ジュメルバ卿の、逆襲?
どうしてこんな事になってしまったのだ。
私はあのにっくき第二王子に簀巻きにされて、今は教会の敷地にある小さな塔に閉じ込められている。
それもこれも、あのジャック・ダルマンが裏切った所為だ。
あんなにも目をかけ、昇進までさせてやったというのに、いくら心の広い私でも許す事は出来ない。恩を仇で返されたのだ。
それに教皇とは名ばかりのあのクソガキに、こんなやり方で立場を追われるなど、想像もしていなかった。
大体、教皇などお飾りに過ぎなかったのだ。貴族達が一番傀儡にしやすい馬鹿な平民を、担ぎ上げただけなのだからな、流石に貴族が教皇の名を名乗るのは、民への反感を買うだろうと思っての事。
キシェリの父親だった前教皇もキシェリ自身も、深く物事を考えない性格だったはずだ。それがこの様に私を貶めるなんて……裏で糸を引いたのは、やはりあの第二王子なのだろう。まさか十年も前から動いていたなど誰が予想出来るものか。
私は余りの悔しさに歯ぎしりをする。イテテテテ。ああ、そうだった。私はキシェリに殴られたのだ。いや、聖女イルミーゼにも。
まさか、私が聖女にしてやった貧相な村娘までもが私を裏切るとは……。
私は先程まで一緒にウルト神様に祈りを捧げていた、美しい少女の姿を思い出す。
ただの村娘だった彼女の力を見出し、聖女の地位を与え、美しく磨き上げた。薄汚れた肌はきめ細やかな肌に変わり、香油を塗りこんだ髪は艶やかに流れ、聖女の衣装も他の者とは比べようもない上等な布で作ってやった。そう、第一王子が気にかけるほど、貴族の娘にも負けない容姿を与えてやったのは、他ならぬ私だ。
その恩を忘れ、こんな形で寝返り、尚且つ私のこの美しい顔を殴るなどと、よくも出来たものだ。
全ての者が私への恩を忘れて欺き、教会を支えてきた枢機卿である私を陥れた。
私は二人に殴られた頬の痛みにハッとした。
まさか、この美貌への嫉妬だったのだろうか? どうあがいても私のように美しくなれない者のひがみと妬みが、この結果をもたらしたのかもしれない。
私は門番をしている修道士に叫ぶ。
「おい、いつまで私をこの様な状態で放置しておくつもりだ。せめてこの縄ぐらいはほどけ。頬を早く冷やさないと私の美貌に痕が残るだろう。水を持ってきたら、肌に良い化粧水ぐらい教えてやるぞ」
門番はチラリと私を見ると、ハッと鼻で笑う。私はその行動にカッとなった。
まさかこんな下っ端の修道士にまで、侮られるとは……。
私が今までどれほど教会に尽くしたと思っているのだ。私は自分の人生を、全て教会に捧げたというのに……。
もう、いい!
私を陥れた教会など、無くなってしまえばいいのだ。裏で姑息な手段を使った王族も皆、この国ごと全て滅んでしまえばいい。
私は身動きの出来ない状態から、ミノムシのようにはい回り、懐に忍び込ませておいた小瓶を破壊した。
私の重みで、小さくガシャンと音が鳴って壊れた小瓶からは、トクトクと血が流れる。私の血ではない。これは魔獣の血だ。聖女が退治しに行った際、密かに採取しておいたものだ。
魔獣は血の匂いに敏感である。自分の仲間の血を嗅ぎ分けるぐらいは出来るかもしれない。
王都の教会の塔の中、少量の血を流したぐらいでどれほど影響が出るかは分からないが、幸いにもこの部屋の窓は開いている。本日は風通しも良くこの匂いは周辺に漂うだろう。上手くいけば、一匹ぐらいはここに現れるかもしれない。
そうなれば多少の騒ぎにはなる。
聖女はここにはいない。城から討伐隊が来るまで、せいぜい恐怖に戦くがいい。
私は小さな復讐を期待して、一人ほくそ笑むのだった。
ユマノヴァが信じられない力を手に入れ、愛しい婚約者のもとへ飛び去ったのは今しがたの事。
彼が向かったのなら、この後の処理は城で行った方がいいだろう。国王にも流石に報告しないとまずいだろうしな。
ブライアンとシフォンヌ嬢も妖精達に解散を伝えながら、ユマノヴァの後を追うべく動き出した。
私は店を提供してくれた店主に礼を述べる。
「店を占拠してしまって、すまなかったな。貴方には色々と世話になった。全てが無事解決したら改めてお礼を言いたい」
「もったいないお言葉です。私など何もしておりませんが、お役に立てたのでしたら光栄です」
ゆっくりと頭を下げる店主。その物言いや仕草に見覚えがあるような気がした。
「……もしかして、私は店主にお会いした事があっただろうか?」
「一時、城に出入りを許されておりましたので、もし記憶の端に留めておいてくださったのならその時かと」
「そうか。そうかもしれないが……他に何か……。ああ、分かった。ユマノヴァが少し貴方に似ているのだ」
