怪しい招待状
数日後、ディリア嬢は父スープレー公爵と共にひっそりと領地へ去って行った。
あの日の騒動は父王に呼ばれる事もなく、拍子抜けするくらい噂にもならなかった。
ブライアン曰く、俺の執務能力が想像以上でそんな些細な事件も気にならない程、城中が俺に対して好意的であるらしい。
ジャクエル・カエンの件は、アリとシフォンヌ嬢にも黙っていようと思ったのだが、戻ってきた二人に途中から聞かれてしまっていたらしい。
バツの悪そうな顔をする二人に、ディリア嬢は微笑んで二人に告げた。
「今更私が言う事でもないのでしょうが、お二人もどうか彼には気を付けて。彼は王族を苦しめる為なら、なんでもやる人です。私のように利用されない様に、そして出来れば私の分までユマノヴァ様を守ってあげてください」
そう言ったディリア嬢にアリは抱きついた。なんて言っていいのか、言葉にならなかったのだろう。
俺達の中でジャクエル・カエンは、ジュメルバ卿の次に要注意人物として取り扱う事に決まった。
すぐに彼の情報を集めたのだが、ディリア嬢が教えてくれた以上の事は何も出てこなかった。仕方がない。ジュメルバ卿の側仕えといっても奴個人の認識など誰にもされていないようで、奴自身、自分の生い立ちからかわざとそうしている節がある。
反対にディリア嬢が、それでよく彼だと分かったなと驚くほどだ。
俺はバサッと書類の束を置く。
「ブライアン、アリとシフォンヌ嬢の今日の予定は?」
俺の言葉に、後ろに控えていたブライアンがすぐさま答える。
「本日は王子妃教育もお休みで、力も落ちついている様なのでお屋敷にいらっしゃるそうです」
やはりブライアンは彼女達のスケジュールを把握している。シフォンヌ嬢と仲が良くて何よりだ。俺は天井を見つめる。
「……だったら、会いに行こうかな。ホワント伯爵家に使いの者をやってくれ」
「執務はよろしいのですか?」
「ああ、ほとんど片付いた。残りは明日で構わない」
「各部署、頑張っているようですね。当初に比べると回ってくる書類も半分ほどになっていませんか?」
ブライアンが俺の机を見る。俺はポンポンと書類の束を叩く。
「ああ、しっかりとまとめてあるからな。俺の所には決済が必要な物だけが回って来るようになった。これが本来の姿なんだけどな」
苦笑する俺にブライアンは、今もまだ部屋から出てこない兄の名前を口にする。
「レナニーノ様は何故ご自分で、全てをなされていたのでしょうか?」
「能力があるからだろう。他の者に任せて中途半端に回されて、しかもそれが間違っていたら自分で最初からする方が楽だと思ってたんだろうな」
「ならば何故、今はちゃんと回されているのですか?」
「兄上は高位貴族を大切にし過ぎたんだ。責任ある仕事は彼らに任せないと、矜持を潰す事になると思っていたのかもしれないな。立場を考えるなら、それも間違ってはいないが、この国の高位貴族は武力で力を発揮してもらう者。執務は不得手なんだよ。それを面子を守る為だけにやらせたって出来る訳がないんだ。だけど不得手だからといって蔑ろにも出来ない。だから俺は彼らの下に出来る奴を置いたんだ。下位貴族や平民を。でも部署でのトップはあくまで高位貴族。これならば仕事も回せるし、高位貴族の面子も保たれる。そして実際、執務をこなしている下の者にはちゃんと仕事量にあった給料を上乗せしている。これなら反感を買う事もない。効率よく仕事が出来るってもんだよ」
「流石です、ユマ様」
ブライアンは拍手でもしそうな勢いで、俺を褒めたたえる。いや、単に自分の仕事を減らしたかっただけです。
「ではアリテリア様にお会いに行くのは、癒しを求めて?」
「まあそれもあるんだけど、執務も一段落した事だし、そろそろ兄上と聖女を会わせようかと思うんだ。その相談」
「ああ、アリテリア様が協力してくださるとおっしゃっていましたね」
そう、俺が聖女と会うのをよしとしない兄上は、いくら兄上の為とはいえ俺が聖女と接触する事自体とても嫌がる。だが、アリの存在があれば許されるのだ。だから彼女に協力を依頼した。
ここ最近の兄上を、流石に放置出来なくなったからだ。
最初はボウッとして執務を放棄していただけの兄上だったのだが、今は部屋からもほとんど出てこなくなってしまった。
誰がどのように声をかけても生返事しか返さず、しびれを切らした父王が鍛錬場に連れて行っても剣さえまともに持たない始末。
宰相が聖女に会って声をかけて欲しいと直談判に行ったが、教会の信者達に阻まれて会う事も叶わなかったそうだ。
皆、俺にどうにかしてほしいと言いながらも俺には執務もあって、強くは懇願出来ないでいた。そして執務が落ち着いた今、数日後には皆が押し寄せてくるのが目に見えていたのだ。
この上なく面倒くさいが、言われる前に動こう。
俺もこれ以上アリとの仲を邪魔されたくないからね。
……ジュメルバ卿の対策で結ばれた婚約だというのに、アリと一緒にいる事をものすごく楽しんでいる自分がいる。
もし今、ジュメルバ卿がアリを諦めたとして、アリに婚約を破棄されたら俺はそれを素直に受け入れる事が出来るのだろうか?
