女性は素晴らしい
イルミーゼの発言に、私は我が耳を疑った。
私はユマノヴァがいない以上、この者達の安全を確保するために避難を言い渡したが、イルミーゼは聖女だ。魔獣討伐には欠かせない人材だが、同時に私の愛しい女性でもある。
だからイルミーゼへの指示を言い淀んでしまったのだが、彼女はそんな私の心情を悟ったのか、自分から討伐に連れて行けと言った。
私は自分の思いを吐露する。立場上、連れて行かなければいけない。五十もの魔獣を力技だけで討伐するのは、いくら専門隊でもかなり難しい。けれど聖女なら。彼女の力だけで、ほとんどの魔獣が消滅するかもしれない。それでも……。
「私は君を聖女として扱いたくないのだ。私の大切な女性として……」
「レナニーノ様は今、王太子の立場として責務を全うしようとしているのでしょう。それならば私も聖女としてここにいる以上、頑張ります。それにレナニーノ様だけを危険な場所に送るのは嫌です。私にも力があるのなら一緒に戦いたいです」
イルミーゼはしっかりと私の目を見る。
五十もの魔獣相手に立ち向かえる者など、どれくらいいるのだろうか。正直、この国の騎士でさえ逃げだせるものなら逃げだしたいと思っているはずだ。かくいう、私だって彼女を連れて逃げ出したい。
けれど私の立場が、王族の血が騒ぎだす。皆を守れと。民を助けろと。だから私は最前線で戦う。それが王族の務めだ。
だが、彼女は違う。
ただ魔獣を消滅する力を、妖精から与えられただけだ。それ以外はただの可愛い村娘でしかない。それなのに、私と共に戦うと言ってくれた。怖いはずなのに、握りしめた手は震えているというのに、私と共に魔獣のもとへと向かうと言ってくれたのだ。
なんて素晴らしい女性なのだろう。力だけじゃない。彼女は心から聖女なのだと、私は今まで心の奥で、女性を下に見ていた事を後悔する。
女性は庇護する者ではあるが、決して卑下する者ではない。同等の立場なのだ。
そしてもっとも恐ろしい場所に、ともに肩を並べて立ち向かえるほどの勇気を持っている。
ああ、ユマノヴァが言っていた事はこういう事かと、今更ながらに思う。
私はイルミーゼの震える手を握りしめた。
「共に行こう。だが決して私のそばを離れるな」
「はい」
イルミーゼは満面の笑みを向けてくれた。後光とはこういう眩しいものの事を言うのだろうか。
「申し訳ございません、レナニーノ様。私も一緒にお連れしてはもらえませんか?」
「は?」
ブライアンの隣でシフォンヌ嬢が、私に詰め寄って来た。
彼女は何を言っているのだ? イルミーゼは聖女だから共に戦う為に一緒に行くと言ってくれたが、彼女はただの貴族令嬢だ。妖精の光が見えるだけで、なんの力もないはずだが。私は彼女の隣で驚いているブライアンを見る。
ブライアンは眉間に皺を寄せて「私を心配してくれるのは嬉しいが」と言ったが「違います」とすぐに否定されて、ガクッと肩を落としていた。あ、ちょっと不憫だ。
そんなブライアンにシフォンヌ嬢は慌てて、自分が無理を言っている訳を話す。
「あ、ブライアン様が心配ではないと言っているわけではありません。本来ならレナニーノ様のおっしゃるように私はお邪魔にならないよう避難して、皆様の無事を祈る事が役目だと思います。ですがこの状況を、ユマノヴァ様とアリテリア様がお知りになった場合、放っておくはずがないのです」
そう言うと、ブライアンも確かにそうだと頷いている。
「あの二人は良くも悪くも真っすぐな心の持ち主です。しかも今は、ユマノヴァ様まで規格外の力を有しています。その二人が王都にいないからと危険を察知して逃げると思いますか? すぐに駆け付けて来るでしょう。その場合、暴走したユマノヴァ様はアリテリア様が止められるかもしれませんが、アリテリア様を止められるのは私しかいません。二人がはしゃいだ場合、多分収拾が付けられるのは私だけかと」
真面目な顔でそんな事を言うシフォンヌ嬢。美人なだけに迫力が凄い。私は内心圧倒されるが、王子の仮面でどうにか反論する。
「いや、確かに二人はここに戻って来てくれるかもしれないが、それは魔獣を討伐するのに頼もしい状態になるだけで、困った事になるとは思わない。それにユマノヴァは少しお調子者ではあるが、アリテリア嬢がそばにいてそのような事には……」
「なります。アリテリア様はユマノヴァ様と同調する癖があります。ユマノヴァ様を崇拝しているので、本人も気付かないうちに一緒に遊んでいるのです」
「え、遊ぶ?」
「コホン、失礼しました。ですが私は昔から思っていたのです。何故あそこまでアリテリア様は妖精に好かれるのかと。多分、彼女には妖精のように何事をも楽しむ力があるのです。それをユマノヴァ様と出会い、彼と同調する事でハッキリしました。だってユマノヴァ様も妖精に好かれているでしょう」
そう言うシフォンヌ嬢の表情には、疲労の色が見て取れる。いや、先程まで誘拐されていて、なおも戻らぬ主人を心配していたのだから疲れているのは分かっているが、なんだかこの表情にはそれだけではないものを感じさせる。
……長年、苦労していたのだな。
「レナニーノ様、彼女も一緒に来てもらいましょう」
私がシフォンヌ嬢に同情の目を向けていると、ブライアンが意を決して私に意見する。
「ユマノヴァ様は彼女が言うように今、規格外の力を手に入れています。きっと魔獣を退治しに来てくれるでしょう。そしてアリテリア様の力も素晴らしいものです。長年その力に向き合ってきただけに力を発するのも的確です。ですが、負けず嫌いな所がおありなので、無茶をする可能性もあります。その時彼女を危険から守れるのは、シフォンヌ嬢しかいません。アリテリア様に何かあればユマノヴァ様は大暴れされます。それこそ魔獣が全滅しても止まるかどうかわかりません。下手すれば王都は壊滅……それ程の力を今ユマノヴァ様は手にしてらっしゃると思います」
私はぞっとした。マジか、ブライアン?
