ユマ様に求めるものは
「……何から話してどう言えばいいのか分からないけれど、とりあえず。ディリア様が今は普通の心理状態だという事、知ってます?」
「……私の生い立ちを聞いて、やはり貴方の関心事はそこなのですね」
「もちろんです。ディリア様とはお友達ですもの」
私は長い長い彼の話を大人しく聞いていたのだけれど、どうしてもそこが気になってつい声をかけてしまった。
ディリア様が元はどういう女性だったのか、私には分からない。けれどユマ様の執務室で叫んでいた姿は、とてもまともには見えなかった。それでもそんな状態の彼女にユマ様は根気強く話しかけ(途中魔法で脅しをかけていた姿もあったが、そこは問題なし)スープレー公爵の気持ちを知った彼女は、我に返った。ちゃんと話が出来る状態になったのだ。その後私達は友達になり、少しだけ手紙のやり取りをしたが、その文章からは彼女の落ち着いた状態が分かって、私は本当にホッとした。
ジャクエルからの話に出てくるディリア様は、なんていうか全てを諦めた生気のない人物に思えた。だけどそれでも、あの時執務室で見た彼女よりはまともだったはずだ。それをあのようにしたのは、この声の持ち主、ジャクエルなのではないのか。
だから私は話が出来る状態になった彼女と、ちゃんと話をしたのかが気になったのだ。お腹の子は間違いなく彼の子なのだから……。
ジャクエルはちょっと驚いた感じの声を出していたけど、すぐに気持ちを入れ替えたのか、フフっと笑って「もちろんです」と言った。
「彼女が領地に旅立つ最後の夜、どうしても我慢できなくてつい顔を見に行ってしまいました」
馬鹿ですよねぇ。と言うジャクエルは、とても穏やかな声をしている。
「彼女は今までのような虚ろな目をしていませんでした。私が窓から姿を現したら流石に驚いてはいましたが、よく屋敷の者に見られなかったわねと感心していました。そしてその後、私は初めて彼女の本当の笑顔を見たのです」
「今更なんの用かしらと言いたいけれど、最後に顔を見られて少しだけ安心したわ。貴方はどうせ破滅の道をたどるのでしょう。いいわよ、好きになさい。私は貴方に未練など少しもありはしないもの。ただ一つ、この子を与えてくれた事にだけは感謝してあげる。私はこの子をしっかり育てて、お父様と三人で楽しく暮らすのよ」
「……何かありましたか? 貴方のそんな表情、初めて見ました」
「フフ、内緒。と言いたいけれど、貴方を悔しがらせたいから教えてあげる。ユマノヴァ様と婚約者のアリテリア様のお蔭。お父様の本当の気持ちを教えてもらったの。それから友達にもなってくれたわ」
「……君は半狂乱だったんじゃなかったのか?」
「そんな私に貴方は気付いていて、見捨てたものね。まあ、もうどうでもいいけど。ユマノヴァ様は、私がスズランを好きだって知っていてくださってたの」
「え?」
「誰も、私でさえ気付かなかった事に気付いてくれていたの。私に歩み寄ろうと努力してくださっていたのよね。貴方に分かる? 興味のない人間をずっと見ているなんて、私には絶対に出来ない。けれど彼はそれを普通に、当たり前のようにしてくれていたのよ。そんな方を目の前にして、いつまでも拗ねていたらこの子に笑われちゃう。私はお母様だもの」
「そう言ってお腹を触る彼女は、私の母のような笑顔でした。ですから彼女はもう大丈夫だと。私などいなくても彼女は立派に母親として生きていけると思いました」
ジャクエルの声には愛しさが込められている。何よ、何でそんな声でディリア様の話をするのよ。
私はムッとして、ジャクエルに言い返す。
「それはちょっと勝手じゃない。そんなに大切なら、どうしてそばで守ってあげなかったのよ」
「私などがそばにいたら、彼女は苦しいだけですよ。今もきっとまともではいられなかった。私が離れたから、貴方方に助けてもらえたんです」
それは結果論だわ。あの時、ディリア様がユマ様の執務室に現れなかったら、今もまだディリア様は苦しんでいた。それでも貴方は放っておいたの? ジュメルバ卿に復讐する為に……。
彼がジュメルバ卿を潰す為に動いていた事ってなんだったんだろう? 今、私をここに置いている事と何か関係があるのかしら?