自分の考えに、ずうぅ~~~~~ん、と落ち込む俺はブライアンがいない事に気が付いた。あれ?
ああ、そうか。ホワント伯爵家に使いの者を向かわせ、馬車の用意をしに行ったのだなと理解する。そして戻って来たブライアンの姿を見た俺は、もうすぐアリに会えるのだと心が弾むのを感じていた。
俺は……本当にアリを好きになってしまったのか?
「良かった、ユマ様。お会いしたかったです」
ドキッとした。開口一番アリからそんな甘い言葉が発せられ、俺は自分の顔に熱が集まるのが分かった。
「これ見てください」
そうして差し出されたのは、一枚の手紙。
「え……っと?」
「ガーネット・グランディ公爵令嬢からのお茶会の招待状です」
ガクッとした。ああ、そうか。会いたかったっていうのは、兄上の婚約者であるガーネット嬢からの招待状をどうしたらいいか相談する為に会いたかったってわけだ。
いや、それは重大な相談事だ。アリにしてみたらあのお茶会で一度会っただけの、怖い令嬢でしかないんだものな。危害を加えられる恐れは十分にある。だが、仲が悪くても今現在は兄上の婚約者だ。無下には出来ない相手。一刻も早く俺に相談したかったのはよく分かる。分かるが無意識にへこんでしまうのは、仕方がない。
俺が落ち込んでいる姿を、アリは首を傾げて見ている。様子のおかしい俺を、ただ普通にどうしたのだろうと心配してくれている顔だ。
俺はスッと背筋を伸ばして、開けてみていいかと許可を取り、ソファに座って中を見た。これ以上アリに心配かけてはいけない。これは俺の気持ちの問題なのだから。
招待状にはただ普通に、場所と日時の案内だけが書かれていた。
「自分の婚約者のレナニーノ様があんな状態だというのにお茶会だなんて……絶対にアリテリア様をいじめるつもりなんですわ」
シフォンヌ嬢が顔を真っ赤にして声を荒げている。それを横でブライアンが落ち着いてと宥めている。
二人のそんな様子は、俺達よりよっぽど婚約者っぽいよな。なんて事を考えていると、隣からアリが心配そうに顔を覗き込んできた。
いけない、いけない。今はこれをどうするか考えないと。
「シフォンヌ嬢の言うように直接いじめるかは別として、裏があるのは確かだよね」
自分の婚約者の王子が他の女性の事を思い腑抜けになってしまった状態で、弟の婚約者の幸せな女性を、自分のテリトリーで行うお茶会に誘う。しかもほとんど面識のない女性。
そして一度会った時には自分はいい様にあしらわれた。うん、シフォンヌ嬢じゃないけれど、直接じゃなくてもいじめられるのは目に見えているね。
「もしもいじめられた場合、私魔法をおさえる事が出来るが分からないです」
あ、そっちの心配?
シフォンヌ嬢も俺もアリを傷付けられたらとそちらの心配をしていたのだが、当の本人は魔法を隠し通せるかという心配をしていた。
うん、やっぱりこの子は強い子だ。
「そうだね。どちらにしても、このお茶会は行かなくていいよ。厄介事しか見えてこない」
「けれどそれでは、グランディ様がなんとおっしゃるか……」
「俺から返事をするよ。そうだな、この日は母上のお茶会に誘われよう。母上と俺とで計画していたという事にして、決まったのはこの招待状が届く前の日。いいね」
先に王妃と会う約束があった。それならば第一王子の婚約者だろうと公爵令嬢だろうと、文句を言う訳にはいかないだろう。
王様には俺から何か上手い言い訳を考えておこう。
俺がアリの鼻先をツンと突くと、アリはキョトンとした表情からほわぁ~っと顔を和ませる。うっ、可愛い。
「流石ユマ様ですね。あっという間に解決策を考えてくださったわ。昨日この手紙が届いてからどうしようかと眠れないくらいに悩んでいたんだけれど、こんな事ぐらいでお忙しいユマ様にお会いしたいなんて我儘、言っちゃ駄目だって思ってたんです。でもユマ様はこうして来てくれた。助けてくれた。フフ、本当にユマ様は素敵な王子様です」
ニコニコと顔を赤らめ、そんな事を言うアリ。やばい、そんな事言われたら鵜呑みにしちゃうよ。ああ、顔がにやけていく。
『ユマ様、だらしない顔はおやめください。王子様の名が泣きますよ』
『煩い。したくてしてるんじゃない』
俺が必死で頬を引き上げていると、ブライアンが肘で横腹をつついてくる。やめれ、王子をつつくな。




