを顔に浮かばせて、腹の底からゴブリンに向かって叫びたてる。己を鼓舞するように、ゴブリンを威圧するようにあげられた叫びはアドルの父の震えをすっかりと抑えた。
「ぎぃ!!」
「ぎぃ!!」
「「「「ぎゃっ!!」」」」
「ぇ……?6体……。」
しかし、彼の不運は続く。二体しかいないと思っていたゴブリンはいつの間にか四体合流して六体になっている。そのあまりに絶望的な状況にアドルの父は簡単に心を折ってしまう。
「ぎゃっ、ぎぃぎぃ。」
「じょ、上位個体……。」
さらに、ゴブリンの上位種がアドルの父の前に姿を現すと、がくりと頭を項垂れてしまい、彼はもう心を持ち直すことも、身体を起こすこともできなくなった。
「ぎぃ?」
「「「「「「ぎゃっ!!」」」」」」
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
「はっ、はっ、はっ。はは、は。」
己の死を確信したアドルの父は目を虚ろのまま下を向き続け、処刑台を待つ死刑囚のような心持ちで心を絶望に濡れさせた。
仲間を殺されたゴブリンたちは怒りをぶつけるように、生かさず殺さず絶妙な力加減でアドルの父を嬲り続けた。彼の足は二本とも折れ、左足も使い物にならないほどぐちゃぐちゃだ。
気絶しようにもすぐに痛みで起き上がらされ、死よりも恐ろしい永遠とも思える痛みに囚われた彼はすっかりと老け切ってしまっていた。
「ぁ……。……ゆる、して。」
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
「ぉえ……。」
「ぎぃ。」
か細い声をあげるアドルの父をあざけ笑うゴブリンは嬲る手を止めることはない。声を出せば嗤われ、黙ろうとすれば声が漏れ出るまで嬲られる。
アドルの父は地獄のような時間に胃の中の内容物はとうに出し尽くしているのに、吐き気だけはおさまらずに地面に口を付けながらもえずいていた。
「お父さん!!」
「……ぁ、どる。」
そこにアドルが到着した。アドルは何故生きているかもわからず、救おうにもどうにもならない父の姿がどこか遠くに感じていた。嫌っていたはずの、憎んでいたはずの父がひどい目に遭っているのに、心の奥底でふつふつと怒りがたまっていく。
アドルの姿を見た父は笑った。望んでいたものが来たように、こんな状況なのに幸福そうに笑った。か細く声にもならない声をだし、必死に持ち上がらない手を動かそうとする。
「ぎゃっ。」
「ぎぃ!!」
「……。」
だが、無情にもゴブリンの持つ短剣によって、アドルの父の首は切られた。彼の頭はゴロゴロと転がり、アドルの足にぶつかるとぴたりと止まった。父の歪んだ笑みを見たアドルは胸の奥から込みあがる感情のままに、瞳から一筋涙を流した。
「お、父さん……。お父さん。」
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
「「「「「「ぎゃっ、ぎゃっ。」」」」」」
ゴブリンが笑う。嗤う。他人の絶望を喜ぶように嗤った。楽しそうに手を叩き、ゴブリンたちの汚い拍手と合唱が森に響き渡った。
「笑うな……。笑うんじゃない!!」
「ぎゃ?」
アドルは怒りのあまりにその身に魔力を無意識に纏わせた。アドルから出される圧力と怒気にゴブリンの上位種はきょとんと目を瞬かせて、小首を傾げた。
「ははは、父さんは一体倒したんだね。流石だよ。さすが、だ。」
「ぎぃ?」
「魔物は敵だ。お前ら全員殺しつくしてやる。」
アドルはそっと目を伏せるように父の死後の安寧を祈ると、目を開かせてゴブリンの顔を睨みつけると、満面の笑みを浮かべながら一体一体指で指した。そして、首を掻ききる仕草をした。
「ぎぃ!!」
「「「「「「ぎゃっ!!」」」」」」
「……(まず、上位種とは離れて、各個撃破しないと)。」
アドルの仕草の意味が通じたのか、ゴブリンたちは怒りに騒ぎ出した。対照的にアドルの心は冷え切っていた。怒りのあまりに一周回って冷静になったのだ。
「ぎぃ!!」
「ぎゃっ!!」
「ぎぃぎぃ!!」
「ふっ……(囲まれても多くて三体。どうにかなる)。」
突出したゴブリンは三体。それ以上で包囲しようにも木などがあり、効果的ではない。故の三体だが、アドルにとってはそれは都合の良いことだった。
