元婚約者再び
突然部屋に飛び込んできたのは、元婚約者のディリア嬢。俺は咄嗟にソファから立ち上がり、アリとシフォンヌ嬢を部屋の隅へと誘導する。
彼女達の存在を気付かせたくない。
慌てて従者達が後を追ってきて、俺達に頭を下げる。
「申し訳ございません。殿下は只今来客中だと申し上げたのですが、ユマノヴァ様ならお許しくださるとおっしゃって……」
どうやら強行突破されたようだ。仕方がない。彼らは公爵令嬢に触れられない。そのような事をしようものなら無礼者と処罰されてしまうかもしれない。護衛騎士ならば主を危険にさらせられないとそのような行為も認められるが、彼らは従者だ。俺がブライアンがいるから護衛など面倒だと断って来た弊害が、この様な形で出てしまったという事か。
ブライアンが俺達を庇うように、ディリア嬢との間に入る。
「これは一体どういう事でしょうか、ディリア嬢? 貴方様はもうユマ様とはなんの関係もないはずですが」
「お黙りなさい、ブライアン・アニソン! 無礼ですよ!」
彼女は今まで一度もブライアンの名前を呼んだ事もないというのに、居丈高に彼を見下ろし怒鳴りつける。それはまさに高位者の姿で、兄上の婚約者ガーネット・グランディ公爵令嬢の姿と重なる。
この国の女性は弱かったのではなかったのかと目眩がしそうになるが、どうやら彼女は俺に用があるらしい。俺は夜会にでも行くのかというような煌びやかな衣装に身を包んだ彼女に目を向ける。
「ご無沙汰しております、ユマノヴァ様。全然お呼び頂けないから、私の方から来てあげましたわ。いくらレナニーノ様が体調を崩されて代わりにお忙しくされているからといっても、婚約者の顔を見るくらいは出来ますでしょう」
「……お腹が膨らんで来たようですね。産み月はいつになるのですか?」
「!」
どうやら彼女は、俺との婚約を解消したつもりはないと言いたいようだ。
己の醜聞と俺の称賛を耳にして〔優しいユマノヴァ様〕に救いを求めようとしたのだろう。それとも少し心が壊れてしまったのか? これは異常な行動だと本人は分かっているのだろうか?
俺は彼女の気持ちを無視して、現実を突きつけてやる。
俺との関係は最早ない。あるのはそのお腹に宿した子供だけ。
ブルブルと震えるディリア嬢を従者が「こちらに」と部屋から連れ出そうと促すが、彼女の足は固定されたように動く気配を見せない。
「……そうですわ。早く認めてくださらないと産まれてしまいますわよ。ユマノヴァ様のお子だと、ちゃんと公にしてください」
ディリア嬢は歪んだ笑みを俺に向ける。
俺がお腹の子の親だと言えば全てが上手くいくと信じて疑わない目だ。
俺は溜息を吐く。
そこまで追い込まれているとは思えないのだが……。ネビールに話を聞いた後、俺はスープレー公爵と話をしたのだ。
彼は俺に始終頭を下げまくり、それでも彼女を見捨てられないと言ったのだ。馬鹿な娘だがそれ以上に自分は馬鹿なのだと。
公爵位をディリア嬢の兄に譲り、自分はディリア嬢とお腹の子供と共に領地に引きこもると約束したのだ。そこまでしてくれている父親に、彼女は何を思うのか。そんな風に考えていたのにこの暴挙。これではもう彼女を助けてはあげられない。
俺が向ける視線に、彼女は苛立ったように声を荒げる。
「なんですか、その目は。貴方はお父様が決めた私の婚約者でしょう。だったらこのお腹の子は貴方の子ではありませんか。私はお父様の教え通り男性に逆らわず、なんの文句も言わず貴方の婚約者として完璧にしてきたはずです。それなのにどうして今更私を放り出すの? 貴方が他の女と遊ぼうが適当に仕事をこなして優秀だと認められようが、そんな事はどうでもいいの。私を受け入れてくれさえすればいいのよ。後は自由にすればいい。私は貴方を束縛などしないのだから。嬉しいでしょう、理解のある女が婚約者で。だから、ほら。早く私を受け入れると言いなさいよ!」
――彼女は今もまだ、俺の被害者だと思っているようだ。俺はそんなに酷い事をしたのだろうか?
前世の記憶から、彼女を大事にしようと決めていた。彼女の言葉を聞きたいと色々と話もふってみたが、俺に興味を示さなかったのは君自身ではないのか? 俺達は婚約者という名の最も遠い他人だったはずなのに。今もまた俺に興味はないと言っているのに、それでも自分の醜聞を収める為に俺の隣に立ちたいと願うのか?
