アリの存在
アリは俯いたまま、俺の腕にギュッとしがみついてくる。
「アリ?」
再度たずねるが返事はない。
そんな俺達の様子を見ていたディリア嬢が「その従者は……女性ですか?」と聞いてくる。
今しがたアリの力を見せてしまったからな。俺の力と錯覚させてはみたものの、どうとらえているかは分からない以上、アリの存在を教えるのは危険かもしれない。だが従者が、それも女性と感付いている者が無断で王子の俺に抱きついている姿は、下手に誤魔化すとややこしい事になりかねない。それに今のディリア嬢なら、アリだと話しても大丈夫の様な気がする。
俺は甘い考えのまま「そうだよ」とアリを見ながら答える。
「俺の大切な婚約者だ。彼女は俺を見てくれるんだ。第二王子でもなく、優秀な俺でもなく、優しい言葉でそのままの俺を肯定してくれる。俺にとっては初めての女性だね」
そう言うとアリは顔を上げた。とても驚いた表情をしている。え、そんなに驚く事?
ちょっと二人で驚いていると、アリの顔はうっすらと赤く染まっていく。あれ?
そのまま俯いてしまったアリに、俺は何故か自分も照れ臭くなっていく。なんか顔が赤くなってきたような……いたたまれない。
俺はアリと反対に上を向く。抱きしめられた腕が熱くなってきたように感じる。
そうして暫く二人で照れ合っていると、フ、フフっと笑い声が聞こえてきた。下を向くと蹲っていたディリア嬢が。口元を隠して笑っている。
自然とアリと二人で彼女を見つめる。
「フフ、ごめんなさい。笑ってしまって。凄く微笑ましいなって思ったの。ユマノヴァ様にあんな表情をさせられる女性がいたなんて。どんなに相手が照れてもご自分は決して笑顔を絶やさず、いつも平然と甘い言葉ばかり吐かれていた姿しか見た事なくて。フフフ、そうよね。男性も好きな女性にはそのような姿を見せるものよね」
フフフと尚も笑うディリア嬢。これが本来の彼女なのだろう。父親の愛情を信じられるようになった彼女は、憑き物が落ちたようだ。
そんな彼女に、このような状況になった事をとても残念に思う。
「……俺と貴方の時間は交わらなかった。ただそれだけの事ですよ」
苦笑ながらにそう答えると、彼女はそうですねと頷く。
「今考えれば……貴方はこんな私でも、精一杯大切にしようとしてくれていたわ、他の女性より優遇されていたのに、気付かない私は本当に愚かだった。ユマノヴァ様、騎士を呼んでください。このような醜態をさらしたのです。罰はいかようにも……」
「ユマノヴァ様の前の婚約者だったディリア様に、お話を伺いたくて私が呼んだんです。ユマノヴァ様の婚約者として何か注意すべき事はないかと思って」
「「「!」」」
捕らえてくれと言うディリア嬢に、アリがそんな事を言い出した。サラッと何もなかった事にしようとしたのだ。
ブライアンとシフォンヌ嬢、従者達が何を言い出すんだという目で彼女を見つめる。ディリア嬢も意味が分からないという様に目を真ん丸にしている。
「アリ?」
皆の疑問を代表して、俺は彼女の顔を覗き込む。ハッとしたアリは俺の腕を掴んでいた手を離し、自分の両手を祈る様に組みながら視線は横へと逸らす。狼狽えているのがよく分かる。
「えっと……ユマ様が、その、どんな人に興味をもたれるかとか、そういった事を聞く為に呼んだとかなんとか……」
彼女の両肩に手を置いてジーっと見つめる俺と、決して視線を合わせずキョロキョロと目を動かしながら汗をかきだすアリ。
なんていうか、うん、可愛いよね。考えている事が分かりやすい。
「そうか。現婚約者のアリは素行の悪い俺の言動が不安で、前の婚約者だったディリア嬢に意見を求めたとそういう訳だ」
「ち、違います。そうじゃないです。わたしはただディリア様にこれ以上苦しんでほしくなくてって、ああ、それじゃあユマ様の評判が悪くなりますよね。ううう~、どうしよう」
思ってる事言っちゃった。本当に可愛いんだから、アリは。
今の言葉を聞いてディリア嬢が益々目を丸くしている。ブライアンとシフォンヌ嬢はやれやれという様に、溜息を吐いている。従者達はまだポカ~ンとしている。
「あははは、ごめんごめん。いいよ、それで。アリが一生懸命考えた言い訳だ。俺もそれに乗るとしよう。ブライアン、シフォンヌ嬢、君達はどうする?」
