ガーネット嬢という人は
「イルミーゼに会える? 本当か、ユマノヴァ?」
テーブルを挟んだ向かいの椅子には憔悴しきった兄王子、レナニーノが目を大きく見開いている。
四人で相談した後、すぐにコスター会長に協力を依頼したのだが、彼は見事に聖女にアリが書いた手紙を渡してくれた。その上、次の日には聖女に注文された品を持ってきたと言い、返事をもらう事にも成功したのだ。
年を取っているとはいえ、本当に優秀な人材だ。町の雑貨屋の店番にしておくにはもったいない。
聖女は、承知しました。とただ一言だけ綴った手紙を返してくれたようだ。
そのままその手紙を、兄上の目の前の机に置く。
彼はそれを愛おしそうに手にすると、ジッとその文字を見つめている。そんな兄上に俺は真剣な顔で申し伝える。
「一つだけお約束ください。決して聖女を追い詰めるような真似はしないと。もう一度会うというのは、聖女の真心です。それを蔑ろにするような事だけはしない様に」
「……分かっている。私も男だ。追いすがるような真似はしないし、父王の様に攫う事もしないさ。それは教会を敵に回す事にもなる。だから私は今まで動けずにいたのだからな。もう一度会い誠心誠意話をして、それでも駄目ならばその時は……諦めるさ」
レナニーノの目に光が灯された。
ああ、自信あふれる元の兄王子に戻ったな。これで踏ん切りがつけられる。
兄上は手紙を机に置くと、フッと柔らかな表情を俺に向ける。
「お前には散々迷惑をかけたな。お前の婚約者にも」
おお、珍しい。というか初めて兄上が俺に謝罪した。聖女との事は自分を含め、周りを冷静に見つめる時間にもなったようだな。
「彼女は今現在、進行形でかけられていますよ。本日ガーネット嬢から無理矢理にお茶会に誘われたのですが、母上とのお茶会の方が先だったのでお断りの返事をしたのです。そうしたら自分も一緒に来ると言うので、それは遠慮してくれと頼みました。頷いてはくださらなかったので、ちょっと警戒はしています」
俺は素直に困っていると暴露する。兄上は眉間に皺を寄せて、溜息を吐いた。
「……ガーネットにも困ったものだな。イルミーゼの問題は抜きにしても彼女との婚約はそろそろ考え直した方が良さそうだ。私の政に、彼女は害になっても得にはならないだろう」
「おや? 私と違って品行方正な兄上の言葉とは思えませんね。婚約破棄なさるおつもりですか?」
「民の事を思えば、彼女を国母にしてもいい事はないだろう。元々グランディ公爵が無理矢理ねじ込んできて、国王も根負けしたような婚約だからね。誰も望んではいない」
兄上は、彼女には情も何もないとハッキリ言う。
まあ、知ってたけどね。そこはちょっとお気の毒って思っていたし。でも仕方がないか。彼女は本当に本物の悪役令嬢だからね。
ゲームと違ってジュメルバ卿が王家に対しての警戒心が強いから、聖女を貴族との接点を持たせないようにしている為、悪役令嬢がヒロインをいじめる事は出来ないが、ゲームの中でヒロインに対してやった嫌がらせやいじめなんてものは、他の令嬢、特に兄上と接点を持った令嬢は軒並みやられている。
お茶会でハブられたりドレスにワインをかけられたり、虫入りのプレゼントを贈られたりなんて事は日常茶飯事。
侍女相手の罵詈雑言は毎日で、機嫌が悪ければ鞭打ち、失敗すればすぐにクビ。屋敷での暴挙は、侍女同士の繋がりで俺の耳まで届いている。
そんな彼女を、民の為にも国母には出来ないと言う兄上は大正解だ。婚約破棄をする際には、是非ともその情報を提供しよう。
「そういえばネビールが言っていたが、ディリア嬢とアリテリア嬢と三人でお茶をしたそうだな。元婚約者と現婚約者と一緒にお茶を飲めるとは、お前は本当に肝が据わっている」
兄上はおかしそうに口元に手を添えている。
ああ、やはり噂は流れていたようだ。ただ周りの反応が俺に対して好意的だったから面と向かっては言われなかっただけで、裏では面白おかしく話されていたんだろうな。
「ディリア嬢との間には、何もありませんでしたからね。お互い親にあてがわれた、ただの婚約者って感じでお互いに伴侶が見つかれば、知り合いってだけの関係になりますよ。だから私よりもアリと仲良くなって、領地にも遊びに行く約束をしていましたね」
そう言うと、兄上は目を丸くする。
「正直お前がディリア嬢を許したのにも驚いたが、アリテリア嬢も友人になるとは……たいしたものだな。流石お前が選んだ相手という事か」
「惚れないでくださいよ」
「馬鹿な事を言うな。私はイルミーゼ一筋だ」
いや、だからその一筋の気持ちが今は邪魔っていうか、重いっていうかって感じなんだけれど、まあ、仕方がないか。
俺はフフっと笑って席を立つ。
「もう行くのか?」