ゴブリンとアドルは体格に差はなく、純粋な身体能力にも大きな差がないだろう。そこに魔力という肉体強度上昇を含めると、アドルに分がある。ゴブリンの粗末な連携など大した意味はなく、身体能力の強弱が直接的な勝率に影響する。
「ぎゃ!?」
「ぎぃ!!」
「ぎぃぎぃ!!」
「まず、一。そして……二。」
アドルはまず右側から迫ってくるゴブリンの首を撫でるように切ると、すぱりと胴体と頭が離れ離れになる。すると、ほかのゴブリンたちは動揺を露わにして敵前にも関わらず、隙を晒す。
当然、隙を見逃すアドルではなく、目の前にいるゴブリンの懐に潜り込むと武器を持つ手を切り落とすと、返す刃で首を断ち斬った。
「ぎゃぎゃ!!」
「ぎぃぎぃ!!」
「ぎゃ!!」
「「「「ぎぃ!!」」」」
動揺に足並みが空わないゴブリンたちはしかし、上位種の一喝に統率された返事を返して、指示に従いアドルへと迫っていく。
前衛が三体なのは変わらず、その後方からアドルに向かって投石を繰り返すゴブリンが一体増えた。単純に攻撃の手が増えただけでなく、牽制のために投げられる投石も意外と鬱陶しく、当たると痛みを受けるので戦闘に不利になってしまう。
「くっ……厄介な。」
「ぎぃ?」
「……(上位種か。統率を取れる存在は邪魔だな)。」
アドルは戦闘の仕方が変わるだけで相当にやりにくさを感じていた。しかし、冷静さは失わずどしりとその場で構えていた。
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
「ぎぃ!!」
「“ウィンドカッター”。……(本当なら上位種に初見で攻撃したかったけど、まだ渦による目隠しがある)。」
アドルは投石を繰り返すゴブリンに魔法を発動すると、魔法で作られた風の刃は狙い通りゴブリンの首を断ち斬り、牽制がなくなると近接しているゴブリンの首をそのまま断ち斬った。
「ぎゃ!?」
「「ぎゃ!?」」
「よしっ“ウィンドカッター”。……(これで後は上位種のみ)。」
上位種でさえ動揺を声にだしてしまい乱れるゴブリンたちにアドルは魔法と剣を振るうことで二体を殺しきる。
「ぎぃ……。」
「お前で最後だ!!」
「“ぎゃぎゃぎゃ”。」
「魔法!!くっ、そ……!!」
ゴブリンの発動した魔法により、アドルの足元から土でできた針が遅いかかる。が、どうにかアドルは身体をひねることで攻撃をかわした。
「ぎぃ。」
「……(追撃は、なしか。慎重派なのか、臆病なのか)。」
態勢を崩したアドルはゴブリンにとって最高の攻撃の瞬間であった。だが、ゴブリンはその場を動くことはなく、様子を伺うようにアドルを観察している。
「ぎゃっ!?」
「これは……(臆病な方だな。接近戦は苦手と見ていいか)。」
ゴブリンに見えないように渦から石を取り出し、アドルは思いっきりゴブリンへと投げつける。すると、ぎょっとした目をしてゴブリンは攻撃を全力で避けた。
「“ぎぃぎぃ”」
「くっ……(前へ、前へ。踏み込めば斬れる)。」
ゴブリンの前に土で出来た槍が出来上がると、アドルの方へと打ち出される。弾速はそこまで早くないものの、槍は大きく意外と面積がデカい。それを必死に前へと身体を倒すことで踏み込みながら避ける。
「今!!」
「ぎゃっ!?」
ゴブリンの顔に渦が出来る。急に視界を遮られたゴブリンは驚きに身体を硬直させるが、次の瞬間に腕を前方へ思いっきり振るった。
「なっ……!!」
「ぎゃっ、ぎゃっ。」
今度はアドルが驚きの声をあげる番であった。身体は急には止められず、今のままでは腕へとぶつかる軌道である。
ゴブリンはアドルの驚きの声に嘲笑の声をあげた。勝利を確信したゴブリンの腕がアドルの身体にぶつかりそうになる。
「もう一歩、もう一歩だけ!!ぇ……?」
「ぎゃ……?」
その瞬間、アドルの身体を後方から押すように風が吹き、アドルの刃が先にゴブリンの首を断ち斬った。しかし、ゴブリンの振るわれた腕も勢いは失われず、アドルは地面をゴロゴロと転がり、木に身体をぶつけた。
「これは……。いや、ゴブリンは殺せた。全部殺した。」
不可思議な現象にアドルは首を傾げるが、父の元へと歩みを進めるとその首を拾い上げて、その首を胸に抱いた。
アドルの目からは5年ぶりに大粒の涙が溢れ出して、その涙が枯れるまで彼はこの場から動くことは出来なかった。涙が枯れる頃に護衛達が到着して、その惨状に何かを察したようにリーダーはアドルを抱きしめた。