「いいですよ、私も賛成です。ユマ様の評判なんてこれ以上悪くなりようがないのだから。今更婚約者同士で情報を交換していても問題はないでしょう」
「アリテリア様がそうおっしゃるのなら、私はそれに従います」
俺が笑い飛ばしてアリの言う通りにすると言うと、ブライアンもシフォンヌ嬢も賛成してくれた。従者達にはこの部屋であった事は全て他言無用だと約束させた。元々この二人は俺を慕ってくれていてブライアン同様、昔から俺のそばに置いている者だ。他人に言うなと言えば、国王にだろうと口を割らない。
アリは俺の悪評がまた立ってしまう事に、自分の案にもかかわらず駄目だと頭をプルプルと振っていたが、ディリア嬢が夜会に出席する様なドレスで城内をまたぎ、この部屋に押しかけた姿はかなりの者に見られている。ディリア嬢が話し始めたあたりで警備の騎士達が駆け付けてきたが、俺は適当にあしらい下がらせた。後々必ず問題にはなるだろう。
真実を公にしない以上、アリの提案が一番いいだろうと言うと、渋々ながらにも頷いた。その代わり評判を落としてしまってごめんなさいと必死で謝ってはいたが、俺が頭を撫でるとふにゃっと笑った。可愛い。
「待ってください。それでは私に都合が良すぎます。これだけの暴言を吐き、問題を起こしたのですからしかるべき処罰を……」
それに納得いかないのは当の本人であるディリア嬢。良かった、やっとそういう事に気付ける様になったんだね。それならば俺も……。
「現実を受け入れられる様になったのならば、これ以上傷付かなくていい。それにこれは口止め料でもあるのだから」
そう言うとディリア嬢はじめ皆がポケッとした表情になる。
いやいや、皆忘れた訳じゃないよね、さっきの光。ここで口裏合わせていないと、窓から漏れ出した光を不審に思っている者はいるからね。俺の執務室で人払いしている上に先程警備の者も下がらせた。あきらかに俺が碌でもない事をやっているとは思っているだろうけど、後で確実に問題にされる案件ではある。ある程度は皆で話を合わせていないと困るでしょう。
嘘のつけない君達が……と言うと、皆がバツの悪そうな顔になる。え、マジで忘れてた?
俺達や従者は言うなと言えば言わないからいいとして、確実にディリア嬢には口止めしていないといけない案件だからね。そこは気付こうよ。特にブライアン、彼女を捕まえればオッケーとかいう問題じゃないからな。
「先程の光は……やはり、ユマノヴァ様が」
ディリア嬢が上目遣いで確認してくる。先程アリに化け物と罵った表情とは少し違う。ああ、俺ならありえるとでも思っているのかな? それならば、それをそのまま利用させてもらおう。
「うん、そうだよ。自分でもコントロールが利かなくて、暴走する時がたまにあるんだよね。先程もついうっかり。ほら、この口止め料と今回の処罰との引き換えなら、良い条件だと思わない?」
後ろでアリが俺の服を掴み一生懸命訴えているが、俺は完全無視。力を俺の所為にした会話に狼狽えているのだろう。
ここでアリの力だというよりは、確実にこの方が上手く収まるに決まっている。
ディリア嬢は驚きを隠せないでいたが、それでもこれは他言する事ではないと感じたのか、分かりましたと頷いてくれた。
「……ユマノヴァ様は普通の人とは違うと感じていましたが、本当に違ったようですね」
「別に普通だよ。ただちょっと皆より器用なだけ」
「そうですね、ユマ様はちょっと器用なだけですよね。王家に産まれたのも人より頭の回転が速いのもその力も、全てちょっと器用だから持ってしまっただけですよね」
俺とディリア嬢の会話に、今まで様子を見ていたブライアンが突然入ってきた。顔は笑っているけれど、言葉に嫌味が込められているのはどういう事だろう?
「……凄い棘があるような気がするのは、俺の気のせいだよね。ブライアン」
「もちろんです。我が主」
ニコリと笑ってやると、ブライアンも負けずにニコリと笑い返してくる。
俺がアリを庇うように、自分の力であると話しているのが気にくわないんだろう。だけどそれがアリを守る為には仕方がないと分かってもいるからハッキリと怒るわけにもいかず、今のように嫌味な言葉で俺を責めているのだろうな。いいじゃないか、今更。どうせ俺は異物なのだから。それに一つ二つ付けたそうが、さして変わらないよ。
それよりも、アリを守れる方が今の俺にはとても大事な事なのだから。