「今から母上とのお茶会ですから、アリを迎えに行かなくては。彼女がガーネット嬢に会ったりしたら大変ですからね」
そう言うと兄上はすまないなと眉尻を下げる。うん、イケメンは憔悴しても困った顔をしてもイケメンだ。
「では、またお迎えに上がります。気持ちの整理をつけておいてください」
俺はペコリと頭を下げる。
「ああ。色々と……ありがとう」
はにかんだような表情の兄上に、俺は久しぶりに安堵する。
どう転ぼうと、これならもう兄王子は大丈夫だろう。後は聖女の気持ち一つ。
俺は足取り軽く、馬車乗り場までアリを迎えに行くのだった。
「お待ちなさい!」
私は渋々振り返る。
その居丈高な声の持ち主は、間違いであってほしいと思ったが、やはり予想した通りガーネット・グランディ公爵令嬢だった。
ここは城の馬乗り場より少し離れた、人通りの少ない廊下。
ユマ様との約束の時間より少し早く着いてしまった私は、案内を待つつもりで馬車を待つ為の待合室に向かう途中だった。
すぐにブライアン様が来てくれるだろうとシフォンヌと共に廊下を歩いていたのだが、そこで後ろから声をかけられたのだ。
げんなりする気持ちを隠して、ありったけの笑顔を張り付ける。
「まあ、ガーネット・グランディ公爵令嬢ではありませんか。御機嫌よう」
「今から王妃様とのお茶会でしょう。ちょうど良かったわ。私も参ります」
ガーネット様は挨拶もしない上、私の返事も待たずにスタスタと先を歩きだした。ガーネット様の侍女達も慌ててそれに付き従う。
私とシフォンヌは呆気に取られてその場で立ち尽くしてしまった。だって、王妃様とのお茶会は私とユマ様との三人でという約束だから。他者が勝手にその中に割って入れるものではないはずだ。しかも主催者は王妃様。この国の女性の中で一番地位の高いお方。そんな方のお茶会に呼ばれもしない令嬢が、参加するなんて許されるはずがない。
「何をしているの、サッサと来なさい。見た目通り全く愚図な方ね」
その言葉にシフォンヌが、ガーネット様に敵意を向ける。ああ、ダメダメ。おさえて、シフォンヌ。私がボヤっとした見た目なのは分かってるから。
私はサッと自分の体でシフォンヌの敵意を隠すと、ガーネット様に困った顔を向ける。
「申し訳ございません、グランディ様。ご案内をして下さる方がもうすぐこちらに来られるはずなので、私はここから動く事は出来ません」
「あら、そう。仕方がないわね。だったら私もここで待つわ」
「いえ、待っていただいてもグランディ様とご一緒する訳にはまいりません。私はユマノヴァ様とご一緒させていただきますので」
そう言うと、ガーネット様は険しい顔を私に向けてきた。
「私は第一王子、主催者である王妃様の息子の婚約者なのよ。その私がお茶会に参加してあげると言っているのになんで貴方も、ユマノヴァ様も断るのよ。王妃様は私が行けば喜んで迎えてくれるはず。グダグダ言ってないで一緒に連れて行きなさい!」
もの凄い勢いで私に詰め寄るガーネット様。シフォンヌが私を守ろうと前に出ようとするが、私はそれを押さえる。
「ユマノヴァ様も断ったのですか? ではますますご一緒する訳にはまいりません。王妃様とお茶会をなさりたいのでしたら、後日改めて王妃様とお約束してください。本日は私共だけだと伺っておりますので」
「貴方、誰に向かってそのような口を……生意気よ!」
サッと顔を怒りで朱に染めると、ガーネット様は持っていた扇を高く振り上げ、私の顔目掛けて振り下ろした。
ガッ! と勢いよく音が鳴る。
私は扇で頬を殴られ、その勢いで廊下に倒れ込む。
「アリ!」
シフォンヌが私のそばに駆け寄る。
ガーネット様の侍女が、ひいぃっと小さな悲鳴をもらしている。
私がハッと気付いた時には、私の周りで小さな竜巻が舞い上がっていた。
まずい!
ティンが私の体から魔法を引き出させている。
竜巻はどんどん大きさを広げていって、ガーネット様や侍女達の足元にまとわりはじめた。
「な、何よ、これ……」
ガーネット様のドレスを捲り上げるどころか、ガーネット様自身をも巻き上げていく。フワリフワリと宙に浮いて行くガーネット様と侍女達。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どうにかティンを止めようと振り返るが、ティンは私を見ようともしない。私を傷付けられた事によりティンが怒っているのだ。だけど私から放出しているはずの魔法が、私の制御が効かないなんて……。所詮はティンから借りている力だ。ティン本人が使う場合は、私の意思は関係なくなる。
このままじゃ危ない。皆が怪我をする。そう思った瞬間、ガーネット様達がグンッと空高く舞い上がった。
「「「キャアアアアアァァ!」」」




