町の雑貨屋で話す内容じゃないよね
そわそわと落ち着かない兄上の後頭部を見ながら、俺は衝動的に叩きそうになる手を必死に止める。落ち着けと殴りたいが、流石に兄王子にそんな事は出来ない。
「お気持ちは分かりますが、少し落ち着かれて。今のままでは聖女もまた、怯えて逃げてしまうかもしれませんよ」
俺の言葉にビクッと肩を揺らした兄上は「すまない」と言って深呼吸を繰り返す。やっと少しは落ち着いたようだ。
隣ではネビールが「仕方がないでしょう。レナニーノ様は貴方と違って繊細なのですから」と俺に文句を言ってくるが、兄上に窘められて不貞腐れている。
「店主も、すまないな。店を貸し切りにしてもらって」
「滅相もございません。恐れながらも、ユマノヴァ様には我が孫にも似たような気持ちをもたせていただいております。レナニーノ様のお役に立てる事がユマノヴァ様のお望みなら、私はどのような事でもいたしましょう」
兄上が俺の後ろで控えている雑貨屋のお爺さん、元コスター商会の会長に礼を言うと、老紳士は俺に視線を向け優しく微笑んでそんな事を言う。
いやいや、そんな風に言われたら申し訳なさ過ぎて顔もまともに見られなくなるよ。俺、会長に甘え過ぎだよな。
「ユマノヴァはフラフラといつも何をしているのかと思っていたのだが、こんな風に人脈を広げていたのだな。私は少しユマノヴァを勘違いしていたらしい」
「それは無理もありません。ユマノヴァ様はわざと勘違いさせようとなさっていましたから。確信犯なのですよ」
純真なレナニーノ様が騙されるのも仕方がありません。とレナニーノ至上主義のネビールは、唾を飛ばしながら力説する。
ほ~んと、こいつだけは揺るがないな。ここまでくれば最早天晴れ。腹立ちもしない。
「アリテリア嬢も、こんなユマノヴァを知っていたのかい?」
兄上はそんな側近を無視して、俺の隣でお茶を飲んでいるアリに話をふる。
「私は初めてお会いした時からずっとユマノヴァ様に守られていますから、知的なお姿しか知りません。反対に城で皆様に見せているというお姿を、拝見したいものですわ」
密かにネビールの態度に苛立っていたのか、ネビールが俺を貶すのならば自分は俺を美化してやるといわんばかりに、アリはに~っこりと微笑む。その微笑みに、流石のネビールもビクッと肩を揺らした。
因みに聖女が来る為、本日も妖精ティンはお留守番である。
「そうなのか。なるほど、アリテリア嬢のユマノヴァに対する思いは本物のようだね。貴方がユマノヴァの伴侶になってくれる事を、私は嬉しく思うよ」
そんな二人のやり取りに気付きもしない兄上は、ニッコリとアリに微笑む。おう、眩しい。
老紳士までもが目をパチパチさせている。流石ハイスペックイケメン。そんな笑顔を向けられると老若男女問わず誰もが腰砕けになってしまう。言うまでもないが、ネビールは鼻血を出して拝んでいる。
もしかしたらアリも頬を染めるくらいにはなってるかもと、チラリとアリを見るが彼女は何事もなく
ニコニコと微笑んでいる。
な、なんかホッとしたような……複雑? アリはもしかしたら人の美醜がよく分からないのかもしれない。
そうこうしていると、入り口付近で待機していたブライアンとシフォンヌ嬢が聖女の到着を告げて来た。
とうとう聖女のお越しだ。
小さな丸テーブルを挟んで向かい合う、兄王子と聖女。
二人は最初に軽く挨拶をしたかと思うと、そのまま黙り込んでしまった。
温かな湯気を放っていた目の前の最上級のお茶も、すっかり冷めてしまったらしい。店の奥の部屋に隠れて見ていた俺は、ちょっとイライラしてきた。
『駄目ですよ、ユマ様。ここはレナニーノ様にお任せしないと』
同じように隠れているブライアンが、小声で俺を窘めてくる。