俺は訳が分からなくなる。
彼女は誰に何を求めているのだろうか?
「いい加減に……」
俺が黙っているのを良い事に、言いたい放題のディリア嬢にブライアンがキレそうになった時、パアッと眩い光が部屋中を照らし出した。
あれは妖精? いや、妖精の力を使ったアリだ。
「な、なんなの……」
「ぐっ……」
余りの眩さに皆、目が開けられない状態で蹲る。
そんな状況だというのに、何故か俺は彼女の姿だけはハッキリと見えた。
不思議に思うと、俺の肩にふわりと小さな光が座った。離宮にいたという妖精か。どうやら彼が、俺にアリを見えるようにしてくれているようだ。
俺はアリの居場所を確かめて、ゆっくりとだが彼女に近付く。そうして一気に彼女を抱きしめる。
ハッとしたアリは、その力を消失させた。思わず使ってしまったのだろう。
「ユマ様……」
「大丈夫。何も心配する事はないよ」
「あの人……ユマ様に、あんな、酷い事……」
「痛くもかゆくもない。俺にはアリがいるしブライアンもいる。シフォンヌ嬢……は嫌がるかな?」
俺のそんな言葉にアリはキョトンとした表情の後、フフフっと笑う。どうやら落ち着いたようだ。
そんな俺達に目を向けて、床に座り込んでいたディリア嬢がフルフルと震えた指を指してきた。
「……化け物……」
その言葉に驚いたアリは、傷付いたような顔をする。もしかして今までも言われた事があったのかもしれない。
俺はより一層アリを抱きしめる。
「化け物は君だろう。醜い心が顔に現れている」
ディリア嬢はそんな俺の言葉に、信じられないという様な目を向ける。
俺はこの世界で初めて女性に対して、そんな辛辣な言葉を吐いてしまった。だけど後悔はない。俺が今守らないといけないのはアリだ。この心優しい少女をこれ以上傷付けられたくない。
「君がどう思おうと、俺はかなりの恩情を君に与えたつもりだ。それが分からずいつまでも人の所為にして、尚且つ他人まで傷付けるような行為、目に余る。これ以上君が改善しないようならば、俺は王族として君を罰しなければならない」
そう言ってアリの耳元でひっそりと、力を使う様に言う。
驚くアリに風を少し舞わせるだけでいいと言うと、彼女はコクリと頷いた。そうして抱き合った俺達の足元からフワリフワリと風が舞う。
それを見たディリア嬢と従者達は、床に這いつくばった姿のまま「ひいぃ~」と震えだした。
ブライアンとシフォンヌ嬢が、何をしているんだという様に非難の目を向ける。
「まさかこれは、ユマノヴァ様が……」
従者の一人が俺に恐怖の目を向ける。そんな様子に俺はニヤリと口角を上げてやった。
そしてアリを俺の背中に隠すと、仁王立ちでディリア嬢の前に立つ。
「さあ、どういう罰せられ方が希望だ? 領地に引きこもり二度と王都に顔を出さないと誓うか、王都の牢獄に一生とらえられるか、それとも肉体的に罰を受ける方がいいかな? この風を使って壁に叩きつけるとか」
俺の足元には尚も風が舞い上がっている。良い演出だ。
ディリア嬢は「ひいっ!」と引き攣るような声を出して、助けを求めるかのように周りを見渡す。だが、怯え切った従者はディリア嬢と距離を取ったまま蹲り、ブライアンはシフォンヌ嬢を背中に庇ったまま、ディリア嬢を睨みつけている。
やっと助けはないのだと理解した彼女は、俺を恐怖の目で見つめながらも「わ、私にはお腹に子供が……」と今まで邪魔でしかないように扱ってきたお腹に手を添える。
「育てる気はなかったのだろう、望みもしないままに授かった子供だ。ならば一思いに俺がこの場でその存在を消してやろうか?」
俺が笑みをたたえながらそう言うと「育てる気はあるわ。大事に育てる。だから許して。領地に籠って二度と王都には近寄らない。約束する」と言った。
やはり一番楽な道を選んだかと苦笑するが、俺は彼女がここへ来た理由を聞いてみたくなった。正常な判断力があったのかどうかと。
「ここに来る前からその話は出ていただろう。何故素直にそうしなかった?」
俺の言葉にピクリと体を跳ねさせたディリア嬢は、青い顔のまま必死で答える。
「だって、だってお父様が、どうしてこうなってしまったのかと俯かれて……」
そうして、やっと彼女との会話が成立し始めた。




