ジュメルバ卿は縛っておこう
「な、何をする。私が誰だか分かっているのか? って痛い、痛い。こら、やめないか。イテテテテ」
一夜明けた快晴の朝、教会の王都支部中央の礼拝堂では、ジュメルバ卿の情けない悲鳴が響き渡っていた。
ウルト神像が祀られたこの場所には、信者を含め修道士が今日もお勤めの祈りを捧げていた最中である。
そんな中、俺はツカツカと祭壇中央で聖女と共に祈りを捧げていたジュメルバ卿に近寄ると、有無を言わさず縄で縛りあげた。
それは本当にあっという間の出来事で、皆その光景を口をポカ~ンとあけて見ていた。
しっかりと身動きが取れない様に簀巻きにした俺は、手の平をパンパンと叩き、ジュメルバ卿をゴロンと転がす。
「とりあえず逃げない様に縛らせてもらいました。では、本題に入りましょう。アリはどこです?」
「は? 何を言っているんだ、君は……って、お前はユマノヴァ!」
「はい、この国の第二王子でアリの婚約者のユマノヴァ君ですよ。アリを返してもらえますか、このロリコン」
「ロリってなんだ? なんだか分からないが嫌な響きだな。それよりも君は何を言っている? アリテリア嬢がどうしたと言うんだ?」
「往生際が悪いなあ。皆の話をまとめたら君が黒幕なんだから、正直に話してよ」
ずいっと縄で拘束されたジュメルバ卿の前に進み出たのは、銀髪の少年。
「キ、キシェリ様? 何故ここに?」
ジュメルバ卿は彼を目にした途端、目を大きく見開きここにいるはずのない教皇の名前を口にする。
教会に集まっている人々が、一斉に息を呑む。
そう、町の雑貨屋にみすぼらしい馬車に乗って現れた少年こそが、この国の唯一の宗教、ウルト教会の教皇様。
御年十六歳。まさに俺と同じ年の若き三代目教皇、キシェリ・ヌー・ウルト。その人であった。
彼が白のローブをバサリと脱ぐと、ウルト神官の最高者だけが身につけられる紫の神官服が現れた。首には大きな教皇の印である赤と紫の首飾りを身に着け、威厳たっぷりに胸を張る。
俺が教皇だ! と言わんばかりのその態度に、俺は内心クスリと笑う。変わらないな、こいつは。
まあ、彼が一緒だったからこそ俺はここまで止められる事無く一気に進み、ジュメルバ卿を簀巻きに出来た訳だけど。
一斉にひれ伏す修道士と信者達。本来なら王子である俺にもその態度をしないといけないんだけどね。どうでもいいけど。
そんな信者達に片手を上げて、顔を上げろと言うキシェリ。そして再びジュメルバ卿に視線を送る。
「私はね、君に裏切られて心底悲しいんだ」
「わ、私が何を? 私は貴方様の為に必死でこの身を捧げてきました」
キシェリが転がされたジュメルバ卿の目の前で、悲しそうに手を目元に持っていく。キシェリお得意の泣き真似だ。
ジュメルバ卿は教皇に裏切られたなどと言われ、慌てている様子だ。うん、やましい事山盛りですって態度だな。
「ジュメルバ卿、貴方は今までキシェリ様を教会の本部に閉じ込めて、王都で権力を欲しいがままにしてきましたね。私達はすっかり騙されていました。ユマノヴァ様に現状を聞くまで、ずっと貴方を信じていたのに……」
キシェリの後ろから、ジュメルバ卿と同じ神官服に身を包んだ青年が二人、ギリッと奥歯を噛み悔しそうな表情で現れた。
俺が会長に手紙を渡してくれるよう頼んだヘルディン卿とハフル卿。
彼らはジュメルバ卿と同じ、教皇様を補佐する枢機卿である。その中でも年若い彼らは、まだ幼い教皇様のお守りも兼ねてずっとそばで支えてきた。
ジュメルバ卿にとっては、邪魔でしかない存在。
キシェリはジュメルバ卿より彼らの意見を優先する。当たり前である。ずっとそばで過ごしていた彼らを信じなくて誰を信じるというのだ。
私は以前より、王族よりも教会こそが権力を持つべきだと考えていた。
魔獣を力でのみ倒す脳まで筋肉で出来た様な王族が他国と揉めた場合、すぐに戦争へと発展してしまう恐れがある。
魔獣を己の腕一本で倒す様な王族である。無論簡単には負けないだろう。だが、それで傷付くのは民だ。国土を広げても民が疲弊しては本末転倒である。
教会は民に寄り添うもの。教会は民を救う為にも、王族より確かな権力を手にするべきだ。というのが私の持論であった。……もちろん、建前である。
私ことダルトア・ジュメルバは同じように枢機卿であった父親に、欲を植え付けられた人間である。
教皇様を上手く利用すれば、権力は自ずと手に入る。
父親が亡くなりジュメルバ卿の後を継いだ私は、父親と同様に欲にまみれた貴族を手なずけ、他宗教を追いやり、ウルト神だけを崇める様に仕向けた。
だが、それだけでは今までと同じ。父親の真似をしている事になる。
そんな中、王族に天才といわれるレナニーノが誕生した。
幼少ながらその才能はいかほどかと、民の心は次第に教会より王族へと傾いた。
これでは父親の時代より教会の立場が落ちてしまう。焦った私は次代の教皇、キシェリを利用しようと考えるが、キシェリには腹心の若い枢機卿が二人も付いている。
その上、何やら王族とも繋がりを持ってしまったのか、王族と教会で力を合わせ、民を幸せに導けるといいなと言う。
何を呑気な事を……。所詮、甘やかされたお坊ちゃま。私の邪魔をするなら、彼には教会の奥深くに引っ込んでいてもらおう。
表舞台は私が全て取り仕切る。
言葉巧みに教皇と側仕えの若い枢機卿を騙した。王都では王族が教会を目の敵にして争いが絶えない。落ち着くまで教皇様は決して王都に近付かない様に。それ以外の場所も自分が指示する以外は出向かない様にと、言い含めたのだ。
それほど危険な状態なのかと、若い枢機卿の二人は震撼したが、教皇様は首を傾げていた。
「手紙にはそんな事一言も」と何やら呟いてはいるが、ジュメルバ卿にはジュメルバ卿の考えがあるのだなと笑って、大人しく言う事を聞いてくれた。
いつしか裏の教皇、表のジュメルバ卿と呼ばれる様になった。
やっと手に入れた地位。私は枢機卿の一人にすぎなかった父親よりも上に立てたのだと誇らしくなったが、目の上のたん瘤、レナニーノ王子が頭角をますます上げていった。
そんな時に見つけた聖女イルミーゼ。
これも利用出来ると喜んだが、王族までイルミーゼに目を付けた。
婚姻という生涯手出しが出来ない状況で、聖女を完全に手に入れようと画策するレナニーノにどうしてやろうかと悩んでいる時に、またもや神は舞い降りた。
聖女と同様の力を持つ少女が、目の前に現れたのだ。
今度は王族にとられない様にと、婚姻を申し込む。自分の容姿を最大限にいかして。だが小娘は無礼にも断ってきた。この容姿の何が気に入らない?
