003 アインという少年
森の奥にある泉には多種多様な魔物が住んでいる。足が異様に発達した鹿や水面を浮かぶように泳いでいる水鳥、果ては赤い燃えるような毛並みを持つ狼などだ。魔物の他にも獣も多数生息しており、その中でこの泉だけは一種の均衡地帯となっている。
アイン率いる一行もまた、その泉にやってきていた。数匹の魔物を率いる彼はこの穏やか泉の中では最大勢力であり、そんな彼らの存在こそが泉を争うことなく、にらみ合いが続くだけの均衡地帯にしている要因だ。
「よし、今日は何をする?」
「わうっ(狩り!)」
「わうわうっ(狩り、狩り!)」
アインの言葉に赤色の燃えるような毛並みを持つ狼と、黒と白の毛を持つ狼が会話するかのように吠える。吠えた声は副音声のように人間の言葉に置き換えられて、アインの頭の中に直接響いた。
まだ年若い狼たちは自身の狩猟本能を抑えきれぬようにはっ、はっと短く息を吐きながらアインの周りを駆けまわる。その動きをしっかりと目で追いながら、微笑ましそうにアインは笑みを浮かべている。
「きゅー(お散歩。)」
「ぴーぴー(何でもいい。)」
「おお、そうかそうか。じゃ、狩りするか!散歩もついでに出来るしな。」
狼たちの次にアインに意志を伝えたのは後の二匹。ずんぐりと大人の膝の上を覆うほどの巨体を持つピンク色の兎である。兎の額には立派な螺旋を描く長さ30㎝ほどのツノが生えており、その左斜め下に添えるように一本の角が体毛に隠れて存在していた。
もう一匹はアインの頭にぱたぱたと翼をはためかせ降り立ったかと思うと、ふてぶてしくぴーぴー鳴く。水色の羽根の先は若干黒っぽさが残っており、子供の頭に乗っても負担にならないくらいの大きさの幼鳥である。
計四匹がアインの一行である。異種族の魔物で構成される光景は異様そのもので、まとまりのある魔物の集団はその脅威度を大きく跳ね上げている。アインが四匹の意見を聞き入れると、走り回っていた狼はアインの前で止まり尻尾をぶんぶんと振るった。
「「わおー」」
「おー、よしよし。」
「きゅーきゅー(私も、私も)」
「ははは。よしよし。」
わしゃわしゃと二匹の狼を撫でるアインは野生とは思えない毛触りを存分に楽しんでいる。嬉しそうに尻尾を振り身体を擦りつけるように狼がすると、狼の背面から見ていた兎が一鳴きする。どうやら自身も撫でてほしいようだった。
直接的な要求に浮かべていた笑みを深くして、柔らかい身体に触れて背中の毛を掻き分けるように撫でる。それに兎は気持ちよさそうに目を細めて、身を預けた。しばらくの間、一行の間には穏やかな時間が流れていた。
「ぴーぴー(早くいこう。)」
「ははは。よし、行くか。」
そんな時間もふてぶてしく鳴く幼鳥の声で終わった。まだ撫でてほしそうに身体をアインの手に押し付ける兎だが、狼たち二匹は心なしか目を輝かせてその場に起き上がった。そんな四匹の様子にまた一つ笑みを零して、アインも立ち上がった。
「よしっ、いけっ。」
「わうっ」
「わううっ」
「おっ、うまくいったなぁ。お疲れ。」
森の中でアインの指揮下の元、二匹の狼たちは野生の猪を挟撃する。猪は二匹に襲われるのに気が付くが、その時すでに遅く狼たちの牙は首元を奥深くまで刺し、びくりと身体を一つ震わせて地面に倒れ伏した。
血に染まる口元をはっ、はっと息をあげながら狼たちは興奮おさまらない様子で、尻尾をぶんぶんと振っている。その二匹に労いの言葉をアインはかけると、血に濡れた狼たちを気にする様子なく、近づいていく。
「わふっ(へへん)」
