スープレー親子
この国の、特に貴族の男性は威厳を保つ為に常に上位であるという姿勢を崩せない。そう幼い頃から教育されているのだ。居丈高に振舞えと。例外にもれず、スープレー公爵もそうしてきた。
代々、スープレー公爵家が慈善活動に力を注いできたのも、どこからも文句を言わせない為だろうと揶揄された事もある。だが本心は、弱い者に手を差し伸べられるそんな人間になりたいとの願望からの行動であった。
自分には娘がいる。決して逆らう事無く常に微笑を称えた美しい完璧な淑女だ。この娘ならばどの男も喜んで欲しがるだろう。だが素直な娘だからこそ、この国の男性には嫁がせたくない。いつしか自分は、彼女には優しい男をと望む様になった。だがこの国の男、しかも貴族の男性にそれを望むなど無理な話だ。ただ一人を除いては。それが第二王子ユマノヴァ様だった。
ユマノヴァ様はこの国には珍しく物腰の柔らかい、とても優しい方だ。ただ女好きの噂もあるが、それは権力を持つ者ならば仕方がない。それに娘は公爵家の令嬢だ。側室を設けたくらいで文句を言う様な教育は施していない。
ユマノヴァ様なら娘も幸せになれるだろうと思い、ちょうど都合よく教会を意識した王家から婚約の打診を受けた。
我が公爵家は、慈善活動に力を入れている為、教会とも繋がりを持っていた。だがあくまで中立派を保っていた為、今回の婚約は王族側だと思われても仕方がないが、今まで散々教会には寄付してきたのだ。文句を言われる筋合いはない。
これで娘は幸せになれる。慎みのある貴族令嬢の鑑。素晴らしい娘には素晴らしい人生が待っているのだと、信じて疑わなかった。そうあの日までは……。
会議室へと呼ばれた私は、この国の王族と政を担う重鎮達というその顔触れに脂汗がにじみ出る。
ただ事ではない部屋の空気に、息が苦しくなる。
今しがた信じられない記述が報告された。
我が娘が第二王子であるユマノヴァ様に、暴言を吐きながら脅迫したのだと言う。
それも他の男と密通した上で出来た子供の父親になれという、ありえない内容だ。
「ディリアは親の言う事を聞く、素直な子です」
「誰の言う事も聞く素直な娘なのだろうな。男の言う事にも逆らわず、第二王子に助けを求めた」
宰相にそう言われてハッとなる。
親の言いなり……男の言いなり。素直な子……素直に助けを求めた。
愕然とする。確かにその要素はあったかもしれない。だが、それにしても婚約者がいる身で他の男と関係を持つなど、いくらこの国の威圧感ある男に逆らえなかったとしても、そんな事を許すなどありえるはずがない。
あの子は公爵令嬢だ。どこでそんな男と出会うのか? それに抵抗したならば侍女なりと側仕えの者からの報告が必ずあるはず。それがないという事は、娘も合意の上。自らもその行為を隠したという事になる。
そのかなりの問題行動に頭を抱えるが、話はそれだけではなかった。娘はかりにもこの国の第二王子の婚約者。醜聞になるその行動を隠す為、あろう事かなんの関係もない第二王子に父親になれと言ったそうだ。それも脅迫というには余りにも陳腐な内容で。
頭が痛い。
「ディリア嬢は子供の為というよりは、父親である貴方に怒られたくないからという理由で、優しいユマノヴァ様に助けを求めたそうです。それを拒否したユマノヴァ様に今度は子供をおろすという発言までしたそうですよ。それにはユマノヴァ様も表情を険しくされたそうです」
目眩がする。我が娘はそこまで愚かだったのか。
「ユマノヴァ様は婚約解消の理由に子供の存在は隠したまま、自分のだらしなさの所為だと発表して良いとおっしゃったそうです」
パッと顔を上げる。安堵からではない。
他の男の子供を宿すなどと、とんでもない理由で裏切った女を庇う内容に私は信じられない目を王様に向ける。貴方の息子は何をおっしゃっているのか? 貴方を裏切り、王族に他の血を混ぜようとした女を庇う? 正気ですかと問いたくなる。
この国の男の考え方からしたら、絶対にありえない内容だ。矜持が許さない。
そんな立場も無視してしまった私の非難の目に、王様は大きな溜息を吐く。
「あいつの考えは余にはつかめん。ただ政治的には、お前に恩を売る為だと言っていたがな。王族である以上、自分の醜聞よりも国の利益を考える方が優先だ。などとほざいておったわ。あながち間違いではないが、それにしては己の価値を下げ過ぎる。父親としては認められる方法ではないが、一国の王としては頷いてやらんでもない。スープレー公爵、お前はどうしたい?」
国王様は私の意見を求めてきた。
内心では怒り狂っているのだろう。この国の男として、王族として、このような馬鹿にされた話はないのだから。今までの王なら己の矜持を守る為、話など聞かず一刀両断の元、私達を裁いていた事だろう。それを政に置き換え王を窘め、話を聞く方向にもっていってくれたのは、あきらかにユマノヴァ様。
私の目に涙が溢れる。なんて慈悲深い優しい方だ。
