俺が悪者です
ずっと黙って聞いていたブライアンが、令嬢では話にならないと悟りディリア嬢の侍女に話をふる。
彼は今にも令嬢を切りつけそうな凶悪な表情で睨みつけながらも、どうにか冷静さを保とうとしているようだ。自分の腕を必死で押さえている。
そんな殺気を直接ぶつけられた侍女は、ブルブル震え腰を抜かしてしまったように、その場にヘタリと座り込む。そうして必死で否定をするが、その声はどうにか聞き取れるよう小さなものだ。
「い、いいえ、いいえ。私は、何も……」
「では、令嬢一人の問題だ。正直ユマノヴァ様を馬鹿にして脅すような発言は許せないが、これから令嬢は自身の軽はずみな行動で罰を受けるだろう。こちらからの擁護はないと考えよ」
ブライアンはディリア嬢を睨みながらも俺の心を読んでくれたのか、この場での俺に対しての無礼な発言は問題にしないと言葉にした。
なんだかんだとブライアンも優しい奴だ。流石マァムの息子。
「ユマノヴァ様!」
ディリア嬢はそんなブライアンの優しさが分からないようで、尚も俺に助けを求めてくる。困ったなあ。仕方がないから奥の手を出そうか。
「こちらからは一切問題にしないと言っている時点で引いてくれないかな? 知ってる? 君のここでの発言は、書記官が全て文章にして残しているんだよ。私はわざわざこれを公にしないと言っているんだ。けれど王をはじめ、重鎮達はこのやり取りを知る。これが王族。私的空間なんて存在しないからね。君はそういう者の婚約者でいた事をもう少し理解するべきだった。まあ、今更言っても遅いけれどね」
そう言ってチラリと扉付近に目をやる。一人の青年が何かを必死に書き留めている。
ディリア嬢の白い顔は、ますます白くなっていく。
「人払いをお願いしたはずです。私とのやり取りを書記官に記させていたなんて……なんて酷い。ユマノヴァ様が拒否なされば、わざわざ書き残す事などなかったのではないですか」
それでも発言をやめない彼女を、俺は倒れないといいけどなと、どこか他人事のように見ていた。
けれどここで俺が言い淀んでしまうと、彼女は変に誤解する。これ以上勘違いされても困るから、言うべき事はちゃんと言っておこうと思う。
「そうだね。けれど書き残されて困るような深い会話、私達は今までした事ないじゃない。だから今回も人払いはしたが、書記官は残した。ただそれだけの事だよ。酷いと言うけれど、その事に今まで気付かなかった君も悪いんじゃないかな?」
あんなに堂々と近くで書き記しているのに。と書記官の方を指さすと、彼女はガバッと彼を見た。彼女と目が合い普通に会釈してくる書記官に、彼女は信じられないというように驚いている。
え、そんなに吃驚する? あんなに堂々としている書記官、他にいないよ。まあ、堂々とし過ぎて反対に俺が興味をもって、彼をそばに寄せ過ぎているのもあるけど。
俺にしたら彼がいて、俺の一言一句書き残しているのが面白くて、会うたびに中身を見せてくれと強請っているくらいだからね。
でも、仕方がないのかな。公爵令嬢となる彼女の周りには常に誰かがそばにいて、人の気配を認識出来ないのかもしれない。
けれどそう考えると、彼女の相手というのはある意味、限られてくるかもしれない。よくある護衛とか、護衛とか、護衛とか……て護衛しかないじゃん。
ふとディリア嬢を見ると、彼女は俯きながらも黙る気はないようだ。次は何を言おうかと口をパクパクさせている。中々根性のある子だ。
「それは……だって、だって、ユマノヴァ様は何もおっしゃってくださらなかったから。私のドレスは褒めてくれても、私の事は好きだとも愛しいだともそんな言葉一つもなくて、だから私強引に求めてくださったあの方に、私を一途に思ってくださるお方を断る事が出来なくて……そうよ、悪いのはユマノヴァ様だわ。私を強く求めてくださらなかったから。こうなったのも全部ユマノヴァ様の所為なんだから。悪いのは全部ユマノヴァ様よ!」
わ~んと、とうとう大声で泣き出してしまった。
侍女もブライアンも呆然とディリア嬢を見ている。書記官はこの状況を必死に書き残しながらも、どうやら面白がっているようだ。
――う~ん、そうきたか。
まあ、所詮は箱入りの我儘し放題の公爵令嬢だ。
自分は何も悪くない。自分の意見が通らないはずはない。笑っていれば全て周りがいいように進めてくれる。困れば泣き落としで決まり。
うん、母上達とは違うけれど、ある意味面白いくらい典型的なこの国の令嬢かもしれない。