私はポンッと手を鳴らす。
そうだ、ユマノヴァが殊更丁寧に会話する時の仕草と口調に似ているのだ。
「ハハ、ユマノヴァは貴方の真似をしていたのだな。王族にはあいつの手本となる人物がいなかったとみえる」
「滅相もございません。私など、ユマノヴァ様の手本になるような人間ではございません。ユマノヴァ様はお小さい頃から優しく優秀な方でございましたから、自然と身につけたものでございましょう」
「そうだな。そういえば母上もおっしゃっていた。あいつには自分がどんな行動をとっても許してもらえる、そんな安心感を与えてもらえるのだと。私はそれを疎ましく思っていた。何故、王族の男子たる者が女性に媚び諂うのだと。今なら分かるが、それは単に私の嫉妬だったのだな。貴方を見ていても納得する。物腰の柔らかさを表に出せるのは、優秀さの証拠だと。馬鹿な者ほど、虚勢をはるのだ」
私がそう言うと、店主は少し困った表情をする。
この国の男達の根底にあるものを覆す言葉だ。肯定も出来ないし、また否定すればユマノヴァを貶す事になる。つくづく優秀な御仁だと感心する。
「足が悪いとユマノヴァに聞いたのだが、貴方のような方にはまた城に出入りしてほしい。ああ、いや、これが悪いのだな。私が貴方に会いたいのであれば、自分が赴けばいいだけの事。また店に寄らせてもらってもいいだろうか? ここはイルミーゼと想いを通じ合えた思い出の場所でもあるのだし」
そう言うと、店主はにこやかに「光栄でございます。お待ちしております」と恭しく頭を下げた。
ユマノヴァが好んで城の外を出歩くのがよく分かる。
私は魔獣の討伐に城から出る事はあっても、それはあくまで第一王子として職務を全うするだけの事。ユマノヴァのように知識を広めたり、人々と交流をもったりなどした事がない。それではユマノヴァの知識に到底及ばないのも頷けるというものだ。
私もユマノヴァのように努力が必要だ。これからは少しでもいい。このように人々との交流をもってみたいと思う。
店主の笑顔に私も笑顔を返す。そんな穏やかな空気の中、イルミーゼが突然、嘘でしょう? と驚いた声を上げた。
私が振り返ると、妖精が見えるブライアンと妖精の気配が分かるシフォンヌ嬢まで驚いた表情をしている。確実に妖精達が何か異変を伝えたのだろう。
「どうした、イルミーゼ? ブライアン、報告しろ!」
状況の見えない私が叫ぶと、ブライアンは「報告します」と言って、私の前で胸に片手をあてる。
「妖精達が危険を知らせています。魔獣が、この王都に向かっているそうです」
「……な、んだと?」
「場所は……うん、ありがとう。今はまだ王都には到着しておりませんが、それも時間の問題かと。その方向には教会の王都支部があるそうです。今あそこには教皇様がいらっしゃいます。このままではかなり危険かと」
私達、妖精が見えない者達がその報告に驚く中、ブライアンは顔を蒼ざめさせながらも冷静に妖精の言葉を私に知らせようとする。イルミーゼも私に駆け寄って来る。
「レナニーノ様、あそこには沢山の修道士が住んでいます。それにその近辺には信者達の町も……」
私は妖精の言葉が分かる二人に、少しでも妖精から情報を与えてもらえるように頼む。
「魔獣はどれ程だ? 正確な数は分からないか?」
「正確な数は……そばに寄れない為、分からないそうです。それに移動する間にも数を増やしているようで、かなりの数に膨れ上がっている様です。五十はいるかと」
なんだ、その無茶苦茶な数は……。私は初めての魔獣の大群に驚くしかなかった。
魔獣と一言で言っているが、その姿は色々だ。狼のような四つ足の獣もいれば、蛇のようなものもいる。だが全ての魔獣が人よりも圧倒的に大きく、下手をすれば民家など片足で潰せるようなものまでいる。
そんな魔獣相手に王族は、国中を駆け回り退治してきたのだが、魔獣は群れを成さない為、そんな数の魔獣には遭遇した事がない。多くてもせいぜい三匹くらいだ。それを力技で仕留めてきたのである。
「すぐに城に戻って魔獣討伐隊を出動させる。ネビール、お前は先に戻ってこの事を国王に知らせろ、兵士達は町を守れ。用意出来た者次第、行動しろ。急げ!」
私の命令に、皆が一斉に動き出した。
私はブライアン達に向き直る。
「悪いがこういう状況だ。アリテリア嬢ならユマノヴァが向かった以上、あいつが必ず守り抜く。だから彼女を迎えに行くのは断念してもらいたい。そしてブライアン、ユマノヴァがいない今、お前にはここで手伝ってもらいたい。シフォンヌ嬢と店主は一緒に城へ行こう。そこが一番安全だ。イルミーゼは……」
「私を魔獣討伐隊に入れてください。パッションも一緒に行ってくれますから」