「……許されるのでしたら、ユマノヴァ様に甘えとうございます。ですが、これはこちらの手前勝手な願いです。どのような裁断が下されても、このように慈悲深い提案をしてくださった事一生忘れる事はありません。我がスープレー公爵家は例えその存在を抹消されようとも、王家に仕え王家と共に生きていく事を、子々孫々にまで伝えていく所存です」
私はスープレー公爵家が例え没落しても、残された者も王家を恨む事無く、盛り立てて行くと約束した。いや、王家というよりもユマノヴァ様に。
王は私の言葉に満足したように頷くと「では、そのようにしよう」と約束してくれた。
「お父様は、貴方は素晴らしい方だとおっしゃった。このスープレー公爵家を守ってくださったのは貴方だと。それなのにお前は、そんな優しい方を平気で裏切る真似がよくできたなと、私を異質な者を見るような目で見られたわ。私は今までお父様の言う通りに生きてきた。自分の意見は持たずに、頷いて微笑んでいるだけの人形として。それなのにどうしてそんな目で見られないといけないの? 男に逆らうなと言ったのはお父様じゃないの。その通りにしただけなのに、何がいけなかったの? 分からないわ」
ディリア嬢は心底分からないという様に、俺を見つめる。
彼女もまた、この国の被害者なのかもしれない。けれど……。
「君は知っているかい? 君が領地に引きこもる話がでていただろう」
俺がそう言うと、ディリア嬢はバッと顔を上げた。
「そうよ。お父様は私を王都から追い出して、醜聞を隠そうとしているのよ。お父様の邪魔になる恥ずかしい娘を、災いの元となったお腹の子供と一緒に領地に追いやって、自分の目に触れないように幽閉しようとしているのよ。だから私は貴方に……」
「スープレー公爵は君の兄に爵位を譲って、君とお腹の子供と共に領地に移るそうだよ」
「え?」
それまで鬼の形相で暴れまわっていたディリア嬢は、一瞬にしてポカンとした表情になる。
そうか、知らなかったのか。自分は恥ずかしい娘だから捨てられるのだと、そう思ったのか。それで最後の手段として、もう一度俺に縋りついて来たとそういう訳か。
尚も呆けるディリア嬢に向かって、俺は公爵と先日話した内容を伝える。
「彼はこう言っていたよ。馬鹿な娘だがそれ以上に自分は馬鹿なのだと。貴方を見捨てられないそうだ。こうなった責任は自分の所為だから領地で貴方とお腹の子供を守って生きていきたいとね。そして貴方の意思を聞きたいと。貴方が何を思い日々を過ごすか近くで見守って、そうして今度こそ本当の貴方の笑顔を見てみたいそうだ。優しい方だね、公爵は」
「う……そ、だって、だってお父様は、どうしてこうなったって、悔いてばかりで……貴方の事ばかり褒めて、私を見て残念だって、そればかりでそんな事一言も……」
「それは当然だろう。君の行動は君や公爵だけの罰だけではすまないのだから。公にすれば公爵家の縁者はもちろんの事、使用人にまでその被害は拡大する。それを避ける為にあえて俺が責任を被ったんだ。公爵が俺を褒めるのは、感謝の念が込められているからに他ならない。そして公爵家を守るだけの力がある俺との縁を君が切ったのだから、残念だと思うのは当主としては仕方がないだろう」
そこまで言うと、彼女はやっと自分の過ちに気付いた様で顔面を蒼白にさせた。
ブルブルと震え「私はなんて事を……皆を苦しめて……」と呟く姿に、仕方がないなと俺は溜息を吐く。
「自分の過ちに気付いたのなら、今度は公爵と向き合ってみたら? 彼は君と向き合う準備をしている。領地に戻ってからでもいい。落ち着いたら自分の父親の姿を見てみなさい。頑張って子供を産んで、彼がその子に向ける目を見てごらん。きっと何かが変わるから」
そう言って笑ってやると、ディリア嬢は呆けたように俺を凝視する。あ、ちょっとくさかった? 自分のキャラクターとは違うかと苦笑すると、ディリア嬢は目を見開いたまま「貴方は俺と言うのですね」と全然関係のない事を言った。
「私は本当にユマノヴァ様を……ううん、誰の事も見ていなかったのね。こんな空っぽな娘、恥ずかしがられて当然だわ」
「う~ん、まあ見てない事は否定出来ないね。君は自分の事も見ていなかったのだろうから。けど、花を見て微笑んでいる姿には好感を持っていたよ。スズラン、好きだったでしょう?」
「え? どうして分かって……」
「自然だったからね。あの時の笑顔だけは力が抜けていたよ。そういう笑顔を子供にも向けてあげてね」
「……ユマノヴァ様」
「あ、でもスズランって実は毒があるんだよね。触れる時は気を付けて」
「!」
俺の言葉に感動していたディリア嬢が、毒発言にギョッとした。
へへっと笑ってやると、唖然としていた彼女もフフっと笑う。初めて二人、お互いの顔を見つめる。ああ、彼女はこういう顔だったんだな。
ディリア嬢も同じように感じたのか、照れるように微笑んだ。
すると、横からグイッと俺の腕を引っ張る者がいた。アリだ。
え? どうしたの?