俺は口角が上がりそうになって、慌てて下げる。いやいや、面白がっている場合じゃないか。
泣きじゃくるディリア嬢を見て、彼女も必死だってのはよぅ~っく分かった。分かったうえでそろそろやめさせないと、ブライアンが本気でキレる。ほら、こめかみに血管が浮き上がってきた。俺は溜息を吐きながら、ディリア嬢に声をかけた。
「そんな理屈が本気で通ると思っているのなら、それを君の父上、スープレー公爵に言ってみてもいいよ。まあ、それをそのまま公爵が口にしたら、即不敬罪で捕まってしまうだろうけどね。君は事の重大さが分かっていないようだから、少し教えてあげる。今君が私に言った事、全て公にしてしまったら君の家は没落するよ。王族に対しての不敬罪をはじめ、脅迫罪に姦通罪。それだけでも爵位は取り上げられるけど、王族に違う血を入れようと試みた罪が一番重い。反逆罪にも匹敵するよ」
俺が淡々と軽く話して聞かせると、今まで泣いて少し赤みが戻ったディリア嬢の頬は、またもや白くなっていく。
「う、嘘。大げさだわ。私はそんな、反逆罪なんて……。私のお父様は公爵よ。そんな簡単に家が没落するなんて、いくら王子様でもそんな事出来る訳ないじゃない。わ、私は手籠めにされたのよ。強引で断れなくて……ユマノヴァ様も守ってくださらなかったから、弱い私は言う事を聞くしかなくてこんな事に……そうよ、私は被害者よ。被害者の私の家が、どうして没落なんてしなくてはいけないの? おかしいわよ」
「だから、没落を回避するために公にはしないであげると言っているんだよ。いい加減聞き入れて。後の事は公爵に言いなさい。私はこれ以上付き合っていられない」
俺はガタッと席を立つ。
これ以上は押し問答だ。必死な彼女に何を言っても通じない。いくら女性には優しくをモットーの俺でも、この問題には干渉出来ない。
後は彼女と彼女の父親と、相手の男との問題だろう。
俺が扉を開けて廊下に出ようと一歩足を踏み出した所で、ディリア嬢が俺の足元に飛びついてきた。
避けようと思えば避けられたが、俺はそのまま彼女の好きにさせた。
俺のスラックスに縋りつくように足元に跪く彼女を一瞥する。
「ユマノヴァ様、お願いです。お願い、助けてください。私を見捨てないで。ユマノヴァ様はお優しいから一度の過ちくらい許してくださいますよね、私この子をおろします。そうすれば何もなかった事に……」
「――本気で言っているのか?」
「え?」
俺はディリア嬢を、軽蔑のこもった目で見下ろす。
子をおろして何もなかった事に? この国の男ならそのように考えるかもしれない。けれど子の親になろうとしている女性自身がそのように考えるのか? 俺にはその思考はついていけない。
俺は初めてディリア嬢を蔑んだ。
俺に子の親になれとか、俺の所為で他の男に身を許したとか、そんな事はどうでもいい。俺の所為にして、気が休まるのならそうすればいい。それも全て子を生かすありきの話だ。けれど子を殺すという話なら、俺は一切聞き入れない。そんな考えを持つ者と一緒になど、いれるはずがないのだから。
俺はグイッと足に力を入れて、彼女の手から己の足を離す。
「あっ」
ディリア嬢は足を避けられた事に焦りながらも、初めて俺の機嫌の悪そうな声を聞いて体を震えさせた。
「……そこの者、ディリア嬢の侍女だろう。ちゃんと主人を守れ。床などに座って冷えたらお腹の子に障る」
「あっ」
俺のその言葉を聞いて、ディリア嬢の侍女は慌てて肩掛けを跪いている主人に持ってくる。
「ユマノヴァ様」
それを肩にかけながらディリア嬢は許されたと思ったのか、俺に期待と慈愛に満ちた眼差しを向けてくる。
「勘違いはしないでくれ。私は金輪際君とかかわる気はない。子を産もうが産むまいが、それは君の勝手だ。だが私の所為で子をおろしたとなると、それは迷惑以外の何ものでもない。私の婚約者だった君に最後の情けだ。君のしでかした事は公にはしない。賠償も望まない。婚約破棄の理由は、私の浮ついた態度の所為だとしてくれて構わない。それで全て終わりにしてくれ」
そう言ってクルリと踵を返して、俺はディリア嬢から立ち去った。
願わくば彼女の男がいい奴で、子供と共に幸せに暮らしてくれたらと思う。
後を追いかけて来たブライアンに「お人よし」と言われたが、別に構わない。
どんな人だったにしても一度は婚約者として隣にいた女性だ。彼女の幸せを望むのは悪い事じゃないだろう。