「ブライアンは大げさだ。いくらユマノヴァとはいえ、王都を壊滅する力などあるはずが……」
「私はアリテリア様の力を見た事があります。それ以上に先程、色んな妖精がユマノヴァ様に力を譲っていました。それこそ爆発するのではないかと思うほどの、膨大な量です。よくユマノヴァ様の中に納まったなと呆れるほどでした」
ブライアンは笑う事無く、真面目な顔でそんな事を言ってのけた。本来ブライアンはとても真面目な男だ。冗談でこんな事を言う奴ではない。
「待て。ではユマノヴァはその力に戸惑う事無く、すぐに自分のものとして扱えたというのか?」
「はい。ですから私は、乳兄弟という絆以外にも離れる事が出来ないのですよ」
苦笑するブライアンに、私は卒倒しそうになる。こ、これは、私が考えている以上に何か良くない展開になりはしないだろうか……?
「……シフォンヌ嬢の同行を許可する。彼女の身はブライアンに預ける。全力で彼女を守れ」
「はい!」
「ありがとうございます」
二人は私に深々と頭を下げた。そっと私に寄り添う温もりを片腕に感じる。
イルミーゼが笑顔でこちらを見ている。
とにかくこんな所でぼんやりとしている訳にはいかない。私は皆と共に城に戻り、一刻も早く魔獣が来るであろう場所まで移動しなくてはいけない。
王都には決して侵入を許さない。
民の避難も早急に終わらせて、私達は魔獣への襲撃に備えるのだった。
城から早馬が寄越された。
ユマが婚約者を無事に救出出来たのかと喜んで手紙を見ると、そこには信じられない事が書かれていた。
〔教皇様に至急、お知らせする。今、現在、王都の教会支部に向けて魔獣の群れが向かっている。その数はおそらく五十。王都前にて王家の討伐隊、並びに聖女が待ち構えるが、危険な状況の為、至急城への避難を望む。リガルティ国第一王子レナニーノ・クロ・リガルティ〕
は?
礼節も何もない、ただ事実を述べただけという様な手紙に、私は一瞬動きを止めた。
しかも手紙の相手がユマでもなければ、王でもない。第一王子という、私には一番接点がない者からの手紙。それだけでその手紙の緊急性が理解出来る。
ここはいつも私がいる教会本部ではない。王都にある教会で、本日教会の頂点でのさばっていたジュメルバ卿を裁く為、やって来た場所である。そこに魔獣の群れが突進して来ているのだと、手紙にはそう書いてあった。
嘘だろうぅぅぅ?
なんでよりによって今日なんだよ? こんな事なら本部の奥で身を潜めておけばよかった。
私がパニックになりオタオタしていると、その横から手紙を取り上げたヘルディン卿とハフル卿は、それを目にした途端、すぐに修道士を集めて皆の避難を誘導するよう命令した。
そんな二人に私は、後ろから声をかける。
「ヘ、ヘルディン……」
「しっかりなさいませ! 貴方は誰ですか? この国唯一の宗教、ウルト教会の教皇様ではありませんか。ユマノヴァ様がいつも書いていたでしょう。貴方は誰なのだと。信者を救えるのは誰なのかと」
「信者を導けるのは、枢機卿でもなければ修道士でもない。ウルト神のお心にそう教皇様、ただ一人ではありませんか。出来ますよね、キシェリ。信者を誘導するのです。すぐに信者と共に城へ避難しましょう」
私は二人のそんな言葉にハッとする。
そうだ、私は誰だ? 私はウルト教会の教皇だ。ユマの手紙にはいつも最後にお前は誰だと書かれていた。言葉遊びか? と笑って取り合わなかったが、そうか、そういう事だったのだ。
ユマはずっと私にジュメルバ卿をのさばらせていていいのかと聞いていた。それは教会の信念をジュメルバ卿に委ねてもいいのかと聞かれていたのだ。
違う、ウルト教会の教皇は私だ。教会の信念は、私が示す。
そう決意して今回ジュメルバ卿を断罪しに来たのに、魔獣の襲撃と聞いて我を忘れてしまっていた。
私はすぐに教会のテラスへと顔を出す。そこから教会の敷地はほとんど見渡せる。
部屋に置いていた声を響かせるユマ特製、メガホンなるものを取りだした。
単に紙をクルクルと巻いて、穴が開いている大きさを大きいものと小さいものに変えてあるだけのもの。小さい方の穴を口元にもっていき、私は精一杯の大声を張り上げた。
「私はキシェリ・ヌー・ウルト。ウルト教会の教皇である!」




