そりゃあ、逃げるよね
運ばれてきたケーキは、あっという間になくなった。
なんだかんだと言いながら、シフォンヌ嬢もお気に召したようだ。
俺は無言で自分のケーキをアリの前に差し出す。ケーキと俺を交互に見比べる姿は、待てを覚えた仔犬のようだね。
「男の子はいっぱい食べなきゃね。このチーズケーキも美味しいと評判だよ」
見た目少年のままのアリにニコリと笑うと、彼女は「ありがとう」と言ってシフォンヌ嬢と半分こし始めた。
ブライアンがもぞもぞとする。
『こういう時は男も頼むもんなんだよ。女性は何個も食べたいけれど、恥ずかしくて素直に頼めないだろう。本当は食べたくなくても男も一緒に頼めば、後であげる事が出来るだろう』
俺は小声でブライアンに説明する。
『いつもは甘い物など口にしない貴方が注文するなんて、変だとは思いましたよ。けれど頼んで女性にもいらないと言われてしまった場合は、どうするんですか?』
『その時は無理矢理嚥下する』
『苦しいですね』
『この笑顔が見たかったら、そこは頑張らないとな』
そう言って二人を見る。そこには笑顔の少女がいた。
ブライアンは、その笑顔のシフォンヌ嬢から目が離せない。
『……頑張ります』
うん、二人が上手くいきそうで俺も嬉しいよ。
ケーキを食べ一服したところで、アリが話し始めた。
「魔法が使えるようになったのは、七歳の頃です。それまで起きてるとどうしても眩暈がして倒れる事が多かった私は、寝台で大半を過ごすような日々を送っていました。理由が分からない父は王都で暮らすよりも空気の良い領地の方が体には良いのではないかと考え、領地で親子三人ひっそりと暮らしていました。物心ついた時より妖精が見えていた私は奇異な行動をとっていたのでしょう。周りの大人には病で幻覚が見えているんだと思われていたようです。そんな私を隠す意図もあったのかもしれません。その内に絵本からも分かるように、この国での妖精の立場が私にも分かってきました。口に出してはいけない存在。私は人が見ている時には見えないふりをするようになったのです」
人は自分が見えないモノの存在を、簡単には受け入れられない。
アリには当たり前に見えた妖精も周りの人には見えない。幼い子供が見て見ぬふりをするなどと、簡単には出来る事ではないだろう。辛い思いをしてきたのは想像できる。
「けれどそんな時にこの子、妖精ティンは私に力の出し方を教えてくれました。物を風で浮かせたり水を出したりと簡単なものでしたが、それを使う事により体が軽くなっていく気がしました」
アリは肩にいるであろうティンなる妖精に、軽く顔を寄せる。アイコンタクトでも取っているのだろう。
「そうして元気になった私は、昨年家族と共に王都にやって来ました。王都の暮らしは眩いものばかりでした。お陰様でシフォンヌがそばにいてくれたから、どうにかやってこられたようなものです。デビュタントもしました」
会場にはユマ様もブライアン様もいらっしゃったのかもしれませんね。私達はすぐに帰ってしまったのですけれど。と言う彼女達に昨年のデビュタントを思い出すが、記憶にない。残念だ。
「けれどこちらで困った事は、大きな魔法が使えないという事でした。人目があり過ぎるので、竜巻などおこしてしまうと大騒ぎになってしまいます。私は王都の中心部より少し離れた森の奥で解放する事にしました」
「それを人に見られたのか」
俺はアリの話の続きを口にした。少女二人は吃驚した顔をする。いやいや、その話の流れなら、そう考えるのが普通でしょう。
「ユマ様はなんでもお見通しなんですね」
「いや、流石に誰に見られたかまでは分からないよ。まあ、誰であろうとその人物に脅しをかけられている事は分かるけどね」
「え、なんで分かるのですか? そんな脅しをかけられているなんて」
「いやいや、男装してお忍びしてるぐらいだよ。隠れているに決まってるじゃないか。そうでなければシフォンヌ嬢と同じように町娘に変装すればいいだけの事。せっかくの愛らしい姿を隠して遊ぶなんて、年頃の少女がするわけないでしょう」
「年頃の少女って……おっさん臭いですよ、ユマ」
うるさい、ほっとけ。こちとら二十九歳のおっさん経験者だよ。
なんだかんだと口を挟んでくるブライアンの頭を、無言で叩く。
「えっと……ユマ様のおっしゃる通りです。先日、魔法を使っている所をとうとう見られてしまったのです。とは言っても、木の実を落とすのに軽く風をおこした程度なので、見ようによっては分からないと思うのですが……」
「相手が悪かったのです。その方はよりにもよって聖女を見つけたジュメルバ卿だったのです。彼は『貴方にも聖女と同じ力があるのではないか?』と詰め寄ってきたのです。私も一緒にいたので『なんの事か分かりません』と言って二人で逃げたのですが、翌日、彼からアリテリア様に婚約の申し入れがきたのです」
アリとシフォンヌ嬢が説明する中、黙って聞いていた俺は驚いて椅子から転げそうになった。
は? 婚約って……はあぁ?
「ジュメルバ卿は、確か三十九歳だよね。しかも十八歳の聖女を養女にした。えっと、アリは幾つだっけ?」
「十五歳です」
そうだよな。俺と同年代位だとは思っていたが、一つ下か。じゃあ、尚更三十九歳なんて犯罪じゃねえか。
「……ありえないでしょう?」
「はい、ありえません。あきらかにアリテリア様の力を狙ったものとしか考えられません」
シフォンヌ嬢があっさりと、ジュメルバ卿の思惑を口にする。
「なるほど……で、今はどういう状況?」
「アリテリア様の父上、ホワント伯爵様がとめてくださっています。流石に娘は幼過ぎるし、数年前までは領地で静養していたほど病弱だったため、とてもジュメルバ卿の奥方などは無理だとおっしゃって。けれどジュメルバ卿には諦める様子はなく、病気は治っているのだろうと、幼いのなら時間を与えれば心も落ちつくだろうと、今はただアリテリア様のお気持ち一つとなっております」
「ああ、あくまでアリを押さえておくという事か。それで外に出ても簡単には見つからない様に男装をしたと。ジュメルバ卿の信者に話が通っている恐れもあるからな。見つかればすぐに報告されて顔を会わせてしまう。そうなれば無理にでも連れ去られてしまう可能性がある上に、アリがこの婚約に納得したと言ってしまえば、そのまま監禁されてしまう可能性だって十分あり得る。思った以上に深刻だね」
俺がう~むっと考えていると、シフォンヌ嬢が「話が早くて助かります」と頭を下げた。
ああ、そういうのはいいけれど、嬉しくない全問正解だな。
はてさて、どうしよっかな?
「いっその事、俺と婚約するかい?」
「「「え?」」」