「わふっ(どうだっ)」
「ははは。偉いぞぉ。」
自慢するように鳴く二匹の頭を軽く撫でると、褒められたのを嬉しそうにしながらも猪の方へと駆けていき、死体を咥えると近くの川に運んでいく。ずるりと地面に血と猪を引きずる跡が出来て、その道は川まで続いた。
「きゅー(私も)。」
「お前さん、なにもやってないじゃないか。ははっ、よしよし。」
何もしていない兎はしかし、当然の権利のようにアインに撫でるように要求する。その要求に呆れたように呟くアインだが、その後に兎の額のツノを避けるように頭を撫でる。前にアインが手で撫でる時、ツノを触れたアインに兎が驚き、その手をツノで突き刺したからである。
「わふっ(飯!)」
「わふっ(焼く?)」
「おっ、そうだな、頼めるか?」
「ぴーぴー(了解した。)」
アインが兎の頭を撫でていると二匹の狼が彼の元へと駆けていく。すぐ近くの川には解体されたにしては汚いが、確かに部位ごとに分けられた内臓やら肉やらが並べられている。当然狼たちによるもので、人であるアインに配慮したための行動だ。
焼くか聞いてくる狼に対してアインは頷くと、頭に乗っている幼鳥をぽんと軽く叩き、協力をお願いする。すると飛び立った幼鳥は並べてある肉類に嘴を開けると、その口の中から火を噴きだした。
「いつもありがとな。」
「ぴーぴー(ふん、友のためだ。)」
「ははは。ありがとう。よし、食べようか。」
幼鳥が火を噴くのを止めた後、そこにはいい色に焼かれた肉があった。焼き加減はちょうどよく、辺りに食欲誘う香りが広がった。アインは頭の上に戻ってきた幼鳥に対して、礼と共に嘴の根元付近を人差し指で撫でた。
「わおおおーん(めしー!)」
「わふっ(腹減った。)」
「ふぅ、今日も楽しかったな。」
「わふっ(行っちゃうの?)」
「わふふ(ここで暮らせば?)」
楽しかったと呟くアインに狼たちは寂し気に身を寄せる。朝ぶんぶんと振っていた尻尾は対照的に下がり、耳先もへたりと折れていた。アインはそんな狼たちに名残惜し気だが、しかし笑顔を浮かべてわしゃわしゃと朝と変わらない風に撫でる
「ははは。そうしたいけどな、心配な奴がいるんだ。」
「きゅーきゅー(朝のやつ?)」
「そうだ。俺の、唯一の理解者なんだ。」
「きゅー(そう。)」
アインの言う心配な奴はアドルである。同じ村で産まれて、同じような境遇を経た少年。同士。アインにとっては彼が自身の最大の理解者で、自身こそがアドルの唯一の理解者であると思っていた。お互いが理解者でないのなら、誰が理解者になれるものかとさえ思っていた。
唯一の理解者とそんな風に語るアインの眼は何処までも澄んでおり、それを信じてやまない眼だ。そんな眼を見た兎は理解できないとばかりに目を伏せて、不満げな色を隠すこともなく、素っ気なく返事をする。
「不満か?」
「きゅっ(べつに。)」
「ははは。そうか。悪いなぁ。」
「きゅー(こんなんで騙されないから。)」
アインは兎の背に手を埋めると優しく、優しく撫でていく。兎は身体に手が埋もれる感覚に、触れるアインの手の感触に気持ちよさげに身を預けていた。アインが手を止めると許していないとばかりに鳴くが、先ほどの刺々しさは全くなかった。
「ははは。」
「ぴーぴー(気をつけてな。)」
「ああ。じゃあ、また明日な。」
アインの立ち去る背を見る魔物たちは寂し気で別れを惜しんでいたが、一方のアインは姿勢よくアドルのいる村へ一歩一歩と早足に歩いていった。別れを惜しむ気はあっても、彼の帰る場所にはアドルがあった。