『分かっているよ。けれど、このまま無駄に時間が流れるのもなぁ』
『レナニーノ様はお忙しい身なのですよ。ここは、この場を提供したユマノヴァ様が動くべきでは』
俺が頷く横で、ネビールがどうにかしろと文句を言い始めた。その態度にムッとしたブライアンが、お前の主の為だとネビールに黙る様に促す。
『だからそれは、心を決めたレナニーノ様の邪魔になると申し上げているのです。レナニーノ様のお気のすむようになされないと、また遺恨を残す事になるかもしれません』
『では、どうするのですか? レナニーノ様はお忙しいのに』
『ユマ様だってお忙しいです。それを兄上の為にと思って時間を割いているのに、貴方って人は……』
とうとうブライアンがネビールにキレた。ブルブルと震える手をシフォンヌ嬢が必死で押さえる。
『皆様、落ち着いて。ここで騒いでいても仕方がないですよ』
そう言うシフォンヌ嬢の横を、スッと誰かが通りすぎた。今まで何も言わずにジッと見ていたアリである。
二人の空間の中、突然現れた人影に兄上と聖女は視線を向ける。
「お茶が冷めてしまいましたね。入れなおしましょう」
会長がアリを手伝うべくそばに寄ると、兄上は「す、すまないな」と礼を述べる。
「あの、私レナニーノ様との婚約はお断りしたと思うのですが」
アリと会長の登場で聖女は顔を上げ、思いきったかのように口を開いた。
ああ、二人きりでは言いにくかったんだな。第三者が現れて初めて言葉に出来る事もある。
「ああ、そうだな。ハッキリと私を慕ってはいないと言われた」
「では、もう私の事は放っておいてください。そして今の婚約者と結婚してくだされば……」
「彼女とは、婚約を破棄した」
「え?」
突然の婚約破棄宣言に聖女は固まる。
「わ、私の所為? そんな、そんなの私が恨まれる……」
ブルブルと震えだす聖女に、兄上は思わずといったように笑いだす。
「ハハハ、君の所為ではないよ。あの時も言ったと思うが、彼女とは上手くいっていなかったんだ。彼女はあの通り怖い人だからね。民が怖がるような人を国母には出来ないだろう。もちろん私も、心が休まる事もない」
婚約破棄は当人同士の問題で聖女には一切関係ないと説明するが、聖女は頭をブンブンと振る。
「レナニーノ様は私に幻想を抱き過ぎです。私は聖女と言われても平民ですし、ジュメルバ卿の命令通りに動いているだけ。適度に森に行っては祈りを捧げ、その光で勝手に魔獣が倒れているの。私自身信仰心とか清い心とかそんなもの一切ありません。だから私を王妃にと望まれても貴族のマナーや政なんて分からないし、努力して覚えようとも思いませんよ。だって私には過度な期待ですもの。出来ないものは出来ないんです」
ダンッと机に両手をついて、一気に凄い事を暴露した聖女はゼイゼイと息を吐いている。
勝手に魔獣が倒れているとか、信仰心がないとか、それ絶対教会関係者の耳に入れたらまずいヤツだよな。
う~ん、これは思った以上に聖女の鬱憤もたまっているようだ。ハイスペック兄王子も呆然として固まっている。
皆が唖然とする状況の中、その空気を壊したのは俺の婚約者。
「どうぞ」と何事もなかったかのように、二人の目の前に入れたてのお茶を差し出すアリ。
あ、あれ? アリってこんなに空気の読めない子だっけ? いや、これは空気が読めないのではなく、わざとか?
「あ、ありがとうございます」
そんなアリに聖女は自分の行動にハッと気付き、お礼を言いながらも恥ずかしそうに椅子に深く座りなおした。良かった、今度は逃げないでくれた。
「貴方も飲みますか? 小さなお客様」
そう言って、聖女の肩にいる光に向かってアリが声をかけた。
何やってんの、アリ~~~~~?




