振り出しに戻る
「……信じられないかもしれないが、っつ、今回私は本当に何も知らないのだ。確かに、その、アリテリア嬢を隙があれば攫えと、いたた、信者に命令していたが、彼らは、くっ、私の元にはやってきていない。アリテリア嬢が攫われたなど、今初めて耳にしたのだ」
ジュメルバ卿のアリの行方を知らないというのは、どうやら本当の事らしい。
目の前の聖女に殴られて頬を腫らした元イケメン? らしいおっさんは、前歯が欠けてしまっている。所々苦痛をもらす言葉に、流石に嘘はないだろうと判断する。
「そんな……じゃあ、アリテリア様は……」
アリの行方がジュメルバ卿の預かり知らぬ事と知った聖女は、顔を真っ青にしている。
そんな聖女をパッションが必死に慰めている。
俺は思考を巡らせる。ジュメルバ卿が知らないのであれば、後は……。
「何か心当たりはありませんか? 例えば修道士ジャック・ダルマンが関わっているとか」
「何故、ジャックを知っている? いや、確かにジャックは何かを企んでいたようだが……そういえば、廃墟に連れて行くと言っていた。ゴロツキに襲わせれば醜聞になるからと」
ハッとしたジュメルバ卿は、ジャックとの会話を思い出したようだ。俺はその言葉に眉を顰める。
「ゴロツキ? ですが攫ったのは信者ですよ。それはハッキリしています」
「いや、しかし奴はそう言った。醜聞になった令嬢を第二王子は娶れないから、その時私が手を差し伸べてやればいいと」
ジュメルバ卿は、その時の会話を思い出しながら話す。気分の悪い計画だ。しかし……。
「必ず醜聞になると思いますか? 私がそれで諦めると言い切れますか? その間に聖女が兄上と結婚する為に、教会を去るかもしれない。彼女が確実に一人になるまで、どれほどの日数がかかるとお思いですか? 貴方はその期間、ずっと大人しく待っているつもりだったのですか?」
「え、いや……」
そう言ってやると、ジュメルバ卿はハッとした顔になる。やっと気付いたか。そんな計画、穴だらけなんだと。
「結果的には信者が町ぐるみで行動しました。それほどの信者を動かせられるのは貴方だけ。黒幕は貴方だと罪だけは明確にして、彼女は連れ去られました」
現実に顔色を変えるジュメルバ卿。俺はそんな彼にわざと憐みの表情を向ける。
「――利用されましたね」
俺の言葉に、ワナワナと体を震わせるジュメルバ卿。
裏切られたのだ。教皇を、教会を裏切った自分の様に、今まさにジュメルバ卿は信じていた修道士に裏切られたのだ。
そして、その罪だけを自分に残して……。
「何も知らない貴方に、もう用はありません。後は教会の内部事情です。私はここで失礼いたします」
アリの行方を知らないのであればこのおっさんに用はないと、俺はその場を去ろうとした。
「ユマ、ジャックって……」
途端、キシェリが俺に待ったをかけてくる。
「ああ、ちょっと怪しい修道士がいたもんでね。ジャック・ダルマンって、知らないか?」
キシェリは顎に手を添えると、信じられない言葉を口にした。
「似たような名前の奴なら知っている。今日、ジュメルバ卿の悪事を暴くのに一緒に証拠を集めてくれた修道士だ」
「は?」
俺はキシェリの言葉に目を見張る。まさか奴が……いやいや、それはありえないだろう。それにもしも奴だとしても、どうしてそんな事をする必要がある?
奴が恨んでいるのは王族なのだから、そんな事をする必要は全くないはずだ。
俺は首を振り、奴とは別人だと解釈してキシェリに情報提供の礼を言う。
「せっかくここまで来たのに、なんの情報もなくて悪かったな。僕からも今すぐに信者にお触れを出すよ。アリテリア様を攫った事件に関与した者、情報がある者はすぐに名乗り出る様に。シフォンヌ嬢の行方も」
「感謝する」
キシェリが教会を動かしてくれると言うので、俺はありがたく受け入れる。一刻も早く二人を助けたい。兵隊だろうが妖精だろうが信者だろうが、使える者は全部使う。
それでも二人に何かあったら、その時は……。
「ユマノヴァ様、私も何か役に立つかもしれません。一緒に連れて行ってください」
聖女が自分も連れて行けと名乗りを上げる。
「危ないよ。それに何かあれば、俺は一番にアリを優先するよ」
聖女まで守れるかどうか分からないと言うと「常に魔獣と対峙している女を舐めないでください。それにいざとなれば私にはパッションが付いていますので」と胸を張って言った。
パッションが頬を痙攣させる。妖精にそんな表情をさせる聖女。流石だ。
「一度雑貨屋に戻るよ。何か情報が入っているかもしれない」
そう言って俺は、聖女と二人で雑貨屋に戻る。
馬車では聖女と二人(ティンとパッションはいるけれど、周りの者には見えない)になってしまうから、窓をしっかり開けておく。やましい事は一切ありませんよと。
ああ、でもこんな事ならば鬱陶しいけれどネビールでも連れて来たら良かった。
少しの後悔と共に、兄上から何かしらの情報が雑貨屋に届いている事を期待しながら、焦る気持ちを必死に押し殺す。
正直、ジュメルバ卿に会えばアリを取り戻せると思っていた。渡さなければ教会をぶっ壊してでも取り返すと。
だが、アリはいなかった。おっさんも知らないと言う。事態はますます悪い方向へと進んでいる。
ジャック・ダルマン。本名はジャクエル・カエン。
奴はディリア嬢を俺の婚約者というだけで、手を出して捨てた男。最低最悪な奴だ。
そんな奴がもしかしたらアリを攫ったのかもしれないと思うと、俺の心は焦燥感でいっぱいになる。
俺は先程のキシェリとの会話を思い出す。どう考えても別人だとは思うものの、何かが引っかかる。奴は一体、何を企んでいる? 奴の本心は?