どこにいても皆の注目を集め、全ての信者が頬を染めて見惚れるほどの私の容姿が、小娘には受け入れられない。ありえない。
確かに歳の差は……少しあるかもしれないが、それを補って余りあるほどの美しい自分が小娘の興味一つひけないとは……小娘は目が悪いのかもしれない。昔は病弱だったと聞いたしな。
思った以上に娘は子供なのだと、逃げられたら元も子もなくなると、大人の包容力を見せつける為にも暫く待つと口約束したのだが、どういう訳か今度は第二王子、ユマノヴァと婚約するから諦めてくれと返事がきた。
いつの間に?
慌てる私に側仕えの修道士が囁いてきた。
彼女を攫おうかと。
今はまだ、婚約者であって正式に婚姻した訳ではない。結ばれる前に彼女を攫い、私の元へ連れて来ると言った。
彼女が手に入りさえすれば、自分の教会でのこの地位は約束されたも同然。
王族よりも権力を手にした教会でトップを取る。それは実質、王と同じ存在となる。
それこそが私の本来の目的。
だが、今目の前の現実はどういう事だ?
ユマノヴァが自分を簀巻きにして、キシェリが自分を裏切ったと目の前に現れて暴露を始めた。
それは自分達を騙し教会の奥深くへと閉じ込めたまま、教会を己の野心の為に好き勝手してきたダルトア・ジュメルバの罪の証拠を朗々とあげたものだった。
戸惑っていた信者の目も、次第に変わっていく。
憧憬にキラキラと輝かせて自分を見ていた彼らが、軽蔑を込めた憎しみともとれる目で睨みつけているのだ。
いつの間にこんな証拠を調べたのだ。自分でも忘れていた様な小さなものまで。
いや、ここで認めてはいけない。そんな事をすれば自分の今までの苦労は? 築き上げた地位は? 権力は? 全て失う。
「お待ちください、キシェリ様。それは何者かが私を陥れようと画策したものでございましょう。私にはやましい事など一切ございません。教会で生を受け、枢機卿の父の背を見つめ、教会へ身も心も捧げつくした私をお疑いになるのでしょうか? それは余りにも酷い仕打ちではございませんか?」
私は必死で訴える。なんだかんだとキシェリは甘い。キシェリの足りない部分を私が補ってきた事実は認めているはずだ。そこを突く。
「お忘れですか、キシェリ様。幼い頃は私と一緒にお勉強をして、一緒に民を幸せに導こうと約束したではありませんか。それなのにそんな本当か嘘かも分からない証拠に振り回されて私をお疑いになるとは……。そもそもそんな物、どこで手に入れたのですか? あ、もしやそこにいる第二王子ではないでしょうね。彼は女癖の悪いお調子者と評判の出来損ない王子ですよ。そんな奴の言う事を真に受けるとは、やはり貴方にはまだまだ私が必要のようだ。そこにいる枢機卿では若すぎて、人の善悪が読み取れないとみえる。私のように、へぶっ!」
なんだ、何が起こった? 右頬に鈍い痛みが走ったが、まさか……?
そっと上を見上げると、そこには笑顔の教皇様が膝を折り私を見下げている。
「私の記憶を改ざんしないでくれる? 一緒に勉強していたのはヘルディン卿とハフル卿。民の幸せを一緒に願ったのは、そこにいるユマ。私の親友の第二王子だ」
「へ?」
「因みにユマは女には一途だし、真面目な奴だぞ。だからこうしてお前に攫われた婚約者を探して必死なんだろう。お前の情報は私より悪いな。それで人の善悪をどうこう言われたくない。老害は黙ってろ」
もう一度、拳を振り下ろす。へぐっ!
どうやら私の頬をキシェリが殴ったようだ。わ、私の美しい顔になんて事を……。
いや、待て。今なんか聞き捨てならない言葉を聞いたような……親友? は? 誰が誰と?
私はそ~っと二人を見上げた。
「私とユマは十年前から親友だぞ」
――終わった……。




