012 アインと父
「よお。」
「ああ、アインか。どうかしたか?」
アインの家が誇る執務室に再びアインはやってきていた。書類仕事をしているアインの父は急な来訪者にも目線をあげることはない。仕事を進めるスピードは変わることはなく、来訪者に何の関心も抱いていないようだった。
「エレナを連れて来たぞ。」
「おお、ご苦労。それで、どこにいるんだ?」
「訓練場。」
「そう、か。分かった。」
父は訓練場という言葉を聞き数瞬完全に動きを止めた。そのままアインの方へ目線をあげるとその無機質な目でアインの赤の目を見つめる。
アインは昔からこの無機質な目が苦手であった。おおよそ人がしていい目ではなく、人を人としても見ていないような不気味な視線が向けられるのを嫌った。今でこそこういうものだと慣れているが、不意に向けられると今でもびくりと肩を跳ねさせてしまう。
「くくく。エレナなら免除してもよかったんじゃないか?」
「それは聞けない相談だな。どれほど愛おしい子でもアーレンクロイツ家の役割からは逃れられない。」
「ふん。家のためか、無視してもいいんじゃないか?」
アインの父はとうの昔からアーレンクロイツ家として生きている。自身の子供も、妻もすべてアーレンクロイツ家としての役割を達成するためのもので、一個人としての意志は希薄になっている。
それでもアインの父に感情がないわけでなく、むしろ奥底の激情は誰よりも強く簡単に無機質な目には感情が乗ってしまう。
「ははは。お前が化け物でもなければな。」
「ちっ、俺のせいだってか?」
「もちろん、それだけじゃないがな。どちらが幸せだと思う?」
「はぁ?何の話だ?」
アインは唐突に話が切り替わったかのように質問が投げ掛けられて、思考には空白ができる。その空白を縫うようにアインの父は言葉を重ねていく。
「何も知らないまま、力も持たせないまま窮地に陥るか、すべてを知り、力を与えて窮地に身を置くか。」
「何も知らないまま窮地にも陥ないようにすればいいだろ?」
「ははは。それはなんとも不幸だな。」
「はぁ?なにが不幸なんだ?」
「選択肢を他者に狭められて、仮初の自由という名の不自由を背負わされるのだ。不幸以外の何物でもない。」
アインの言葉はまさに理想的であるはずだ。脅威を意識することもなく、窮地にも陥ることはない。死という恐怖を身近に感じることはなく、生命が脅かされることはないのだ。まさに平和そのもので、何たる幸福だろう。
しかし、生命が脅かされないなら幸福なのだろうか?もし、自由こそが幸福であるのなら、アインの父のいうことも正しいだろう。脅威を知り備えるのか、逃げるのか、真っ向から戦うのかその選択が出来る自由とは誰にも侵されるべきでない権利ではないのか。
「だからって、役割を無理に背負わせるのは違うだろ?」
「ふむ。私はいつ役割を背負わせるといった?何を知り、どうするかは最終的には本人の自由だ。」
「……。詭弁じゃないか。結局親から背負わされる想いに違いはない。」
「そうかな?かく言うお前は私の願いを背負ってはくれないだろう?魔物と共にいるくらいだから、な。」
そう。アインの父は決して背負わせてはいない。背負うかどうかも自由なのだから。究極的な自立こそ幸福に繋がると疑うことはなく、信じているのだ。知らない、知ることさえ許されないそのことの方が不幸であると感じてしまうのだろう。
だが、自立と言うのは自分の意志で選択して、貫き通す力を持つ者でないと叶わない。ならば7歳の子供にアーレンクロイツ家としての宿命を語るのは、果たして自立というものを尊重しているのか。本当の意味で背負わせようとしていないと言えるのだろうか。
「……っ。知ってたのか。」
「知らないはずがない。私は親だぞ。そしてアーレンクロイツ家である。」
「……。」
「まぁ、今更何かを言うつもりはない。元々背負ってもらおうなどとも思っていない。お前なら分かるだろう?」
「ああ、痛いほどにな。」
二人の間には語っていない言葉の内が幾つもあっただろう。しかし、この話を続けても平行線であるのが二人は理解していた。お互いに正解で、間違っている。完璧な正答がない問題なのだから、仕方がない。
二人の目的は自分の思想を押し付けることではない。後はただ粛々と父と子という役割を演じるだけだ。
「ははは。やはり化け物か。好きに生きるといい。その分役割は巡るだけだ。」
「……くく。案外、エレナも役割を放棄するかもな。」
「何!?エレナがか?」
「ああ。俺は願っているよ。くそ親父じゃなくて、アドルと共に行く道を進んでくれることを。」
父が驚きに声をあげた。エレナの性格を思うとむしろアーレンクロイツ家の宿命と聞かされて燃えないわけがない。それなのにどこか確信的に役割を放棄すると聞かされては穏やかではいられなかった。
「アドル?ああ、前に言っていた片割れか。その父も不憫だな。ここでも人生が翻弄されているのだから。」
「くくく。忘れていないみたいだな。頼むぜ。」
「もちろんだとも。契約は履行する。必ず。」
前の執務室での会話はお互いの頭にあった。己の役割をお互いに全うする意思がある。それを両者ともに確認できた今日という日はきっと、二人にとっては重要なことであった。
「それだけ聞ければ十分だ。エレナは今日は気絶するだろうな。だから、明日にでもお役目を話せばいいさ。」
「……。」
「……。」
「……。」
執務室に静寂が包む中、親と子は何を思っているのか視線を交わせているだけだった。どちらともなく視線を外し、微かに笑みを浮かべた。父の目にはもう書類の内容が写っており、アインはくるりと背を向けた。
「じゃあな。親父殿。」
「またな、我が息子よ。」