俺がグッと両手を握ると、ティンがその手を抱きしめる。
心配そうに見上げるティンに、俺は苦笑する。
「ごめん、ティン。俺の顔怖かったか?」
そう言うとフルフルと首を振り、俺の肩に移動すると首を両手で抱きしめてくれる。
その温かさにフッと心が落ち着くのが、自分でも分かった。
「……もしかして、ユマノヴァ様も妖精が見える様になってます?」
そんな俺達の姿に聖女が確かめてくる。
「こんな事態になってしまったからね。ティン達が協力してくれているんだ。でも見える様にしてくれたのはパッションだよ」
「え、パッションってそんな事も出来るの? だったらレナニーノ様にも見える様にしてくれたらいいのに」
やはり聖女というのは素直な者なのかな? でもちょっと物事は考えて言った方がいいよ。ほら、パッションの口元が痙攣している。
「今は緊急事態だから仕方なくだよ。もしかしたら俺も、アリが無事に帰ってきたら見えなくなるかもしれない。でもそれでいい。ティンはアリが、パッションは聖女がそばにいて気にかけてあげたらいいと思う。俺は皆の存在を感じられればそれでいいかな」
「……ユマノヴァ様って、大人ですよね。私より年下のはずなのに。やっぱり王族だからですか?」
いえ、二十九歳の記憶があるからです。とは流石に言えない。
「そういえばこんな状態だけど、いや、だからかな。君にはちゃんとお礼を言っておかないといけないと思っていたんだ」
俺は聖女と二人という事に改めて気付いて、パッと居ずまいを正す。
「え? え?」
そんな俺の行動に目を丸くする聖女。
「イルミーゼ嬢、パッション、君達には魔獣が倒せる力があるからといって今までなんの対策も立てず、魔獣の矢面に立たせてしまっていて、本当にすまなかった」
俺が頭を下げると、聖女とパッションは驚いて固まってしまった。
「本来なら魔獣を倒すのは俺達、王族の仕事なんだ。もちろん、こちらはこちらで対処もしてきたが、君達が出なくてすむ様に徹底的に対処しなければならなかった。教会の、いや、ジュメルバ卿の思惑は別として、君達が出なければならない事自体、問題なんだ。行き届かなかった事、本当に申し訳ない。……怖かっただろう」
そう言うと、呆気に取られていた聖女の目はウルウルと潤み、そのまま大粒の涙となって流れ出した。
「こ、怖かった。本当は……ずっと、嫌だった。なんでこんな力使わないといけないんだろうって……。魔獣が向かってくるのも……魔獣が倒れている姿も……怖くて、逃げだしたくて。それでも後ろには信者がいて、村の人々がいて、私を逃さない様に見張っていて……その姿も、本当は怖くて仕方がなかった」
俯いてボロボロと涙を零す聖女にパッションは、どうしたらいいのか困惑しているようだ。
「それでも、それでも、パッションと出会えた事は嬉しくて、このままずっと一緒にそばにいたくて……でも、パッションといるという事は、このままずっと魔獣とも対峙しなくちゃいけなくて、それも怖くて……私……」
「パッションといる事は、魔獣と対峙する事とは別の事だよ。ごめんね。勘違いさせてしまっているよね。パッションも力を使わないと、聖女が死んじゃうと思ってずっと頑張ってきたんだよね。本当にごめん」
俺が頷くと、聖女の涙は決壊が壊れたかのように膨大に流れる。
「うっ、えぐっ、えぐっ。私、パッションと、ずっと、一緒にいられる? 魔獣と、対峙、しなくても、いい日が来る?」
「うん、対処が遅くなったけれど、このまま兄上と結婚してくれたらいいよ。後は兄上と俺がなんとかする。兄上は頼りになるだろう」
「うん、うん、ありがとう。ユマノヴァ様も頼りになるね」
「あ、それは兄上の前で言わないで。ヤキモチやかれちゃうから」
泣いたカラスがもう笑う。いっぱい泣いてスッキリしたのか、聖女は俺が渡したハンカチで盛大に鼻をかむと「絶対にアリテリア様を取り返す」と鼻息を荒くした。
うん、そのハンカチはあげますので、返さないでください。