「……そこまでして、貴方がしたかった事って、何?」
考えても分からない。私は素直に聞く事にした。
「フフ、本当に貴方は素直な人だ。申し訳ありません。私も本来はその話をするつもりでした。前置きが長くなりましたね。誰かに全部聞いてもらいたかったのかもしれません」
「ユマ様に聞いて欲しかったんでしょう。でもそんな機会があるか分からないし、私に話してちょうだい。多分、今この状態と関係しているのでしょう」
「……流石、ユマノヴァ様の婚約者だ。貴方も素晴らしいご令嬢ですね。感謝いたします」
私が本当はジャクエルがこうして会話をしたかったのはユマ様なのだろうと言うと、彼は否定しなかった。そう言う事なのでしょうね。
きっと彼はユマ様の姿を見た時から、辛い気持ちを暴露したかったに違いない。助けを求めていたのだろう。
だが、いくら優しいユマ様だって目の前にいない者を救う事は出来ない。彼がユマ様の前に現れていたなら、もしかして状況は変わっていたのかもしれないが。
ユマ様がもうすぐ来るというのに、ジャクエルに逃げる気配はない。
彼は色々な事を諦めている。
大切なディリア様まで傷付けて、それでもジュメルバ卿に一矢報いる為にこうして私を、ユマ様を敵に回してまで事を成し遂げようとしている。
彼の話は今ここで、私が聞いておかなければいけないだろう。事実を知る為にも。
そう思っていると、隣室の扉がゆっくりと開かれた。現れたのはジャクエルだろう。
ディリア様の言っていた通りの容貌だが、ただ一つ違っているのはその瞳に光がある事。
彼は、自分が思い描いていた通りの復讐を成し遂げられたのだろう。
ジュメルバ卿を皆の前で失脚させた。
ジャクエルは、うっすらと口角を上げる。笑っているのだろうが、長年まともに笑っていなかったのだろう。その笑顔は歪なものになっている。
「もう私の前に現れてもいいの? 魔法でやっつけられるとは思わないの?」
「不快な姿をお見せして申し訳ありません。ですが、もう大丈夫です。貴方は私の話を聞いて、それでも攻撃してくるような方ではないでしょうし、攻撃をされたとしても私は構いません。万が一ここで貴方に命を奪われても、私は本望です」
「勝手に狂暴な女みたいに言わないで。人の命なんて奪えるはずないでしょう。まあ、貴方が私に危害を加えてくると言うなら、全力で力を使うけど」
「フフ、私はこれ以上貴方に近寄りませんよ。貴方はここで私の話を聞いて、ユマノヴァ様のお迎えを待っていてくださればいいだけです」
「では、話して。今度はちゃんと最後まで聞くから」
そう言って、ジャクエルは近くに転がっていた椅子を引き寄せ座り込んだ。私にも近くの椅子に座るよう促す。
咄嗟の場合に逃げ出せないから嫌だと言うと、ジャクエルは笑った。先程よりは慣れた笑顔で。
「私が願ったのは、ジュメルバ卿の教会信者の前での失脚です。そしてジュメルバ卿と同じように悪に染まった教会内部の者の居場所を奪う事です。先程も話したようにジュメルバ卿はもちろんの事、教会内部にも腐った者は溢れかえっていました。そこで私がしていた事は、教会の名簿を調べ、ジュメルバ卿の罪はもちろんの事、悪に染まった者の情報を全て調べる事でした。途方もない修道士と罪の数々に私は心が折れそうになりました。そんな時、私は一枚の手紙を見つけたのです」
それは教皇様をお守りする為だけに存在する聖騎士と呼ばれる者、十名の内の一人が馬で城に向かっている姿だった。
私はちょうどジュメルバ卿の悪事を調べる為に教会本部へと向かう途中だった。
騎士は私が修道士だと気付き挨拶をかわしに近寄ってくれたが、ちょうどその時、商人の馬車が横転したのだ。
幸い怪我人はいなかったが、荷物が散乱してしまっている。荷物をどうにかしないとその道は通れそうになかった為、私と騎士は片付けに手を貸した。
その途中、馬が騎士の胸元に顔を近付けた。まだ興奮していたのだろう。騎士が馬を落ち着かせようとしている横で、一枚の手紙が懐より落ちた。私が拾い上げるとその手紙は破れて中身が見えていた。
そこにはうっすらとジュメルバ卿の名が記されていた。
私は何か悪事に加担している奴の情報はないかと、そっとその場から離れて近くの茂みに隠れ手紙を読んだ。
それは恐れ多くも教皇様の直筆の手紙だった。そして驚くべき事にユマノヴァ様に当てたものだったのだ。
何故、教皇様がユマノヴァ様に? まさかあの人のよさそうな第二王子を教会が利用しようとしているのか?
教皇様の手紙を読んだ事が知られれば、どんな処罰を受けるか分からない。だがそんな事はどうでもいい。私は慌てて内容を読み進めていった。
――私は己の浅慮を恥じた。
ユマノヴァ様はただの優しい人のよい方なだけではなかった。ジュメルバ卿の悪事に気付いていたのだ。そして教会の腐敗にも。だが、それは王族も同じ。綺麗事が通じない場面も知っている。それを全て公にする必要はない。しかしながらジュメルバ卿のやり方には放っておけないものがあると提示していたようだ。
そしてそれを教皇様、自らが気付く様にと促している。その返答に教皇様は、それでも証拠がない以上、詰め寄る事は出来ないと返している。
そう、私が集めている証拠だ。
片付けが終わり商人が去った後、私は教皇様の手紙を読んだと聖騎士に告げた。
騎士は教会本部へと私を連れて行った。そこで私はどんな処罰でも受け入れるから、一目教皇様に会わせてくれと懇願した。
そしてお会いした教皇様は、私とそう年齢の変わらない少年である事に驚いた。
そこで私はやっと理解したのだ。ジュメルバ卿が年若い教皇様を出し抜いている事に。そしてユマノヴァ様はそんな教皇様の身を案じているのだと。
私はジュメルバ卿の今まで集めていた罪の証拠を、教皇様にお渡しする事にした。
私は彼が手にかけた修道士を片付けて以来、ジュメルバ卿の信頼を得ている。ジュメルバ卿の金の流れが綴られた裏帳簿を手にしているのだと伝えた。修道士を手にかけた際のナイフも持っていると。
そして何故そのような事をしていたのか問われたのには、ジュメルバ卿に脅されていたと嘘を吐いたのだ。




